迷いの森の死闘
翌朝。
みんなより少し早く目覚めたボクは、1階にある掲示板を見に行った。
掲示板はタウンの至る所にあり、誰でも書き込み・閲覧が可能だ。主に近隣のタウンやダンジョン、モンスターについての様々な情報交換に加え、アイテムの取引なども行うことができる。パーティや、レベルが上がることによって設立できる『ギルド』のメンバー募集もここから行えるようだ。
ボクは早速掲示板から目的の情報が書かれた記事を探した。運よくその記事はすぐに見つかり、ボクはその内容をじっくりと眺める。
ボクが知りたかったのは『FLOがデスゲーム化しているか否か』。デスゲームとはゲームの死がそのまま現実世界の死と繋がることであり、ログアウト不可となったFLOにおいて最も危惧すべき事情だ。過去のVRMMOを題材としたマンガやライトノベルでよくあった設定であるため、その恐ろしさは嫌というほど知っている。
しかしその心配は無いようだった。勇気あるプレイヤーたちが検証したところ、戦闘で敗北してもそのまま死んでしまうことはなく、タウンにある転移水晶の前で復活するらしい。貴重なアイテム『復活水晶』を所持していればその場で即復活することもできるようだ。またパーティを組んでいると味方が全滅するまで人魂状態となり、水晶前に転移せず白魔導師などの復活魔法で蘇生が可能であるらしい。
(よかった……)
これで死に怯えることなく戦闘を行うことができる。とはいえ仮想ではあれど死の感覚を味わうことになるのだから、出来れば敗北は避けたいところだ。
この情報を残してくれたプレイヤーに感謝しつつ、ボクは自分たちの部屋へと戻った。
部屋で朝食を食べ終えた後、ボクたちは宿を出て再び『迷いの森』へと赴いた。
迷いの森にはすでに何人ものプレイヤーが突入しており、ダンジョンボスの居場所も発覚している。しかしボスがあまりに強力なためいまだに誰も討伐できていないのが現状だ。
今回のボクたちの目的は、そのダンジョンボスを討伐すること。しかし、ボクたちだけの手でそれを行うわけではない。
「よっしゃ、張り切っていこうぜ!」
「おいファル。あんまり先走りすぎるなよ」
「放っておけばよいでしょう。僕たちで挑めば、どんなヘマをしようとファーストダンジョンのボスごとき楽勝ですから」
迷いの森に来る際、別のパーティの人たちに声をかけられたのだ。
活発で勝気な性格の少年ファルと、彼をたしなめる短髪の青年ロレンス。そして一見その2人とは繋がりがなさそうな、理知的な青年アーランドの3人だ。
それぞれ剣士、守護戦士、黒魔導師であり、3人とはいえとてもバランスのいい構成のパーティとなっている。
「アルナ、よかったの? 別のパーティの人たちと一緒に戦うなんて」
「問題ないわよ、気の良さそうな人たちだし。それにボスは一つのパーティで攻略するのが難しいらしいもの。協力できるならそれに越したことはないわ」
パーティは4人以上で組むことはできないが、複数のパーティが同じ場所で戦うことはできる。当然ドロップアイテムや経験値の共有はできないものの、一つの対象を複数のパーティで攻撃することは可能だ。これをマルチパーティ戦闘と呼び、FLOでのボス戦闘はこのマルチパーティが基本となる。
最初は男性ばかりという構成に渋っていたアルナたちだったが、彼らの人の良さを察したらしく共闘を承諾したのだ。
「何をボサっとしているのです?早くいかないと獲物を取られてしまうかもしれませんよ」
「……あのアーランドって人だけは好きになれそうにないけどね」
「ボクもそう思うよ……」
先へと進んでいくファル一行に続いて、ボクたちも森の獣道に分け入った。
「オラァッ……と! これでこのあたりは狩り尽くしたか?」
片刃の剣を肩に乗せ、あたりを見回すファル。その視界からは先ほどまで相手をしていたガルフの群れは消えている。
こちらとの力量差を感じとり、どこかに逃げ隠れてしまっているのだろう。すでに迷いの森の適正レベルを大きく超えているのだから当然だ。
「そうみたいだな。そんじゃ、そろそろ行ってみるか」
ローレンスが目を向けたのは森の出口付近にあった巨大な木のドーム。この中には間違いなくボスがいるはずだ。
「そうですね。では、突入しましょう」
ファルたちと共に迷いの森の最深部『元老樹の広間』へと足を踏み入れる。そしてすぐに……
グォォオオオオオオオオオオオオオ――――――――ッッ!!
目前に巨大な熊が姿を現した。
その名はグランドベア。迷いの森の守護者である最強にして最恐の野獣だ。
5メートルを優に超える巨体には、歴戦を潜り抜けてきた証であろう古傷が毛皮の上からはっきりとついていた。その目はまさに血に飢えた獣のようで、いまにも襲い掛かってきそうだ。
しかしボスはその仕様上自ら仕掛けてくることはなく、必ず先手を取ることはできる。問題はその先手で、いかに多大なダメージを与えられるかだ。
「行きますよ。事前に打ち合わせたとおり、まずは美咲さんの『シャープ・ウェポン』で武器攻撃力の底上げを。続いて僕の『ダーク・チェイン』で奴の身体を縛ります。動きを止めたらクロリスさんの『ウィークネスアロー』でボスの防御力を下げてください。あとは僕の鎖が消えるまでカナタさん、アルナさん、ファルの3人は全力で奴に攻撃を。鎖が切られた時の反撃はロレンスがその身をもって防ぎます。では……作戦開始!」
奇しくもアーランドが立てた作戦は完璧だった。それぞれの職の長所及び短所を十二分に理解し、それに合った戦術を組み上げている。参謀として彼以上に頼れる人物はそういないだろう。
「研ぎ澄ませ鋼の剣戟! シャープ・ウェポン!」
美咲がシャープウェポンを発動する。これは範囲内にいる味方の武器攻撃力を一定時間上昇させる支援魔法だ。
「闇より出でよ漆黒の鎖! ダーク・チェイン!」
続いてアーランドが発動したのは闇属性の支援魔法『ダーク・チェイン』。対象に指定した相手を鎖で縛り、地面へと縫い付ける魔法だ。
「グゥオォオオ――――ッ!」
ダークチェインは見事にグランドベアを縛ることに成功し、その巨体を地面へと縫い付けた。
「行っけぇ! ウィークネスアロー!」
クロが放った矢はグランドベアの腹部へと刺さり、その矢じりに塗られていた毒を全身へと送り込む。これによりベアの防御力が下がり、ダメージを与えやすくなるのだ。
そして、すべての準備が整った。ここからはボクたちの出番だ。
「行くよ、2人とも」
「えぇ、かっこいいとこ見せるわよ!」
「女の子に負けてられねぇな。行っくぜぇぇぇぇ――――っ!!」
剣を構え正面から突撃するファル。それに続いて槍を構えたアルナが側面に回った。出遅れたボクだけど、そこは速さが自慢の亜流双剣士だ。2人を追い越すほどの速度でグランドベアに接近し……飛び上がる!
「たああああ――――っ!!」
上空で抜剣したボクは落下による衝撃さえも利用して……そろえた2本の剣をベアの腹部へと突き刺した。
「グオオオオオオオオ――――――――ッ!!」
ベアの叫び声とともにボクは剣を引き抜き、ステップして後方へと下がる。すぐさまボクの横をすり抜けたファルが、ベアに向け剣を振り下ろした。
ボクが開いた傷に追い打ちをかけるようにして繰り出された一撃。与えたダメージも相当なものだ。
しかしそこでダークチェインの効果が切れた。鎖の束縛がなくなったベアは手を地につき起き上がろうとする。
「させない!」
ベアの腕を狙ってアルナの槍が伸びる。しかしその攻撃は一歩遅く、振り上げられたベアの腕で槍は弾かれてしまう。
体勢を崩したアルナに向かってベアの腕が伸びた。寸前、アルナとベアの間に巨大な盾を持ったロレンスが割り込む。
「鋼心硬壁!」
自身の防御力を増大させのけ反らなくするスキル『鋼心硬壁』を発動させるロレンス。守護戦士の高い防御力と合わさり、その守りは鉄壁だ。
その隙にアルナは後方へと退避し、次の攻撃に備える。
「退転!」
続けて、攻撃を受けたとき後方へ回避するスキル『退転』でロレンスが元の場所へと戻り……作戦の1巡目は完了した。
ベアに視線を向け頭上のHPバーを確認すると、減っているのはごくわずかだ。もちろん作戦はこれで終わりじゃない。ここまでと同じことを何度も繰り返し、地道にだが確実に敵のHPを削っていくのだ。
「被撃はロレンスのみ、敵HPは……1割削った程度といったところですか。十分です、それではすぐに2巡目に入りましょう。美咲さん、もう一度シャープウェポンを」
再びアーランドの指示で作戦が始まった。途中束縛に何度か失敗して反撃を受けたが、死ぬほどのダメージではない。美咲にHPを回復してもらいつつ、作戦の軌道を逸らさないように奮戦した。
そんなことを数回続け……ついにベアのHPは3割を切ろうとしていた。ここまで手痛い反撃もなく、被ダメージも最小に留まっている。ロレンスのHPがレッドゾーンに突入したこともあったが、美咲の回復魔法を何度かかけることによって今ではほぼ全快していた。
「予定より若干時間はかかっていますが、残り3割。余裕でしょう。ここからは一気に畳み掛けます。前衛の3人とクロリスさんは最も威力の高いスキルの準備を。ロレンスも攻撃に加わってください。美咲さんは彼らのHPが尽きないようひたすら回復をお願いします」
「ついに最後か……派手にぶちかまそうぜ!」
「そうだな。俺もようやく攻撃できる」
「のどが枯れそうです……」
「みさきち、もうちょっとだからがんばろっ」
「気を引き締めないとね! これに成功したら、私たちが初めてのダンジョン攻略者になるんだから」
全員が決意を固め、いよいよ最後の攻撃が始まった。ここまでと同じく美咲がシャープ・ウェポンで味方を強化し、アーランドがベアをダーク・チェインで縛った。縛り付けたベアはクロのウィークネスアローで弱体化させ……ボクたちの攻撃の番となる。
すでにタイミングを掴んでいたボクたちは、クロの矢が飛んだ直後に突撃しすぐさまスキルを発動する体勢をとっていた。
「これで決めるぜ! 剛・覇王ざ……」
真っ先に突入し剣を振りかぶるファル。しかし異変はそこで起きた。
「グオオオオオオオオオ――――――――ッ!!」
「……え?」
――――グシャッ。
突如大声で吠えたベアが鎖を引きちぎり、向かってきていたファルを叩き潰していた。
「嘘、だ、ろ……?」
全身に強い打撃を受けたファルのHPは、見る見るうちに減っていき……ついに、尽きた。
その瞬間ファルの全身が光に包まれ、消滅する。その場には豆電球のように弱々しく光る人魂だけが残された。
「い、いやああああああああああ――――――――っ!!」
後ずさり、悲痛な叫び声をあげるアルナ。その声で事態を理解したのだろう、全員の顔から血の気が引いていく。ボクの顔だって真っ青のはずだ。
これが戦闘不能。いや違う、人の死だ。
人が目の前で、こんなにあっけなく死んでしまうなんて……。
「まさか、HP低下による凶暴化!? バカな、そんな情報掲示板には載ってなかったぞ! 僕の作戦がこんなところで、こんなことで潰れるなんて……いや待て、何かあるはずだ、何か打開策が……!」
アーランドが小声で呟いているが、今のボクたちにはその言葉を聞く余裕も時間もなかった。
そう、ファルを殺したベアは、すでに次の攻撃を仕掛けてきているのだ。
ベアの攻撃対象は呆然と座り込んでしまっているアルナ。足腰が立たないのか、アルナはベアが向かってきていてもその場から動くことができずにいた。
側面から回り込んでいたアルナとボクの距離はかなり離れている。助けにいこうにも、この距離では間に合わない……!
「アルナ! 逃げて!」
ボクの叫びも虚しく、ベアの巨大な口から覗く牙が、アルナに突き立てられ……。
「鋼心硬壁ぃぃッ!!」
噛み殺される直前、間に入ったロレンスが盾でベアの牙を受け止めた。しかしその防御は十分ではなく、腕や肩に牙が食い込んでしまっている。
「ぐああっ!!」
「あ……あぁ……っ!」
「くっ……俺のことはいい! 早く逃げろ!」
ロレンスの言葉でようやく我を取り戻したのか、ふらつきながらもアルナは立ち上がり逃げ出した。
だがロレンスのHPももう限界だ。アルナの無事を確認したロレンスは、最後の力で手にした斧をベアの腕に叩きつけ……ついに力尽きた。
「ロレンス! あぁ、そんな、僕たちの最後の砦が……」
立ちつくすアーランドだったが、一言二言何かを呟いたあと入口へと一目散に駆け出した。
「嫌だぁぁぁ――――!! 僕は死にたくないぃぃぃぃ――――っ!!」
叫ぶアーランド。その後ろにベアが迫っていることになどもちろん気付いていない。
「死にたくない死にたくない死にたくない僕は僕は僕は……がっあ、ぁ……」
入口は目前といったところで、ベアの爪がアーランドを切り裂いた。
同時に、浮遊していた人魂もパーティが全滅したことにより町の方向へと飛び去って行った。
わずか数分の間に起こってしまった3人の死……。それを見て自分たちの危機を悟っていない者などここにはもういない。
楽観的に考えていたゲーム内の死。しかしそんな考えはとっくに覆り、ボクの身体全体を恐怖で支配していた。
ほかのみんなも同様で、もはや呼吸することすら忘れ、ゆっくりと迫ってくるベアを生気のない目で見つめているだけだった。
(ダメだ、このままじゃみんな死んでしまう……ボクが守らなきゃ、みんなを、守らなきゃ……!)
この場でまだ戦えるのは、何とか正気を保てているボクだけだ。だったらボクがみんなを守らなきゃいけない。
倒せなくても構わない。せめてみんなの逃げる時間だけでも確保するんだ。
決意したボクはすでに走り出していた。美咲に襲いかかろうとするベアに向かって、全力で剣を振るう。
「円月!!」
ベアが美咲に攻撃を仕掛ける前に、その足を切り裂くことに成功した。
しかしベアの皮膚は鋼鉄並みに硬い。その程度の攻撃では与えられるダメージも微々たるものだ。それでも、ベアの注意をボクに引き付けるくらいはできる。
「ボクが時間を稼ぐ! だからみんなは、くっ! に、逃げて!」
振り下ろされた腕を避けながらボクは叫ぶ。しかしボクの声を聞いても誰もその場を動けなかった。
いや違う、動かなかったんだ。
みんなは震えながらも自らの武器を構えなおし、その切っ先をベアへと向けていた。
戦おうと、している……?
ボクがそれに気付いた瞬間、彼女たちは各々の技を繰り出した。その攻撃はベアの腹部へと次々に命中し、バランスを崩させダウンさせることに成功する。
「みんな、どうして……」
ベアが倒れている隙にみんなの顔を見回した。彼女たちの顔にはいまだ恐怖が滲んでいるが、その目には先ほどとは違う決意の火が宿っている。
「カナタだけおいて逃げるなんて、できるわけないでしょ!」
「そんなことしたら寝覚めが悪くなるってもんよ!」
「死ぬのは嫌ですけど、友達を見捨てることの方がもっと嫌ですから」
みんな怖いはずなのに、ボクと一緒に戦うと言ってくれているのだ。その優しさに涙が出そうになるけれど、今は感動している場合なんかじゃない。
「いい? カナタ。これはカナタだけの戦いじゃないの。私たち、パーティみんなの戦いなのよ。勝利の喜びを味わう時も、負けて死んでしまう時も、みんな一緒なんだから。だからカナタは私たちのことをもっと信じて。自分で何もかも背負い込もうとしないで、私たちを頼って!」
「アルナ……」
アルナのまっすぐな眼差しは、ボクへとしっかり注がれている。彼女がでまかせでものを言っているわけではないことは、その目が嫌というほど物語っていた。
「1つだけ、聞かせて」
「なに?」
「どうしてみんなは、会ったばかりのボクのことをそんなに信じられるの?」
「そんなの……一緒にご飯を食べて、同じ部屋で寝た。理由なんて、それで十分じゃない?」
「そう……」
ボクはこれまで、みんなの優しさから目を逸らしていたのかもしれない。彼女たちのことを信じるのを、心のどこかで拒否していたのかもしれない。
でもそれじゃダメだったんだ。彼女たちは出会って間もないボクのことを、こんなにも信じてくれていた。だったらボクも、それにちゃんと向き合わなきゃいけなかったんだ。
そんな彼女たちを騙していることにチクリと心が痛んだけれど、それすら気にならないほどにアルナの言葉はボクを優しく包み込んでいた。
「信じて、いいんだね?」
「もちろんよ!」
「ありがとう……」
ボクは胸の内に暖かいものが広がるのを感じながら、剣をさらに強く握りなおした。
正直、勝算はない。参謀だったアーランドはすでに町に戻ってしまっているし、ファルとロレンスがいないことで前線もバラバラだ。
それでも勝たなきゃいけない。先に進むためには、こんなところで立ち止まってはいられないんだ。
「……やろう。ボクたちで倒すんだ。あの巨大な恐怖を、ボクたちの手で打ち倒すんだ!」
「ええ、臨むところよ!」
「こんな逆境めったにないもん、ゲーマー魂が騒ぐね!」
「倒れた3人の犠牲を無駄にしないためにも、絶対に勝ちましょう!」
ここからが本当の戦いだ。誰の助けもない、ボクたち4人だけの戦い。
絶対に勝つ。そんな決意を胸に秘め、ボクたちは起き上がったベアと対峙した。