唐突に始まる試練
「ね、姉さん!?」
空中に現れたスクリーンに映っているのは、紛れもなくボクの姉さんだった。
色素の薄い髪は長くボサボサで、手入れをしていないのが一目でわかる。年の割に子供っぽい顔にかけているのは知的に見せるための伊達メガネだ。研究者らしくするために着ている白衣は大きすぎるのか手が袖に隠れてしまっている。
間違いない、見慣れた姉さんの姿だ。
「どうして姉さんが……」
すでに開幕式も終わっているため、今更挨拶というわけではないはずだ。では現在発生している不具合の報告だろうか。いや、そもそも姉さんは人前に出るのが嫌いなのだから、その程度の案件なら関係者の誰かに任せるだろう。では一体……
そんな疑問は、スクリーンに映る姉さんの言葉によって瞬く間に霧散していた。
『えー、みなさんごちゅうもーく! 今日はわたしこと高峰遙香から重大発表がありまーす! 何とみなさんは、FLOの世界から出ることができなくなりましたー!』
「……え?」
FLOの世界から出られないだって……?
にわかには信じられない話だ。でも信じるしかない。だってボクは、すでにログアウトができないことを知っているから。
そうか……あれは不具合じゃなくて、意図してそう設定されたからだったんだ……。
そう認識しただけで言い様のない恐怖が湧き上がってくる。
「で、出られないって、そんな馬鹿な!?」
「そんなのでたらめに決まってるわ!」
「たちの悪い冗談だ! 今すぐここから出せ!」
周りの人々も事情を察したのか大きな声で騒ぎ始めた。しかしそんな様子を意にも介さず、姉さんは快活な声で淡々と告げていく。
『言っておくけど本当だよ? 何人かは気付いてると思うけど、ログアウトボタンはすでに削除してあるからね。外との通信も絶ってあるから、助けを呼ぼうとしても無駄。まあ例え助けに来たとしても、CSコフィンの強度は核シェルター以上だし、ゲームのセキュリティも完璧だから、外から何かしたって無駄だけどね』
「そんな……」
姉さんの言っていることはおそらく事実だ。姉さんは絶対に嘘だけは吐かない人だから。
『でもでも、今だけの大チャーンス! 何とそこから出られる方法が一つだけあるよ! それは……ゲームをクリアすること! 誰か一人でもクリアすればみんな出してあげちゃうよ! てなわけでみんな頑張ってゲームをクリアしてね! 以上、高峰遙香からの報告でしたー!』
その言葉を最後に空中のスクリーンは消滅した。
「嘘だろ……」
「おい! 今すぐ水晶を確かめろ!」
「ここまでされて黙ってられるか! やってやるよゲームクリア!」
絶望する者、事実を受け入れきれない者、なんとしてもここから出ようと意気込む者……プレイヤーたちは様々に分かれ、町のあちこちへと散っていく。
そんな中ボクはただ一人、思考を整理するため町の中心に立ちつくしていた。
「姉さん……一体何を考えているんだ」
姉さんは破天荒な性格ではあったけれど、こんな非道なことをするような人じゃなかった。だからきっと、何か理由があるはずだ。
ボクはそれを姉さんに問い詰めなければならない。そのためには一刻も早くFLOから出なければ。
「あ、いたいた。おーい! カナター!」
ボクを探してくれていたらしいアルナが遠くから手を振っている。後ろにはクロと美咲の姿も見えた。
「アルナ……」
すぐに駆け寄ってきたアルナたちだが、その顔は少しばかり不安そうだった。あんな話を聞いた後なのだから当然だろう。
「ごめんねカナタ。フレンドサーチですぐ居場所はわかったんだけど、近くにいたクロと美咲を優先しちゃったの」
「探してくれただけで十分だよ。ありがとう」
「それにしても大変なことになったわねー。ゲームから出られないなんて。いまだに信じられないわよ」
「でも、本当のことだよ。事実ログアウトはできなくなってるみたいだから」
「うん、私たちもさっき確認してきた。嘘みたいな話だけど、信じるしかないのよね……」
「あ、あの!」
俯くボクたちの間に美咲が割り込んでくる。その声はいつも以上に震え、顔はアルナより青ざめていた。
「ほんとに出られないんですか?」
「少なくとも、今のところはね。誰かがゲームをクリアしてくれないと……」
「それじゃダメだよ!」
アルナの言葉につい強く反論してしまった。驚いたのか、みんな口を小さく開けて戸惑っている。美咲に至っては涙目になって怯え、アルナの後ろに隠れてしまっていた。
「どうしたの……?」
「ごめん。でも誰かじゃダメなんだ。ボクがやらなきゃ……」
「どうしたの? 何かあったなら教えてくれない?」
姉さんの話を聞いた時以上に心配そうなアルナの顔。そんな顔が見ていられなくて、ボクは自分の心境を語る。
「……スクリーンに映ったあの人……高峰遙香は、ボクの姉さんなんだ」
「そうだったんだ」
「でも姉さんは理由もなくこんなことをする人じゃなかった。だからボクはすぐにここを出て、姉さんからなんでこんなことをしたのか聞き出さなくちゃいけない。そのためには、他の誰かに頼ってちゃダメなんだ」
「カナタ……」
俯き考え込むアルナ。しかしすぐに顔を上げ、ボクの両肩を軽く掴んだ。必然的にアルナと真正面から向き合う形になってしまう。
「だったら、私たちも一緒に行くわ!」
「な、何言ってるの!? これはボクだけの問題なんだから、アルナたちを巻き込むわけには……」
「確かに私たちは関係ないわ。でもFLOはあくまでMMOなんだから、一人でクリアしなきゃいけないわけじゃないはずよ」
「そうだけど……無茶苦茶だよ……」
「この際無茶苦茶でも何でもいいんでない?あたしたちはせっかくできた友達と一緒にいたいだけなんだから」
「クロの言う通りよ。で、どうなのかしら? 一緒に行ってもいいの?」
友達と一緒にいたいだけ、か。
出会ってわずか数時間のボクを友達と言ってくれるんだ。こんないい人たちの誘いを無下にすれば、これからずっと後悔するだろう。だったらいっそ……。
「……これは本当にボクだけの問題だよ。それでもいいって言うなら、ボクの方からお願いしたい」
「おっけー、決まりね!」
差し出された手を軽く握ると、アルナの横からクロと美咲も手を伸ばしてきた。握手する3人の手は小さいけれど、とても暖かい。それはきっと体温の温かさだけじゃないはずだ。
「それじゃ改めて。よろしくね、カナタ!」
「うん、こちらこそよろしく」
「さぁーて気持ちも固まったところで、ダンジョンに進撃ー……って思ったんだけど」
「随分暗くなってきていますね……」
繋いだ手を放すと、クロと美咲が空を見上げる。二人の言うとおり空はすっかり黒く染まり、星が美しく瞬いていた。
気付けば街灯が点灯し、周りの人の姿もまばらになっている。その代わり町の随所にある宿から活気のある声が漏れ、部屋の灯りが街を明るく照らしていた。
「今日はもう宿をとった方がいいかもしれないわね。部屋埋まっちゃったら困るもの」
すべての宿の部屋を総合すれば、プレイヤー全員が入れるくらいの数はあるらしい。が、あまり遅い時間になると入れる部屋を探すのに手間取ってしまうだろう。
どのみち夜のダンジョンに進入するのは危険だ。マップを覚えているわけではないし、夜行性のモンスター対策もできていない。それなら早めに宿に入っても間違いではないだろう。
「そうだね、それじゃあ宿を探そうか」
ボクたちは4人並んで、街灯が照らす大通りを宿を目指して歩きだした。