決戦前夜
「それで、なんでみんなここにいるのさ……」
「まぁまぁ、細かいことは気にしないの」
その日の夜。ボクはホームの6階に与えられた自室で身体を休めていた。
木製のベッドと小さなテーブルだけが置かれた簡素な部屋だが、元々ここは団員たちに与えられる部屋。模様替えなども団員自らが行うことになっている。
それならば、最初はこれくらいシンプルな方がいろいろと変更しやすいのだろう。
不要なアイテムを整理し終えたあと、テーブルの上に置かれていた様々な資料に目を通す。どれもギルドの内情などを記した、館内新聞のようなものだった。
収支は常に黒字。会計士として、計算などに強い美咲が敏腕を振るっているようだ。
ダンジョン攻略やクエストもほぼ全部成功させている。このあたりはアルナの采配とクロの現場指揮が成しえているのだろう。
意外だったのはギルドの人員。創立から今まで、人数に一切の変化がないのだ。これほどの規模のギルドともなれば加入希望者も多いはずだが、それらはすべて断っているようだ。
人数は多いが、意外にも閉鎖的なコミュニティなのかもしれない。
その中にあったホームの見取り図を見ていると、同じフロアに大浴場があることを知った。
部屋にバスルームがないようなので、せっかくだし行ってみようと思った矢先――アルナたち3人が部屋に押し寄せてきた、というわけだ。
いや、もう1人いた。
「なぜわたしまで……」
などといいつつベッドを占領している、リネットだ。
彼女も大浴場に向かっていたが、持ち前の方向音痴を発揮して、なぜか最上階の執務室に辿り着いていたらしい。
その後アルナに大浴場へと案内してもらうはずが、気付いたらここに連れてこられていたそうだ。
この部屋はほとんど物が置かれていないためそこそこ広いが、この人数が入るには少し狭い。
アルナたちの目的は一体何なんだろう。
「さて、そろそろ始めましょうか」
「始めるって、何を?」
「決まってるでしょ。親睦会よ!」
「し、親睦会?」
「リネットとはほとんど話したことないし、カナタともずいぶん長く離れてたでしょ? この機会にその埋め合わせをしておこうと思ってね」
確かに、一緒にいた以上の時間離れていたけど――
「――でも、この部屋でする必要あるの?」
「当たり前よ! こういう話は、狭くて薄暗い部屋で小さな明かりを囲んでするのが鉄板なんだから!」
「それ怪談!」
「冗談よ。でも広い部屋で話すのも落ち着かないでしょう? これくらいの広さがちょうどいいわ」
「かなり窮屈だけどね……」
「細かいことは気にしないの。さ、積もる話ってやつをしましょう。クロ? いい加減起きないとお尻ペンペンよ」
「それはさすがのあたしでも恥ずかしいからやめていただきたい!」
テーブルに突っ伏して寝ていたクロが飛び起きて、ようやく全員が顔を見合わせた。
親睦会、か。ずっとダンジョンに潜りっぱなしで面白い話なんてないけれど、大丈夫なのかな。
まぁ、アルナたちとなら話に困るようなことはないだろう。
あとは――リネットが、少しでも自分のことを話してくれると嬉しいな。
「まずは何から話しましょうか。色々あって迷うわね」
「あっ、アレとかいいんじゃない? ほら、草原の後のさ――」
それからしばらく、アルナたちとの他愛もない話が続いた。
ボクとは違って、アルナたちの2か月には話しきれないほどいろいろなことがあったらしい。
それが少し、うらやましくて。
その場に居合わせられなかったことをとても後悔したけれど、これも自分の選択が生んだ結果なのだと思うと、悲しくはなかった。
リネットは話を聞くばかりで、あまり会話に加わってはくれなかったけど――
楽しんでくれているようで、よかった。
「んぅ……」
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。久しぶりにみんなに会えて、気が緩んでいたのかも。
アルナたちはもう自室に戻ったのか、部屋には誰もいない。
話の途中で寝るなんて、申し訳ないことしちゃったな。朝になったらみんなに謝っておかないと。
メニューで時計を見ると、時刻は午前0時を過ぎたあたり。
(まだまだ寝ていられる時間だけど……)
また寝るにしても、一度服を着替えておきたい。
その前にシャワーだけでも浴びたいけど、この部屋には浴室がないんだっけ……
せっかくだし、行かずじまいだった大浴場にでも行ってみようか。確か見取り図には24時間開放と書いてあったから、こんな時間でも入れるはずだ。
(って、意気揚々と来てみたはいいものの……)
今ボクを悩ませているのは、入り口にかけられている『男』と『女』が描かれた2つののれん。
日ごとに男女の浴場が入れ替わるらしく、今は『男』が右、『女』が左だ。
当然ボクは『男』の方に入るべきなんだろうけど、今のボクの身体では――もしも中に誰かいた場合、いろいろと誤解を招きかねない。
かといって『女』の方に入るには勇気が足りなさすぎる。
こんなことで悩むなら、初めから入ろうとなんてしなければよかった。
もう入らずに部屋に戻ってしまおうか……
「あれ、カナカナ? 起きたんだ!」
「――えっ、クロ?」
踵を返して部屋に戻ろうとすると、ちょうど正面からクロが駆け寄ってきていた。
クロだけじゃない。少し前までボクの部屋にいた、あの4人全員が揃っている。
「みんなも……どうしてここに?」
「カナタが寝ちゃったあと、騒がしくして起こさないように私の部屋に移ったのよ」
「ごめん、ボク……」
「疲れてたんでしょ? 気にしてないわ。……でも、こんな時間だから私たちも眠くなっちゃって。ちょうど日付も変わったところだったから、せっかくだしみんなでお風呂に入ってから寝ようって話になったの」
「ここにいるってことは、カナカナもお風呂入りに来たんだよね?」
「うん。でも、どちらにも入るわけにはいかない気がして、もう戻ろうと――」
「……ニヤリ」
なぜか口で言ったクロが、ボクの後ろに回り込んで腕を抑える。
「なら一緒に入れるね! ほらカナカナ、こっちこっち!」
「ふぇっ!? まっ、待ってクロ! 何考えて――」
「あ、それいいわね。お風呂で親睦会の続きにしましょう」
「アルナまでー!?」
反対の腕を抑えたアルナも一緒になって、ボクをズルズルと女湯へと引っ張っていく。
これはひょっとして……ちゃんと告白したのに、2人には全然男として見てもらえてない!?
「……あなたたち、正気? それは男なのよ?」
アルナやクロではなくなぜかボクに冷ややかな目を向けるリネットが、2人にそう問いかける。
『それ』扱いには異論を唱えたいけど、今は素直にリネットに感謝しておこう。
「そ、そうだよ2人とも! ボクは男で、みんなと一緒に入るわけには――」
「カナカナもりーのんも、そんな心配しなくていいよ。だって――カナカナは、女の子以上に女の子だから!」
――グサッ!
今、ボクの男としての尊厳が粉々に砕け散った気がする……
ていうか、りーのんってリネットのあだ名?
「それに、気付いたのよ。今、カナタの身体は女の子。なら、心も女の子にしちゃえば何も問題はないって!」
「わけがわからないよ!」
「ふふふ……私、男性は苦手ですが……かわいいものには、男も女も関係ないんですよ……♡」
「美咲! 変なスイッチ入れないで!」
「それは、そうかもしれないけれど……」
「リネットも納得しないで!?」
「……やっぱり無理ね。どうしても入れるというのなら、わたしは遠慮させてもらうわ」
「えー。だめー? どうしてもー?」
「どうしても、よ」
「なら妥協案として、こんなのはどうかしら?」
「何っ――」
アルナのその言葉を最後に、ボクの視界は黒く覆われた。
「こら、クロ! どこ触ってるのよ!」
「いいじゃん減るもんじゃあるまいしー」
「リネットさん、お湯加減はどうですか?」
「まぁまぁね。こんなにうるさくなければ至福のひと時だったわ」
「……」
身体を洗っているボクの後ろから、女の子たちの和気あいあいとした声が聞こえてくる。
けれど、こっそり振り返ってみても……ボクの視界は、真っ黒なまま。
(これは……何かが違う気がする……)
アルナが用意した妥協案。
それは、ボクの目をタオルで覆うというものだった。
確かにこれなら、ボクはみんなの姿を見ることができないけど……
タオルは固く結んであるだけなのですぐほどけそうだし、それ以前に、少しずらせば近くを見ることくらいはできてしまう。
ボクならそんなことはしないと信頼してくれているからなんだろうけど、これじゃあ何の解決にもなっていないような……
「カーナーカーナー!」
「ひゃんっ!?」
身体を洗い終えたところで、後ろから誰かが抱きついてきた。見えないけど、間違いなくクロだ。
アルナたちと一緒にいると思って油断してた。そういえば、ボクも裸――!
「ちょっ、クロ! 離れてってば!」
「やーだよっ」
「やめっ、ぁんっ!」
案の定、抱きついたままのクロは手をいやらしく動かして、ボクの胸やお尻をまさぐりはじめる。
「うーん……アルナンのザ・普通とも違う、この手にすっぽり収まる感じ……まさに、極上サイズ」
「んんっ……やめてよぉ……」
逃げようとしても、絶妙な体重移動で先回りするクロ。
そうこうしている間に、なんだか頭がぼーっとしてきて――
「いい加減にしなさーい!」
「きゃうん!?」
危ういところで、クロにチョップを食らわせた(らしい)アルナに助けられた。
「湯船にいないと思ったら……まったく、油断も隙もありゃしないわ」
「ありがとう、アルナ……」
「……ねぇ、カナタ。ちょっとだけ、触ってみてもいい?」
「なに言ってるの!?」
「ずるいよアルナン! それならあたしも!」
「あ、な、なら私も混ぜてください!」
声を上ずらせるアルナに加えて、倒れていたクロと、湯船から美咲の声が近づいてくる。
2か月前にも似たようなことが――いや、間違いなくあの時より悪化してる。
に、逃げなきゃ――!
「きゃんっ」
咄嗟に逃げようと立ち上がったが、まだ流れていなかった床の泡で滑って転んでしまった。
痛みをこらえてもう一度立とうとしたけれど――誰かに片足を掴まれて、うつぶせのまま動けない。
「みんなやめっ――あっ」
「「「あ」」」
なんとかみんなを止めようと後ろを向いたそのとき――パサッと。
激しく動いたせいで結び目の緩んだタオルが、床に落ちた。
瞬間、視界に広がる肌色の楽園。
「――あぅ」
「か、カナター!?」
「救急車、救急車ー!」
「あわわわ、しっかりしてくださいカナタさん!」
その景色を目に焼き付ける前に、ボクの頭は限界に達していた。
「……だから言ったのよ」
最後に、タオルを体に巻いて出て行ったリネットの、そんな言葉が聞こえた気がした。
「大丈夫?」
「うん。ちょっと、のぼせただけ……」
脱衣所の長椅子に座って涼むボクに、アルナが水を持ってきてくれる。
「ごめんねカナカナ。ちょっと調子に乗りすぎたよー」
「うぅん、気にしないで」
「カナタさん、立てそうですか?」
「な、何とか……」
「無理はしないで。部屋まで送っていくわ」
「ありがとう、アルナ」
アルナに手を引いてもらって立ち上がり、ふらつきながらも部屋へと歩く。
後ろにはクロと美咲も付いてきてくれた。
「また迷惑かけちゃったね」
「お互いさまよ。今回は私たちに非があるんだから」
「アルナンが暴走するからこんなことになるんだよー」
「元凶はあんたじゃないの!」
「もう全部みさきちのせいにしよう!」
「ひどいですよクロさん!?」
そうして笑いながら、再会の夜は過ぎていった。
――このあと、部屋にいなかったリネットの大捜索が行われたのは、また別のお話。




