楽園への道標
窓から差し込む朝日でボクは目が覚めた。
見慣れない、真っ白な天井。
確か昨日はリネットと再会して、一緒の部屋で寝ることになったんだった。
リネットはもう起きてるんだろうか。
隣のベッドに視線を移すと、リネットはまだ眠っていた。
かすかな寝息も聞こえてくる。もうしばらく起きなさそうだ。
無理に起こすのも気が引けるし、ボクは先に今日の準備を整えておこう。
リネットが目を覚ましたのはそれから2時間後のことだった。
日も随分高くなっている。けれどリネットはいまだ眠そうに眼をこすっていた。
尋ねてみると、いつもこれくらいの起床時間らしい。今までの凛とした姿からは想像もできない自堕落さだ。
「忌まわしい太陽ね……GM権限で削除してやろうかしら」
「そんなことしたらみんな困っちゃうよ」
リネットの様子からあまり冗談と思えなくて、一応釘を刺しておく。
「ところで、今日は何をするの?」
「言ってなかったかしら」
「聞いてないよ!?」
「そうね……端的に言えば、ただのダンジョン攻略よ」
その言葉を聞いて、ボクは表情を引き締めた。
攻略の手伝いを頼まれることは、今までにも多々あった。けれど、リネットの言葉にはそれ以上の意味がある。
今回向かうのは、リネットが支援を要求するほどの高い難易度を誇るダンジョンということなのだ。
「……どこに行くの?」
「『竜の渓谷』よ」
「竜の……!? 無茶だよ!」
竜の渓谷。現在存在が確認されている中で最も難易度の高いダンジョンだ。
ただでさえ能力値の高いドラゴンが多数生息し、群れを成して襲い掛かってくる。断崖絶壁の道を通ることが多く、足場も非常に不安定だ。
レベルカンストプレイヤーが最大数20人のマルチパーティを組んでも、攻略するのは難しいだろう。
それをたった2人でだなんて……無謀にもほどがある。
「そうでもないわ。道中の敵はわたしが異分子を使ってすべて倒す。ボスまで辿り着ければ、あなた1人でも何とかなるでしょう?」
「無理に決まってるでしょ! それにボクよりも、リネットの方が勝てる可能性は高いよ」
「わたしでは無理よ。一度最深部に到達することはできたけれど、あいつには勝てなかった。わたしの異分子は、あいつに通じなかったのよ」
異分子が通じない敵。考えられる可能性は1つしかない。
「そのボスも、異分子を持ってるんだね」
「えぇ、そうよ。あいつが持っているのは『No.8・固有《キャラクター》』。異分子を無効化する上に、各職業すべてのスキル・魔法を扱うわ。わたしはあいつが永続的に張る『魔法防壁』を破れず……結果的に、敗北した」
魔法防壁。以前戦ったガーゴイルも使用した、すべての魔法を弾く強力スキルだ。
一部の魔法職も条件を満たせば習得できるため、そのボスが使用してもおかしくないだろう。
プレイヤーが使用できるものは、ガーゴイルと違い長時間張り続けられない。しかし、異分子が絡んでいる以上、その点は克服されているとみていいだろう。
リネットは、最強の武器である異分子と、魔法剣士の主力である魔法を封じられた状態で戦ったのだ。負けるのは無理もない。
「でもあなたなら……魔法に頼らないあなたなら、それも突破できるでしょう?」
「そうかもしれないけど……一度二度突破できたところで、倒しきれる敵じゃないはずだよ。やっぱり無茶だとしか思えない」
「なら何度でも打ち破ればいいわ。あいつに勝てる可能性が少しでもあるのなら、わたしは何時間でも、何日でも戦い続ける」
「……リネット。どうして、そんなに必死になってるの?」
「あるのよ。あいつの後ろには……扉が。アルカディアへの、入り口が」
「――っ」
アルカディアへの入り口が、竜の渓谷の奥に……!?
それはつまり、渓谷のボスさえ討伐すればFLOから脱出できるということ。リネットが熱くなるのもわかる。
ボクだって興奮が収まらない。でも、そこが最難関ダンジョンであることも忘れちゃいけない。
「……わかった。やれるだけやってみよう。でも失敗したら、おとなしく攻略組に参加すること。いいね?」
「構わないわ。勝てばいいだけよ」
「よし。それなら必要なものを買いに行こう。ただでさえ無謀なんだから、準備だけは万全にしないとね」
「そうね」
アイテムを買いそろえるために、ボクたちはまず商店街に向かった。
―第50ダンジョン『竜の渓谷』35層―
「はぁ、はぁ……さすがに、厳しいね」
「人数が増えると出現する敵の数も増えるようね。誤算だったわ」
群がる竜を各個撃破しながら、ボクたちは中腹の安全区域に逃げ込んでいた。
リネットの魔法による迎撃が、敵の再出現に間に合わなかったのだ。
いくら異分子で攻撃力・攻撃範囲ともに強化されているとはいえ、倍の数に取り囲まれてしまえば殲滅するのは難しい。
リネットが討ち洩らした敵をボクが撃破するという形で、なんとかここまでは駆け抜けることができた。
けれどこの先は中ボス部屋。アイテムも多少消費してしまっている。
もし最下層まで辿り着けても、ボスを討伐できるかどうかは微妙なところだ。
「開けるよ……」
息を整え、中ボス部屋の扉を開ける。
中にいたのは、赤い鱗をまとった翼竜。レッド・ドラゴンだ。
「ッ!」
ボクたちの姿を捉えると同時に放たれた火炎弾を、左右に分かれて回避する。
ボクたちが一瞬前までいた場所は、煌々と燃える炎によって焼き尽くされていた。
あの炎を受ければ、持続ダメージであっという間に殺されるだろう。
二度……いや、この先のことを考えれば、一度も受けるわけにはいかない。
「行くよ、リネット!」
リネットは今、長いクールタイムを発生させないために異分子を小休止状態にしている。
そのため、この戦闘は一切の優位性が取り除かれた純粋なボス戦。
本気でやらなければ、ここでやられることもあり得る。
「前衛は任せるわ」
短縮詠唱を使用したリネットが大量の『ウォーターエッジ』を放つ。
その反対側から、ボクは高速でレッド・ドラゴンに接近していた。
『疾風剣』。剣に『風』属性をまとわせるこのスキルは、同時に自身の移動速度も高める。
これによって、亜流双剣士の特性である高い敏捷性をいかんなく発揮できるのだ。
「双旋破!」
ウォーターエッジがレッド・ドラゴンに命中したのを確認し、跳躍。回転による連撃を浴びせる。
「特技連鎖――爪月! 三日月!」
さらに滞空したまま、斬り下ろしと斬り上げの連続コンボを叩き込んだ。
『特技連鎖』。これはFLO特有の、スキルをスキルでキャンセルして次の攻撃に繋ぐテクニックだ。
タクトとの決闘でも無意識的に使っていたこのテクニック。上手く使うことで、今のように空中で連携することもできるようになる。
さらに前の攻撃で弱点を突いていた場合、連鎖後のスキルも弱点攻撃判定となる。
また連携を登録しておくことで、特定のスキルから自動的に連鎖させることも可能だ。
「『一迅』!」
着地の硬直をフロントステップで解除し、スキルによる鋭い一突き。
「特技連携――円月! 三日月! 新月! 連携奥義……『月華乱舞』!」
特定のスキルを連鎖させた時に発動する奥義によって、大ダメージを与えダウンさせた。
「闇を穿ちし聖なる神槍、光を纏いて魔を滅せよ。『セイクリッド・ランス』!」
起き上がりに合わせてリネットが光属性の中級魔法を放つ。
翼や足に突き刺さった光の槍によって、レッド・ドラゴンの動きは大幅に制限された。
光の槍が持続している間は、こちらがほぼ一方的に攻撃できるチャンスだ。
「裂双――ッ!?」
攻撃を続けようとしたボクの頭上から火炎弾が飛来する。
間一髪バックステップで避けたが……今のは目の前のレッド・ドラゴンが放ったものではなかった。
では、何が――
「っ! 上よ!」
リネットの声で、反射的に上を向く。
そこには、巨大な顎から白煙を立ち昇らせる、もう一体のレッド・ドラゴンが飛翔していた。
「リネット! 一旦退こう!」
二体目の出現は想定外だ。このままではボスに辿り着く前に大きく消耗してしまう。
けれどリネットは、前方のレッド・ドラゴンに視線を向けたまま動こうとしなかった。
そうこうしているうちに光の槍が消滅し、レッド・ドラゴンがゆっくりと動き出す。
上空の二体目も急降下の体勢に入っていた。
「リネット!!」
「まだやれるわ」
リネットの足元に、巨大な魔法陣が出現した。
これは……異分子によって強化された魔法のものだ。
「集え、神聖纏いし光の雫! その名を以ちて、我に仇なす敵を討て!」
魔法陣がいっそう光を強めたかと思うと、そこから光の粒子が溢れ、リネットの頭上に収束する。
魔法陣に比例して頭上の光球も輝きを増し、直視できないほどにまで輝きを強めた瞬間――
「『フラッシュ・ディバイダー』!!」
――パゥンッ――!
音を立てて弾け、無数の光の弾丸となってレッド・ドラゴンたちに降り注いだ。
フラッシュ・ディバイダー。光属性の上級魔法だ。
魔法剣士であるはずの彼女がこの魔法を習得できたのは、おそらく何らかの異分子の力を使ったからなのだろう。
上級魔法というだけあり、威力は抜群だ。二体目のレッド・ドラゴンのHPまでも、すでに3割ほど減らしている。
でもそれは、温存していた異分子の力を使ったからだ。おそらくリネットは、しばらく『異分子・至高』の力を使えない。
ほかの異分子も、状況を選ぶため使用が制限されていると聞いた。
ここで勝つことができても、この先に進むのはもはや絶望的だ。
「まだ……!」
もう一度魔法陣を出現させるリネットだが、頭上から降り注いだ火炎弾を受け魔法の詠唱が中断された。
防御体勢もとっていなかったため、HPが一気に危険域まで削られてしまっている。
さらに火傷の状態異常も受けていて……ダメだ、もう戦える状態じゃない。
「逃げるよ、リネット!」
強引にリネットの腕を引いて、扉へと駆ける。
けれど、後方から飛来した火炎弾が扉の前を塞いでしまい通れなくなった。
疾風剣で炎を切り開いている時間はない。なら、一か八か飛び込むしか――
その一瞬の間に、新たな火炎弾がボクたちのすぐ後ろまで接近していた。
(これを受けたらリネットが――!)
リネットを庇うように前に出て防御姿勢をとるが、盾のないボクでは受けきれるかどうかは五分。いや、それ以下だ。
でも、リネットが死なないようにするにはこうするしかない!
「くっ、うぅ……ッ」
前方にクロスさせた剣で火炎弾を受け止める。
ダメージは抑えられたが、それでもHPは半分近く持っていかれていた。
次は防げない。とにかくここを抜けないと。
しかし、防御姿勢を解除した直後、もう一つの火炎弾が接近していた。
しまった。レッド・ドラゴンは2体いた――
「『獅子流星弾』!」
火炎弾がボクたちに命中する直前、背後から飛びだした光の獅子が炎を相殺した。
今の獅子――見覚えがある。後ろから聞こえたのも、聞き慣れた声だ。
間違いない――
「久しぶりね、カナタ。それとも、『カナタくん』って言うべきかしら?」
「――アルナ!」
炎の向こうから現れたのは、軍服のような黒と赤の衣装を身にまとったアルナだった。
「会いたかったよ、アルナ!」
「私もよ、カナタ。 ――さーて、どこから説明してくれるのか・し・らぁ?」
「うっ……それは一から話すと長くなるというか……」
「感動の再会をしているところ悪いのだけれど」
笑顔のまま額に青筋を立てるアルナと、苦笑いするボクの間に、ジト目のリネットが割り込んでくる。
あまり多人数でリネットと話すことがなかったから、こういうのは新鮮――って、何か重大なことを忘れてるような。
「戦闘不能、1秒前よ」
「「あ」」
気付いた時にはもう遅く、ボクたちは揃ってレッド・ドラゴンのファイアブレスによって撃退されていた。




