真実と光明
「『異分子No.7・適応』発見。やりすぎね、お前」
そう言って光の中から舞い降りたのは、群青色の長い髪を靡かせる美少女だった。
年齢は16、7といったところだろうか。身長はボクよりも少し高い程度に見える。
「な、なんだぁ!? 誰なんだあいつはぁ!」
前触れもなく現れ圧倒的な力を見せつけた少女に対し、みんな驚きを隠せないでいる。もちろんボクもそんな一人だ。
この場の全員が見つめる中、少女はトンッという軽い音を立てながら着地する。そして右手を軽く開いた形で顔のあたりまで持ち上げた。
すると光となって消滅したロックワームの粒子が、少女の右手に集まり始める。手に集まった光は徐々に輝きを増していき、1つの大きな光球になった。
さらに少女は左手でアイテムインベントリを開き、そこに光球を収納する。あの球はどうやらボスドロップアイテムだったようだ。
少女は一連の動作を流れるようにこなし、扉付近に集まっているプレイヤーたちの方を一瞥したかと思うと……こちらに、歩いてくる?
目の前まで近づいてきた少女はボクを足先から頭頂部までいぶかしげに見つめ、最後にボクの胸元に視線を移して……「はぁ」と小さくため息を吐いた。
「違った、か……」
「あ、あの……ボクに、何か?」
独り言をつぶやく少女に恐る恐る尋ねてみると、少女は無言でインベントリを開き、そこから薄緑色の液体が入った瓶を取り出してこちらへ差し出してきた。
早く受け取れと言わんばかりにボクを見下ろす少女の目は、切れ長で凛々しさを強調しているかのようだ。しかし長い睫と瑞々しい空色の瞳によって少女らしさも失われてはいない。
緩く閉じられた小さな唇は薄い桜色。シミ1つない頬は雪のように真っ白だ。
そんな美貌を持つ少女に見つめられて少したじろいだボクだが、いつまでも少女を待たせるわけにもいかないため手を伸ばし小瓶を受け取った。
「これは?」
「『霊樹の秘薬』。蘇生アイテムよ。これこそが、グランドベア討伐時に入手できる本当のMVPドロップアイテム。あんな、どこにでも売っているマントなんかとは違う、本当のね。あなたに、渡しておくわ」
「あ……ありがとう。でも、どうしてキミが?」
これは、おかしい。
ボクたちがグランドベアを討伐したことはすでに知られているため、彼女が知っていてもさほど問題じゃない。
でもボスドロップアイテムについては、ボクたちは誰にも、何も話していないんだ。それを彼女が知っていることだけでもありえない。
その上、差し出してきたアイテムを彼女は『本当の』ボスドロップアイテムだと言った。グランドベアを討伐したボクたちのモンスター図鑑にさえ、そのような情報は載っていないにもかかわらずだ。
ボクたちでさえ知らないことを知っている少女。FLOに深くかかわっていることは間違いないはずだ。一体、何者なんだ?
「それは……わたしが、このゲームのGMだからよ」
「GMだって!? キミが!? でも、どうしてこんなところに!?」
彼女が本当にGMなのだとしたら、すべて納得がいく。ゲームに関するあらゆる権限を持つGMなら、ボスの情報も、それを討伐したプレイヤーの情報も簡単に閲覧できるはずだからだ。
しかし、疑問は残る。ゲームを監視する立場であるGMが、こんなところにいることについてだ。ゲームの異常を修復するにしても、GM自身が直接出向いてくる必要はないはずだ。
「説明するのは、難しいのだけれど……」
「ちょっと待ってくれよ! さっきから話を聞いてりゃ、お前GMだって!? だったら早く俺たちをここから出してくれよ! GMならそのくらい出来るだろ!」
いつの間にか近くに来ていたタクトが、少女に向かって大声を張り上げる。その後ろには先ほど扉の近くにいたプレイヤーたちが全員集まっていた。
確かにタクトの言うとおり、GMならボクたちを強制ログアウトさせる権限だって持っているはずだ。
でも彼女はその権限を使っていない。きっと彼女にも、それができない何らかの事情があるんだ。
「ごめんなさい。今のわたしにそれはできないの」
「はぁ!? なんでだよ!」
「……一から、説明した方がよさそうね」
今にも食って掛かりそうなタクトをサナが制している間に、少女はボクたちから少し距離を開けるように歩いていく。
そして手頃な位置で立ち止まると、優雅な仕草で振り向いてボクたち全員と向き合った。
「始めに、自己紹介しておくわ。わたしの名前は天原梨乃。ユーザーネームはリネット。一応……天原グループの令嬢、ということになっているわ」
「天原……」
「カナタ、知ってるの?」
「一応ね」
天原グループ。確か、FLOの販売元であるゲーム会社の親企業だ。全世界で初めてVR技術を完成させたこの企業は、その莫大な資産と規模から今日本で最も巨大な企業の1つとも言われている。
その社長令嬢ともなれば権力は絶大なはず。彼女……梨乃、いやリネットがGMに選ばれたのも、そのあたりが関係しているんだろう。
「その何とかグループのお嬢様が、こんなところで何してるんだよ」
サナに抑えられながら、憤りを隠しきれないタクトが尋ねる。
そのことについてはボクも気になっていた。GMという立場でありながらこんなところまでわざわざ出向いてきているのだから、きっと何か相応の理由があるはずだ。
「……簡単に言えば、失ったGMの力を取り戻しに来た、といったところかしら」
「わけわかんねえぞ……」
「無理はないわ。あなたたちにはもともと関係のない話だから」
頭を掻き毟るタクトから視線を逸らし一度目を閉じるリネット。その様子は、話すべきかどうかを悩んでいるように見えた。
そうして数秒押し黙っていたが、目を開けたリネットは小さく息を吐き、話し始めた。
「ことの始まりはFLOのβテストが始まる直前よ。お父様からこのゲームのGMをするよう言われていたわたしは、参加者たちが揃う前にGM専用のCSコフィンで最後の調整をしていた。けれど、そこで異常が起こったの」
「異常……?」
「GMの権限が、すべて何者かによって乗っ取られていたの。天原グループのセキュリティを掻い潜れる人間がいるなんて、考えていなかったのが失策だったわ。慌てて権限を取り戻そうとしたけど、ダメだった。その何者かによって、有形化された権限がゲーム内にばら撒かれてしまったの」
形を持ったGM権限が、ゲーム内に飛び散った……!?
そんなの一大事だ。もし誰かがそれを手にしてしまったら、最悪ゲームバランスが大きく崩壊する事態になりかねない。
そうか、リネットはそれを回収するために……。
「さらにCSコフィンが強制起動させられ、わたしは気付けばゲームの中に送り込まれていた。ログアウト不可能の異常にもすぐ気付いたけれど、権限を失ったわたしにはどうすることもできなかったわ。その直後にゲームは開始され、わたしは一プレイヤーとしてこの世界を旅することになってしまった」
リネットの話は、すべて事実だろう。
FLOのGM権限が失われたことからこの事件は始まったんだ。
彼女の話から推測するに、犯人は天原グループの内部の人間である可能性が高い。GM権限を奪うなんて芸当は並の人間にはできないことだし、第一外部から何者かが侵入すればすぐ運営側が対策を立てるはずだからだ。βテストの中止がなかったことを踏まえれば、犯人はサーバーに侵入しても問題にならなかった人物だといえるだろう。
でも犯人が分かったところで、ボクたちにはどうすることもできやしない。そんなのは警察の役目だ。
ボクたちにとって重要なのは『GM権限が飛び散った』この一点のみ。
逆を言えば、権限さえ回収できればFLOから出られる可能性が高いのだ。
これは、ボクたちにとって光明が見えたに等しい。
この広い世界の中でログアウトの権限を探し出すのは非常に難しいことだけど、可能性が生まれただけでも大きな進歩なのだ。
「ばら撒かれた権限は、ゲーム中で様々なバグを引き起こしているの。例えば迷いの森のグランドベアや、この部屋にいたロックワームよ。普通ならたとえHPが減っても、あんな風に強化されたり暴走することはないわ。一定量HPが減った時に強力な攻撃を繰り出すようにはなっているけれど」
グランドベアやロックワームの凶暴化は、権限の暴走によるバグだったようだ。これで納得がいった。あの理不尽な強さは、バグでなければ説明がつかなかったから。
「異常を引き起こしているこの権限の塊を、わたしは『異分子』と呼んでいるわ。数は全部で11個。これをすべて回収するのが、今のわたしの役目」
そう言ってリネットはインベントリから先ほどの光球を取り出した。なるほど、あの球が異分子だったのか。
「これはさっき、この部屋のボスから手に入れた『異分子No.7・適応』。他にもグランドベアから『異分子No.4・暴走』、始まりの町では『異分子No.2・至高』を手に入れているわ。この部屋に入ることができたり、ボスを倒せたのはこの『至高』の力。すべての職業、スキル、魔法の力を最大限まで増幅させることができるの。『テレポート』を最大まで強化してダンジョンの最深部に進入したり、光属性の魔法『ホーリー・レイ』で光の柱を形成したり、ね」
異分子は元が権限であるためか、特殊な力を持っているようだ。グランドベアから入手したという異分子にも何か特別な力があるのだろうか。
そういえば、ボクたちがグランドベアを討伐した時には、あの球はドロップしなかった。もしかすると、リネットが倒した時にしかドロップしないのかもしれないな。
でもそうなると、これから先異分子を持ったボスはすべてリネットが討伐することになる。
そんなの……つまらないんじゃないだろうか。
「なぁ。その球をこの先のボスも持ってたらどうするんだ?俺たちの手には負えないわけだし、全部お前が倒すのか?」
ボクと同じことを考えていたらしいタクトが質問すると、リネットは首を横に振った。
「いいえ。この『適応』で、モンスターが一定以上強くならないように最適化するわ。同時に、誰が倒しても異分子を入手できるようにも」
「てことは……ロックワームみたいに、勝ち目がない戦いにはならないんだな?」
「もしボスが異分子を手にしていたら、相応の苦戦は強いられるでしょうけど。必ず、突破口を見出せるようにはなっているはずよ」
「……十分だ!」
うなずいたタクトは、話の内容がよくわかっていない様子のサナの手を引っ張って扉へと歩いていく。
「じゃあな、みんな! 異分子は全部俺らが回収してきてやるよ!」
そして途中で振り返り大きく手を振ると、扉を開けて一目散に外へと飛びだしていってしまった。
「オレらもこうしちゃいられないな。あんなガキに遅れをとるな――――!」
「もし異分子が見つかったらログアウトできるかもしれないのよね?だったら急がなくちゃ!」
タクトに続いて、他のパーティの人たちも扉に向かって駆けていく。
そしていつの間にか、ボス部屋にはボクたち4人とリネットだけが残されていた。
「異分子かぁ。なんだか無茶苦茶な話になってきちゃったわね」
「確かにネトゲ最強の敵はバグだっていうけど、これはちょっと違うよねぇ」
「いいんじゃないですか?私たちが見つけだすことでみんなを助けられるかもしれないんですから。世界を救う旅みたいでなんだかワクワクしちゃいます」
「まっ、それもそうね!」
「みさきちの言うとおりかも! 世界を救う旅……うん! ベタな展開だけど、面白くなりそうだね!」
異分子の存在を知って呆然としていたアルナたちだが、自分たちなりの解釈でやる気を出してくれたみたいだ。
世界を救う旅。そう聞くとボクも込み上げてくるものがある。
ゲームの中というちっぽけな世界だけど、そこにいる人たちを救えるのならボクたちにとっては偉大な冒険だ。
「異分子を見つけたらわたしのところへ持ってくるように、言いたかったのだけれど……」
その横でリネットは、顎に手を当てながらどうするべきか考え込んでいるようだった。
GM権限がないため全員に告知する手段もないようだ。フレンドリストに登録さえしてあれば遠くでも話ができるが、さすがにあんな短時間で全員とフレンド登録するのは無理だったのだろう。
「どこかで会ったら、ボクが伝えておくよ」
「そう」
ボクがそう言うと、リネットももうここに用はないのか外へ出ていこうとする。
「あ、待って!」
それをボクは声をかけて制止した。
彼女にはまだ、聞きたいことが残っているんだ。
「まだ何かあるのかしら。わたしも急いでいるのだけど」
「1つだけ教えてほしいんだ。……異分子は、プレイヤーが手にすることもあるの?」
「プレイヤーが? ……そうね。可能性としてはあるかもしれないわ。まだ何にも同化していない異分子が、何らかの拍子にプレイヤーに取り込まれたりとか、ね」
「そっか……」
「質問はそれで終わり? なら、わたしもこれで失礼するわ」
今度こそ、誰にも呼び止められることなくリネットは外へと出ていった。
……そうか。やっぱり、ボクの予想は間違ってなかったんだ。
ボクのこの身体には異分子が関係している。どんな力を持った異分子なのかは分からないけれど、リネットのもとから飛び散った権限の1つがこの身体の中に存在しているんだ。
これは、リネットに返すべきだ。この身体から異分子を抜き取る方法も、リネットに話せばわかるかもしれない。
でもそれはボクが男に戻ることを……アルナたちとの絆を壊すことを、意味している。
ゲームの改善を取るか、絆を取るか。その選択は、今のボクにはまだ重すぎた。
考えを整理するのは、ひとまずここを出てからにしよう。町に戻って失った剣の代わりも手に入れなきゃいけないし。
「……ボクたちもそろそろ出ようか」
「そうね。またあんな気持ち悪いのが出てくる前に逃げましょ!」
「えー。も一回倒してボスドロ手に入れてこーよー」
「無理ですよ! みなさんボロボロですし……」
「そうよクロ。もう一度挑むにしても、宿で体を休めてからにしましょ。それにマルチパーティの募集もしないと」
「挑むんですか!? またあの気持ち悪いのと戦うんですか!?」
「もちろんだZE! よぉーっし、そうと決まれば明日に備えて急いで宿取りに行きますかー!」
「いぃぃぃいやぁぁぁあああ~~~~!!」
意気揚々と扉を開けるクロを先頭に、泣きじゃくる美咲を引っ張りながらボクたちは薄暗い洞窟を引き返していった。




