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おだやかなもの  作者:
6/8

異変 さらにつづき

 

 すると音を立てて玄関のドアが開いた。誰だっ、と一瞬びくっとしたが、外から入ってきたのは母親だった。うわー外、寒いよーとか言いながら、身体を少し縮こまらせている。それを見て、俺は安堵の息を吐いた。どうやら一人で車を入口まで回していたらしい。

 婆ちゃんが横から、電話はしたのかと母親に聞いた。すると母親は、住職がお寺に居たことと、早くこちらに来るようにと言われたことを伝えた。急いで準備をして待っているとも。

 それをわきで聞いて、俺はいったいなんの準備なんだと思った。

 婆ちゃんは、あたしは家に残るよと言った。爺ちゃんが寝たままなので、実質的な留守番みたいな感じだった。

 しかし俺にとっては、ものすごい不安材料となる。

 寺までは歩いて行けない距離ではないが、ケイトがこんな状態だし、車で運んだほうが良いのはまちがいない。だが、もし車の中でさっきのようなことがぶりかえされたら、とても危険な状況になる。最悪、事故でも起こしてしまうんではないかと思った。不安が極地に達した俺は「婆ちゃん!」と叫んでしまった。

 そしたら婆ちゃんいわく、「お前は男なんだからしっかり守ってやんだよ」と。無茶ぶりじゃないかと思われるような口ぶりだった。

 さっきのような事態を抑え込むなんて絶対無理だと思った俺は、戸惑いを隠さずに婆ちゃんの顔を凝視した。おそらく俺の顔からは血の気が引いていたと思う。

 すると婆ちゃん、俺の胸の内を見透かしたかのようにして言ったんだ。

「さっきのあれはきんばくのまじないでね。たとえ声は出せたとしても、一昼夜ほどは動けまいて……」

 そのときの婆ちゃんの顔は、廊下でアレをやった後の半笑いではなく、何かはるか遠くを見つめる眼というのか、とらえどころのない眼差まなざしを玄関のドアのほうに向けていた。婆ちゃんの頬の筋肉や口辺の感じも、何かしら浮世離れしたような、通常ではない雰囲気に包まれていた。目の前にいるのは実の祖母に違いないんだが、まるでそれが別人のように思われたんだ。

 俺はよくわからないまま「う、うん」と返事をしていた。内容はまるでわからないのに、わかったような感覚がした。うまく説明できないんだが、婆ちゃんの言う通り大丈夫だろう、と思ったんだ。このときは本当に不思議な感覚をおぼえた。

 姉貴は毛布にくるまったケイトを降ろして床に寝かせた。そしてそのあと、母親と何か会話を交わして二階へ戻っていった。しばらくして再び降りてきた。そして、じぁあ行く? とみんなに言った。母親が玄関のドアをあけ、寒いわよ外、と再度言った。もう夜だから、そりゃそうだろうなと思った。

 「よいしょ」と言って、姉貴が再びケイトをおんぶした。俺も横で毛布を持ち上げる。そして、そのまま車まで運んだんだ。

 外はやはり寒かった。というか、予想以上の寒さだった。いつのまにか北の方角から風が吹いていて、空の上には雲が覆いかぶさっていた。星の姿は全く見えない。何か陰欝とした空模様だった。

 母親と姉の二人でケイトを後部座席に乗せ、母親は運転席に行った。俺は姉から手渡された荷物を持って後部座席に乗り込んだ。

 外に出て見送りする婆ちゃんに手を振り、俺達は寺に向かった。



 ケイトを車に乗せて、北風がびゅーびゅー吹く中を寺へと急いだ。徒歩で行ける圏内だったが、やはり車のほうが良かったとみんなで言い合っていた。とはいえ、またケイトに異変が生じるとも限らない。婆ちゃんはああ言っていたが用心せざるを得なかった。なにしろ車にいる全員がさっきのケイトの乱心を直接目の当たりにしている。油断は全くできなかった。

 ケイトも暴れることなく安定している様子だったので、おれはこれからのことを考える余裕があった。

 ケイトが心配で家に残るつもりはなかったし、家族も俺が一緒についていくことに反対をしなかった。婆ちゃんなんか、さも当然といった口ぶりだった。だから自分もついていった。ケイトをつれていく場所が病院ではなく寺であることが、なんともいえず不気味には思ったが、寺に行けば坊さんがいるし、婆ちゃんの頼んだ相手ということで心強くもあった。

 ただ、これから起こることがもしわかっていたとしたら、俺らついていくのをためらったかもしれない。

 いろいろと考えながら、俺は車の後部座席で姉と一緒にケイトを注意深く見守っていた。

 姉貴はケイトを間にはさみ反対側に座っている。その表情を見てみると、気丈には振る舞っているが、やはりケイトを見つめる眼差まなざしというのはとても心配そうな様子だった。

 そのまま道を進み続け、運転する母親が、「見えてきた。もうすぐ着くよ」と言ったときのことだった。

 もともと透き通るよう白い顔をしたケイトがさらに青ざめたような顔をして、「アイムカミン、ヘル、ヘル」とか言って、その後、笑いだしたんだ。

 となりに座る俺にはそれまでの安定ムードが一気に吹き飛んで、身体を緊張が走り抜けた。

 だがケイトは笑い声を立てているだけで、動こうとはしなかった。俺と姉貴は身構えてじっとしていた。ケイトはやはり動かなかったから、車は止まらずそのまま走り続けたんだ。

 ケイトは時おり「アハハハ、ハヒ、ハヒ、フヘヘ」とか言って笑い出す。これがまじで怖かった。笑い声の合間には「ヘル、ヘル、ヘル、ヒアズヘル!」とか言ってる。しかもその声というのが、まだ普通だったときの天使のような美声ではなくて、何か地底の奥底のほうから鳴り響いてくるような感じの声なんだ。

 俺はたじろいていたが、その間も姉貴は黙ってケイトの両手をぎゅっと握っていたんだ。

 車の中という閉鎖的空間がそうさせたのかもしれないが、姉は俺と違ってしっかりしてたように思う。そのときの様子は、今でも良く憶えているんだ。

 もしかしたら女の勘というやつで、姉は何かしらに気づいていたのかもしれなかった。

 とにかくそのまま車は走り続け、どうにかこうにか寺へ到着することができた。

 寺の駐車場に入り車を止めたときには、ケイトは再び静かになっていた。というか、頭を前に深く傾け、ぐったりとした感じだった。

 俺はかなり心配になった。婆ちゃんの言った通り、言葉は発したが身体が激しく動くことはなかった。不気味な笑い声をたてたときに少し揺れたくらいだ。

 ただ婆ちゃんが俺にかけた言葉というのは、ケイトの身体になんらかの束縛らしきものを与える感じだったので、ひょっとしてケイトの肉体や心は苦痛のうちにあるんじゃないのかと思った。

 とりあえずここまではなんとかしのいできたのだとしても、そのへんのことはやはり気掛かりだった。




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