異変 つづき
一階に降りて、爺ちゃんと婆ちゃんが暮らす部屋のドアを開けると、電気をつけっぱなしのままにして爺ちゃんが布団の中に横になっていた。
二階はとんでもない状況となっていたが、そんな事態とうらはらに、爺ちゃんは心地好さげにいびきを立てて寝ていたんだ。
どうも爺ちゃんは疲れきっているんだという話を婆ちゃんから聞いていたから、起こしちゃうのはかわいそうだと思い、そのまま眠らせておくことにした。
仮に起こして現在の事情を説明したところで、すぐに理解できるものでもないと思った。それに、こんなことを言うと爺ちゃんに悪いんだけど、あーだこーだと、また一悶着が生じて、収拾がつかなくなってしまうような気がしたんだ。爺ちゃんは何かと我を通すところがあった。
眠れる虎をわざわざ起こす必要もないだろうと思って、爺ちゃんの寝ているわきを忍び足で通り、押し入れのふすまを静かに開いてみた。
あけてみると、中にはふとんやそれ以外のいろんなものが雑多に入っていた。二人の専用の部屋が一つしかないからということもあったが、やはり年寄りというのはいろいろと物を貯め込むもんなんだとつくづく思った。
前に友達の家に行ったときも、やはり友達の婆ちゃんも、たくさんの物を貯め込んでいるらしい様子に見えた。箱にいれたり風呂敷に包んだりとすごいことになっていたんだが、うちでも同じようなもんだと妙な納得をしていまったことを憶えている。物の無い時代に育った人は特にそうなのかもしれないが、昔の人は物を粗末にできないというか、もったいないという意識が今の人に比べて強いんだと思った。
そんなことを考えながら、いったい毛布はどこにあるのだろうと、押し入れの中をきょろきょろとうかがっていた。
しばらくのこと探ってみたところ、ふとんのわきのごちゃごちゃとした中にに、ピンク色をしたそれらしきものがあるのを発見した。
引っ張り出し、手で拡げて見てみると、サイズは人一人分くらいがくるまるほどの大きさだった。
はっきりした確信はなかったけれど、おそらくこれなんじゃないかと思い、そのまま押し入れを閉じた。
俺は毛布を手にして、また静かに部屋を出ていった。
ドアを閉じるすんでに、もう一度爺ちゃんのことを見てみたんだが、やはり爺ちゃんは、んぐーんぐーという寝息を立てて眠っているだけだった。少しうらやましかった。
爺ちゃん婆ちゃんの部屋を出た俺は、その足で両親の部屋にも顔をのぞかせてみることにしたんだ。
廊下の先を見ると、両親の部屋はドアがあいていて、中からは明かりが漏れていた。入口まで行って部屋の中をのぞいてみると、たんすを開き何かを取り出そうとしている母親の姿があった。
母親は俺の姿に気づき、こっちに一瞥をよこすと、俺が手に持っている毛布について問いただしてきた。
婆ちゃんに頼まれたんだと俺は答えた。しかし、このときは、内心、突然の事態に気がどうてんしていたから、思いがけず本音がこぼれ出てしまった。少し泣きそうになりながら「これからどうなっちゃうの?」と、母親に聞いたんだ。
すると母親はあわただしくたんすから何かを取り出しながら、近くの寺に行くことになったと言うんだ。そして、それは婆ちゃんの意見だと付け加えた。
俺んちのすぐ近くには、昔からのお寺が一つある。現在のその寺の住職というのが婆ちゃんとは古い知り合いで、いろいろなことで融通が効くらしいから、と母親は言った。
だが俺はその言葉を聞いて、寺に何しに行くんだ? と思った。
そのとき俺が持っていた知識といえば、お寺というのはお墓のある場所で、死んだ人がその最後の締めくくりのお葬式をするところだということだった。
俺は思わず、ひょっとしてケイトは死んじゃうの? と思った。
急に悲しい気持ちが、心にすべり込んでくる感じがした。
アニメとか漫画とかゲームだったら、死んだ人はわりと軽く、たいして苦労せず生きかえったりする。けど、現実はそうはいかないだろう。それがわかっていた。
しかしその一方で、さっき婆ちゃんが言ってたと思われる、まだ間に合うという言葉が思いかえされていた。
とにかく急がなきゃならないと思い、俺は両親の部屋を後にして階段を駆け上がって行った。
二階にあがり姉の部屋に戻ってみると、残った三人の姿が目に入ってきた。さっき部屋を出ていったときと変わらない様子に見え、少しほっとした。
俺が毛布を持った手を前に出しながら「これでいいのかな?」と言うと、そうこれこれ、ありがとねと婆ちゃんが毛布を受け取った。お使いを無事果たせて良かったと俺が満足していると、婆ちゃんはケイトの身体に毛布をかぶせた。
そして姉貴がケイトの上半身を起こし、婆ちゃんはケイトの背中に毛布を巻き付けていった。
俺はというと、その様子をそばで見ながらそのまま立っていた。また何か指示が飛ぶかもしれないと待機中だと言ったほうが正しいかもしれない。
すると姉貴が、お母さんはどうしてたって聞いてくるから、何か準備してたよって答えた。
ケイトの身体を毛布でくるみ終わった。これから下に運ぶという。
身体半分起こしたままのケイトの向きを変え、背中を婆ちゃんが支えつつ、姉貴がケイトの前に腰をかがめた。
姉貴がケイトをおぶるんだなと思った俺は、ケイトの背中に回って婆ちゃんと一緒に支えようとした。そしたら婆ちゃんが、お前は横で毛布が足に引っ掛からないように持ってろって言うから、言われた通り姉貴のすぐ横に移動して毛布の袖をつかんだ。
間近からケイトの様子を見てみたんだが、長く綺麗な金髪に 隠れて顔の表情はわからなかった。ただ、身体はぐったりとしていて、まるで生気を失っているような感じだった。
いいかい行くよ? と婆ちゃんが声をかけたので、姉貴が、いいよと返事をする。ケイトをおんぶした姉貴が立ち上がり、俺も毛布をつかんだまま横に立った。婆ちゃんは、ケイトの背中を手で支えている。
そのままゆっくりと廊下に出て階段の前まで歩いた。
階段の幅を考えるとそのままでは通れないので、横にいる俺は後ろに回り込むことにした。二、三段、順調に進んだ。大丈夫行けそう、と姉貴が言う。
しかしそこで事態が急変した。
ケイトの身体がびくんと跳ね、もぞもぞと動きだした。
姉貴は何、何? と狼狽する。
俺は思わず、止まって、止まって! と叫んだ。まずい状況になりそうな予感がした。
、と、そのときだった。
となりにいる婆ちゃんが何か動き始めた。見ると、人差し指と中指の二本をまっすぐに伸ばして、ケイトの背中に手刀を切るような動作を何度か繰り返した。それから手の平を広げたと思ったら「えぇい! えーい!」と叫んだ。それはまるで、ケイトの身体に目に見えない気迫めいたものを注ぎ込んでいるような動きだった。俺は半ばぽかんとしてその様子を見ていたが、ケイトはというと再び動かなくなったんだ。
今のは「ききょう」と言ってね、一時の効き目があるんだよ、と婆ちゃんが言った。聞いた俺はスゲーというよりもこえーのほうが上回っていた。そのときの婆ちゃんの表情というのが、薄暗い中での半笑いだったのもめちゃめちゃ不気味だった。
さあぐずぐずしないで行くよ、という婆ちゃんの掛け声を合図にして、先頭に立つ姉貴が再び階段を降り始めた。
俺はケイトと、そして婆ちゃんの両方にガクブルだったが、姉貴が頑張っているから自分もしっかりしなきゃだめだと毛布をつかむ手に再度気持ちを入れた。周りから物音は聞こえない。階段はかなり薄暗かった。
このシチュエーションで姉貴がいてくれて、本当に助かったと思う。姉貴は普通だったから。もし姉貴がいなかったら、俺の心はどうなっていたことやら。
なんとか階段を降りた俺達はそのまま玄関に向かった。誰もいない玄関前に、毛布にくるまったケイトの身体を下ろした。姉貴の顔をうかがってみると、なんとか一仕事終え、少しほっとしたようだったが、顔色はやはり青ざめていて目が気持ち吊り上がっていた。矢継ぎ早に信じられないことが起こっているのだから、無理もないと思った。