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前編

 Kが自殺した。

 

 俺がそれを知ったのは、奴の恋人からの電話でだった。

「Kが頭から血を流してるの、どうしよう」

 要領を得ないそれだけの言葉で、俺は奴が「ついにやった」のだと理解した。殺されたとは微塵も思わなかった。驚きもなかった。衝撃はあったが、それは恐れていた事態がとうとう起こってしまったことへの、諦念混じりのそれでしかなかった。

 ずっと前から、俺はこのことを予感していた。

 わかっていながらみすみすKを死なせたのだ。だがこの時、俺が感じたのは罪悪感でも悲しみでもなく痛みを伴った安堵だったと言ったら、良識ある連中は眉を顰めるだろうか。

 Kは死ぬしかなかったし、死んだ方が幸せな男だった。

 ずっと前から、俺はそのことを知っていた。

 実際にKの死を伝えられても、その結論は覆らなかった。今でもそうだ。奴は結局のところ、死ぬために生まれてきた男だったのだろうと、俺は今でもそう思っている。




 Kは、陳腐な言い方をすれば、いわゆるロックスターってやつだった。

 彗星の如く現れた、アメリカ音楽界の寵児。永遠の反逆者。ロックの革命家。Kの生前も死後もこんな使い古された謳い文句が後を絶つことはなかったが、奴自身はそうやってステレオタイプの偶像に押し込められることを何より嫌っていた。

「凡人共の錆びついた感性に理解できるほど、俺は平凡な人間じゃねえよ」

 Kはしばしばそう言って憚らなかった。

「よくもまあ似たようなことばっかり繰り返して、恥ずかしくねえのか。ロックスターだ、天才だ、カリスマだって、何度目だよそれ。何の取り柄もない凡人が、才能がどういうものかなんてわかるのかよ」

 辛辣で、尊大この上ない。

 成功で図に乗っているのではなく、Kというのはもともとそういう男だった。俺がKと知り合って一緒にバンドをやり始めたのは一九八七年……二十歳の時だったが、その頃既にKはKそのものであり、呆れるくらいに高慢ちきな餓鬼だった。

 出会ったのはライブハウスだった。

 せまっ苦しい箱に押し込められて、騒音一歩手前の音の洪水に浸ることの何があそこまで楽しいのか、自分のことながらさっぱりわからないが、とにかく俺は飯を食うよりも音楽が好きないかれた……そこそこいかれた落ちこぼれの一人だった。 

 その日の俺は、ライブに完全に退屈し切っていた。

 出演していたバンドは凡庸もいいところだった。そこそこのヴォーカルに、そこそこの演奏、どこかで聴いたような、五分もすれば忘れちまいそうな曲。耐えられないほど酷くは無い。でもそれって、罵られるより悪いことだろ?

 飽き飽きして、帰ろうと後ろを振り返った時に、ふと目に留まったのがKだった。

 ぼろぼろのTシャツとジーンズを身に付けた、痩せぎすの金髪の男。俺同様に退屈し切っているのは一目瞭然で、ただ俺と違ったのはバンドに見下すような視線を向けていたことだ。まるで自分が奴らの及びもしない高みにいるかのような目つきだった。観客の群れの中で、その姿は異質で、浮き上がっていた。

 俺が見ていることに気づくと、そいつは「何だよ」と言いたげな冷笑を浮かべて、会場を出て行った。

 俺はその背中を追いかけた。何でそうしたのかはわからない。どう見たって性格の良さそうな奴じゃないし、何を話したかったわけでもないのに、俺は吸い寄せられるように奴を追って外に出た。

 夜の冷たい外気が頬を撫でると同時に、煙草の匂いが鼻を掠めた。

 振り返ると、Kはすぐそこにいた。暗い路地でも、その青い目が妙に印象的だった。

「――お前、ゲイ?」

 壁に寄り掛かったKの、遠慮も何もない質問に俺はたじろいだ。

「いや、違う」

「ふうん。じゃあ何で俺のケツ追っかけてきたんだよ」

「それは…」

 わからないんだ、と白状するのはいくらなんでも馬鹿みたいだ。が、上手い理由が思いつかない。そもそも理由なんて無いのだから、当たり前だ。幸いと言うべきか、Kは無関心と嘲笑の混ざった目で、じっと俺を見つめて「お前、今のライブどう思った?」と唐突に訊ねてきた。

「どうって……別に何も」

 下手な嘘は通じないと直感的に悟っていたから、俺は正直に答えた。果たしてKは愉快そうに笑った。聞いていて寒気のするような笑い方だった。

「あれ、俺の元バンド仲間」

「え」

「救いようねえだろ。ブラック・サバスの出来損ないみてえな音だ。あんなのを人前で垂れ流すくらいなら、俺は死んだ方がましだね」

「……そうだな」

 死んだ方がまし、とまでは言わないが、自分だったらあんな曲は作らない、とは思った。俺も少し前に、音楽性の違いからバンドを脱退したばかりだったから、言い方はともかくKの心中は察することができた。

 Kはそこで笑いを引っ込めて、まじまじと俺を見返した。

 初めて俺個人に関心を持ったような目だった。

「……お前、名前は?」




 その一年後、俺とKは一緒にバンドをやり始めた。

 俺がベースで、Kがヴォーカルとギター担当だ。ドラムはなかなか居着かなかった。というのも、Kが次々と首にしていったからだ。最終的にKを満足させる腕を持ったDが加入するまでの三年間、あいつは常に苛々していた。もともと他人に配慮するような性格じゃないから、そうなるとバンド内の雰囲気は最悪だった。

 だがそれでも問題は無かった。

 Kがまさしく天才だったからだ。

 あらゆる面で、奴には有り余る才能があった。作曲センス。歌唱能力。ステージでの存在感。全てにおいて神憑っていた。Kの前では、凡人であることこそ罪だった。幸いにもKは俺の演奏能力には合格点をくれたようで、死の直前まで追い出されることなく、才能を近くで見続けることができたのは、俺にとって生涯最大の幸福だった。

 あいつが流行りのヘヴィメタルやステレオタイプのロックを否定するような斬新なメロディを生み出すたびに、魂をかきむしる様な歌をマイクに乗せるたびに、気がふれたようにステージ上で暴れ回るたびに、俺は畏れさえ感じていた。

 自分が何かとんでもない奇跡を目の当たりにしているんじゃないか、と考えたこともある。そして怖くなった。奇跡はいつまでも続かない。

 実際、Kは作曲にしても歌にしてもまるで命を削っているかのような没頭ぶりだった。

 普段は自分からべらべら喋るタイプじゃなかったが、こと音楽に関しては饒舌で、妥協がなかった。

 意見が食い違った時なんて、酷いもんだった。Kは絶対に引かないし、奴の才能を疑わない俺だって、常にはいはいとは言っていられない。大抵の場合、怒り狂ったKはギターを投げつけて出て行っちまうもんだったが、そんな時、奴が二度と戻ってこないんじゃないかと俺はひやひやした。




 それでも何とかやっていけたのは、俺とKに共通する部分が多かったからだろう。

 二人とも当時流行りの音楽を馬鹿らしいと思っていたし、それを有難がる元バンド仲間に怒りを感じていたし、親が離婚して貧乏だって境遇まで同じだった。

 Kを語る上で、やっぱり親のことは避けて通れない話題だろう。なぜかと言えば、あいつという人間を作り上げた礎であり、あいつが音楽に心血を注ぐようになった遠因でもあると思うからだ。

 と言っても、実のところそのことについて俺は詳しく知らない。俺たちがブレイクしてからも、Kが死んだ後もマスコミ共はKの生い立ちに興味津々で、雑誌にも新聞にもその手の情報は溢れ返っていたが、K自身はそのことを話したがらなかった。別に秘密主義者ってわけじゃない。事実、故郷のアバディーンのことは田舎だなんだと糞味噌に貶していたし、ハイスクール時代に友達がいなかったなんてことも堂々と公言していたくらいだ。

 奴が親について話したがらなかったのは、それだけ傷ついていたってことなんだろう。

 Kが繊細だと言うと、奴を直接知っていた人間ですら意外そうな顔をするが、あいつほど感受性が鋭くて人の感情に敏感な男はいなかった――健全に生きるには敏感すぎたとも言えるが。

 そういうわけで俺はKから直接、奴の家庭環境の実態を聞いたことはなかったが、ある音楽雑誌でKが答えているインタビューを見つけたのでここで紹介しておく。余談だが、この時のKは素面じゃなかった。酒かドラッグか、あるいはその両方か……時期的に多分、酒の方だろう。それなしでこれほど饒舌なわけがない。それでも、Kという人間の本質にいくらか迫ることはできると思う。




 ――あなたがたのメジャーデビューアルバムがビルボードチャート一位になったことについて、どのように受け止めていますか?

「最高だね。音楽で認められるのは俺の夢だったし、これであいつらを見返せたんじゃないかな」

 ――あいつらとは?

「俺の周りの連中。家族とか、学校で俺をぶちのめしてた体育会系の奴らとか、元バンド仲間とか。今になって俺に取り入ろうとしてて、笑えるけどな」

 ――ご両親は離婚されていますね。それがあなたの音楽活動に何らかの影響を与えたと思いますか?

「ああ。俺が八歳の時に、両親は離婚した。ショックだったよ。俺は二人を愛していたし、二人も俺を愛していると思ってたからな。実際は、俺は親戚中をたらい回しにされた。どこに行っても厄介者さ。それを露骨に出すか、そうでないかって違いはあったけど。で、気づいたんだ。自分以外の何かを信じるなんて馬鹿げてるって。その気持ちがなかったら、ここまで音楽に打ち込めたかわからないな」

 ――つまり、周囲への反発心が音楽に打ち込む原動力だった?

「俺が周囲に反発したんじゃない。周囲が俺を拒絶したんだ――ま、どっちでも同じことか。とにかく俺は暗い餓鬼だったよ。八歳の時から、死ぬことばっかり考えてた。でも十四の誕生日に伯父さんがギターを買ってくれてさ。それを初めて触った時にわかったんだ。これが俺のやるべきことなんだって」

 ――当時から自分の才能を確信していたんですね。

「こんなに売れるとは思ってなかったけどな。売れたいとは思ってた。俺のやってる音楽が認められるってことは、俺自身が単なる屑じゃないって証明になると思ったんだ。少なくとも、一つは取り柄のある奴だってさ。でも金とか名誉とか、そういうものが欲しかったわけじゃない」

 ――しかしこの成功で、あなたはアメリカ中に名前を知られたわけでしょう。莫大な富も名声も手に入れた。それに何の価値も感じていないと?

「あんたにはわからないよ。随分前から気づいてたことだけど、俺のモラルとか価値観は、普通の人間とは大幅にずれてるんだ。俺がいいと思ったことは世間から顰蹙を買うし、逆に俺には到底耐えられないようなことは公然と受け入れられてる。現に俺が『金も名声も要らない』ってどんなに言ったところで、白々しいし偽善的だろ。でも本音を言ってるのにそう思われたら、俺だって傷つく。だから……俺は、俺の思ってることや感じてることを、本当は他人に知ってもらいたくないんだ」




 本人が言うとおり、Kという男の精神構造は、常人とはずれていたのだろう。俺はあいつが陽気にばか笑いしているところを見たことがない。まずナイスガイなんて言葉は似合わなかった。その気になれば社交的に振る舞うこともできたが、他人との交流を心から楽しんでいたことはなかったんじゃないかと思う。そしてそのことに後ろめたさを感じていた――多分、他人の考えていることがわかりすぎたせいだろう。いつも憂鬱そうで、音楽に関わっていない時は心ここにあらずな目をしていた。ライブになればぶっ倒れるまで暴れ回るし、好き嫌いがはっきりしていて有名バンドだろうが容赦なく批判したり、それを通り越して喧嘩さえ売っていたから、傲慢で自信家に見られることが多かったが、音楽に対するこだわりを取ったら、案外残るのはコンプレックスの塊だったのかもしれない。

 でなければ、あんな風に歌えないだろう。

 Kは、声質そのものは決して美声ではなかったし、裏声が綺麗に出るとか声域が広いとかそんな強みもなかった。それでも、あいつの歌は誰よりも心に突き刺さる歌だった。滅茶苦茶に叫んでいるようでも、そこに込められた怒りや痛みに聴衆を引きずりこむパワーがあった。

 つまり何が言いたいのかというと――あいつの本当の心が知りたかったら、面と向かって喋るんじゃなく音楽を聴くべきだ。

 バンド結成からKが死ぬまでの七年間で、俺たちはアルバムを三枚出したが、一枚目はインディーズで完全に好き勝手に作った代物だった。荒削りで、レコーディングなんて十日で済ませた勢いだけの作品だ。このアルバムには、K曰く「ビートルズを目指した」ポップソングが一曲だけ入っているが、それ以外はKの内面を表すかの如く、嵐のように荒々しく激しい。

 音を感情に例えられるとしたら、怒り、憎しみ、鬱屈……そんなもので溢れていた。洗練とは程遠い。だが今にして思えば、この頃が最も純粋に音楽に取り組めていたのかもしれない。

 このアルバムは、大成功とまではいかなかったが、そこそこに売れ、そこそこに評価も得た。滑り出しとしては上々だ。丁度ドラムのDが加入して、俺もKももっといいものを作ろうと張り切った。

 そして二年後に完成したアルバムが――「N***」だった。

 満を持してのメジャーデビューってやつだ。音はよりポップに、大衆受けを考えて作った。バンドの三人ともが、これが自分たちのキャリアにおいて大事なアルバムになるってことをわかってた。特にKは昼も夜も「N***」のことばかり考えていた。あいつにとってはまさに命がけの仕事だったに違いない。上のインタビューからもわかるとおり、Kの音楽が認められるってことは、K自身が認められるってことと同義だった。仮に「N***」がこけていたとしたら、あいつはやっぱり絶望して自殺していただろう。もっとも、K本人にとって三年の延命がどういう意味を持っていたのかは、今以てわからないが。




 結論から言うと「N***」は予想以上に売れた。馬鹿売れした。

 評論家どもはこぞって「ロック新時代の幕開け」だの「新たなカリスマ」だの喚き立てたし、ティーンエイジャーや主婦まで俺たちのCDを買い漁った。アメリカだけで一千万枚は売れただろう。一夜にして俺たちはスターになった。特にほとんどの曲を書いて、フロントマンでもあったKには誰もが注目し、マスコミはその生い立ちから人間性まで何もかも暴き立てようと躍起になっていた。

 ここで言っておきたいが、Kの死の原因が、この過剰な注目――つまり、成功による急激な環境の変化に耐えられなかったからだという意見は、大いなる間違いだ。

 確かに自分たちがこれほどの熱狂をもって音楽界に迎えられるとは思ってもみなかったが、アルバム制作において「大衆に受けるように」作曲をしていたのは他ならぬK自身だ。晩年のKの口癖が「成功なんて糞食らえ」だったせいで、予期せぬ大成功に翻弄された悲劇のスター、というレッテルを貼られてしまったが、自分の作品がどの程度の出来で、どんな評価を受けるのかということを、Kは的確に把握していたと思う。完成したアルバムを聴いたKが一度だけ、子供みたいな笑顔を見せたのを、俺ははっきり覚えている。

 Kが本当に振り回されたのは周りの騒音じゃなく、自分の内側の葛藤だった。

「N***」がもてはやされ、面白いように売り上げが伸びる一方で、Kはスランプに陥った。いや、スランプという言い方は適切じゃないかもしれない。多忙の合間を縫って何曲か作曲もしていたし、クオリティが落ちたとか何も浮かばないとか、そういうことはなかった。

 ただ何が不満なのか、書いても書いても全部ぼつにしちまって、どんどん機嫌が悪くなっていくのが傍からもわかった。おかしなことに、K自身も自分の作った曲に具体的な不満があるわけではないようだった。メロディが気に食わないとか、フックが足りないとか、インパクトがないとか、歌詞が上手く乗らないとか、そういうことではなかったようだ。

 だから俺にもDにも、どうしようもなかった。やろうと思えば俺もDも作曲できたが、それはKの才能の前では一段劣るものであったし、である以上、音に関して異常に厳しいKを納得させられるわけがない。

 しかもスランプとほぼ同時期に、Kは原因不明の頭痛に悩まされるようになった。

 それは前触れもなく起こった。特にライブ前に多かった。何となく痛いなんて生易しいものじゃなく、激痛ってレベルだった。ライブの十分前だってのにKが楽屋でのたうちまわり始めたら、もうどうしようもなかった。

 そんな状態でも、Kは一度としてステージをキャンセルしなかった。痛みを誤魔化すためだろうが、暴れっぷりはますます激化して、一晩に何本もギターはぶっ壊すわ、大袈裟に倒れて見せるわ、口汚く観客を罵るわで酷いもんだったが、そんな姿も不思議と絵になる男だった。「全員くたばれ」とあの冷笑を浮かべた目で言って、あそこまで熱狂される人間を俺は他に知らない。




 Kがスランプになって暫くしてから、俺は奴と一戦やらかしたことがある。それは移動の車の中でのことだった。二人とも後部座席に座っていて、俺がKに曲の進行状況を訊ねた。Kは、全然駄目だ、とかそんな意味の答えを返してきた。まるで興味のなさそうな態度が、この時は無性に癇に障った。

「いつまでかかるんだよ」

「知るかよ」

「いい加減にしろよ。俺は一発屋で終わりたくねえんだ。勿体ぶってるうちに、飽きられたらどうするんだよ。また貧乏生活に戻りたいのか?」

「俺は平気だね。糞みたいな成功に浮かれて魂を売り渡すくらいなら、いつだって掃除夫に戻ってやるよ」

 蔑むようなKの目は、俺を苛立たせた。綺麗事だが、こいつは心から本気で言っている。この男は、音楽に対して一切の妥協が出来ないのだ。そして自分と同じような気持ちで取り組めない俺を、責めている。

「大体」

 と、咄嗟に反論できない俺を横目で見ながら、Kは唇を歪めた。

「一枚目だって、俺は『N***』と同じくらい良い出来だと思ってたのに、セールスは桁違いだろ。今売れてんのは、たまたまだよ。飽きられる時は、どんなにあがいたって飽きられる」

「芸術家気取りの次は、卑下かよ。お前が何に不満なのか知らないけどな、お前が簡単にごみ箱に放り込んでる曲の山にも『N***』にも、お前が思ってるほど違いなんてないぞ」

 俺の語尾に被せるように、ごん、と鈍い音がした。見ると、Kが側頭部を窓ガラスにぶつけたところだった。

「おい…」

「うるせえな。喋るな」

 Kは頭を押さえて、呻くように言った。例の頭痛らしい。

「大丈夫かよ」

 流石に心配して訊くも、顔を上げたKの視線に息を呑んだ。Kはもともと、妙に目力のある奴だったが、この時はそのくすんだ青い目に炎が宿っているようだった。

 言葉をなくす俺に、Kは「書いてやるよ」と絞り出すような声で言った。

「あんなものでよければ、書いてやるよ、いくらだって――いくらだって、書けるんだ」

 

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