15笑
「おいしそ〜う!」
「なんだこの輝きは! まるで宝石箱をひっくり返したようだ!」
「『サーモン・サピエンス』? よくわからんが、食べた者が新人類になれるということか? 素晴らしい! いくらだね!?」
会場は、狂気に包まれていた。 いや、違う。 こいつらは「金持ちすぎて危機感という神経が麻痺している」のだ。
モニターの不気味な犯行予告も、会場のロックも、彼らにとっては「西園寺家が用意した余興」にしか見えていない。
目の前には、七色に発光する毒入りムニエル。 VIPたちは、涎を垂らしてナイフとフォークを構えている。
「やめろォォォッ! それは毒だ! 食べたら鮭になるぞ!」
俺は絶叫しながら、最前列のテーブルにスライディングした。
「いただきまー……ぐべらっ!?」
石油王(推定)がフォークを口に運ぶ寸前、俺の回転蹴りがテーブルを直撃。 ガシャンッ!! 皿ごとムニエルが宙を舞い、シャンデリアに激突した。
「な、何をする君は!」
「命拾いしたな石油王! 礼はいらねぇ、とにかく口を開くな!」
「カケル! 右です! IT長者が口を開けていますわ!」
アリスがステージ上から指示を飛ばす。 彼女はマイクを奪い取り、演説をぶっていた。
『皆様、聞いてください! その鮭は腐っていますの! 賞味期限が3年切れてますわ!』
「嘘つけ! こんなに光っているのに!」
「発酵して光っているのです! お腹を壊しますわよ!」
(苦しい言い訳だ! でもそれしかねぇ!)
「ええい、邪魔だ小娘! ワシは新しい味に飢えているんじゃ!」
IT長者が強引にムニエルを頬張ろうとする。 その瞬間。
ヒュンッ!
銀色の閃光が走り、長者の手からフォークが弾き飛ばされた。
「なっ!?」
「食事のマナーがなっていないぞ。……『待て』と言われたら待つのが犬だ」
ポーラだった。 ドレスのスリットからナイフを取り出し、投擲したのだ。 彼女はテーブルの上に仁王立ちし、VIPたちを睨みつけた。
「全員、その手にある銀食器を置け! さもなくば、次はカツラを狙うぞ!」
「ひぃぃっ! 私の植毛が!」
「カケル、ポーラ! キリがありませんわ! ウェイターを止めて!」
アリスの言う通りだ。 洗脳されているのか、あるいは何も知らないのか、ウェイターたちは機械的に毒入り料理を配り続けている。 その数、50人以上。 多すぎる!
「くそっ、どけ! 俺の前を塞ぐな!」
俺はタキシードの袖をまくり上げ、ウェイターの群れに突っ込んだ。
「失礼します!」
ドゴッ!(ボディブロー)
「お客様、配膳は中止です!」
バキッ!(手刀)
「お皿、お下げしますねー!」
ガシャーン!(テーブルごとひっくり返す)
俺は会場を走り回り、配膳カートをなぎ倒し、VIPの手から皿を奪い取った。 もはやテロリストだ。 どう見ても俺たちが乱入者だ。
「警備員! 警備員は何をしている! この暴漢を取り押さえろ!」
VIPの一人が叫ぶ。 しかし、警備員たちは動かない。 彼らは壁際で直立不動のまま、虚ろな目で宙を見つめていた。
「……おい、様子がおかしいぞ」
俺はウェイターの一人の腕を掴んだ。 反応がない。 目が焦点合っていない。 そして、その首筋には……小さな**「赤い鱗」**のようなものが浮き出ていた。
「嘘だろ……。こいつら、もう感染してやがるのか!?」
「カケル! 下がれ!」
ポーラが叫び、俺を突き飛ばした。 その直後、ウェイターが隠し持っていたナイフを振り下ろした。
ザシュッ!
俺がさっきまでいた空間が切り裂かれる。
「ギギギ……サーモン……サーモン……」
ウェイターが呻く。 その声は人間のものではなかった。
「感染拡大だ……! 料理を食べる前から、もう始まっていたのか!」
「空気感染!? いいえ、違いますわ!」
アリスが天井を指差した。 空調の吹き出し口から、薄っすらとピンク色の霧が噴き出している。
「スプリンクラーです! 霧状にしたウイルスを撒いていますわ!」
「料理は囮かよ! 手が込んでやがる!」
会場に悲鳴が上がり始める。 霧を吸い込んだVIPたちが、次々と喉を掻きむしり、倒れていく。 そして、数秒後にはゆらりと立ち上がり――
「ギギ……サケ……サケ……」
虚ろな目で、まだ感染していない人間(俺たち)を見つめた。
「ゾンビ映画の開幕だ……!」
俺は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。 扉はロックされている。 会場は鮭ゾンビで溢れかえっている。 そして俺たちの武器は、空手とナイフと扇子だけ。
「お父様! お父様はご無事ですか!?」
アリスがステージ上の剛三に駆け寄る。 剛三はマイクを握ったまま、呆然と立ち尽くしていた。
「……アリスか」
「お父様! しっかりして! 息を止めて!」
「ああ……私は大丈夫だ。この『剛毛』がフィルター代わりになっているからな」
剛三は自慢の口髭を撫でた。 (鼻毛じゃなくて口髭で防げるのかよ!)
「しかし……私の可愛いゲストたちが……」
剛三の目の前で、長年の友人が、ライバル企業社長が、次々と鮭ゾンビへと変貌していく。 剛三の顔が、怒りで赤く染まっていく。
「許さん……。私の晩餐会を、私の鮭を……こんな化け物の宴にするとは!」
剛三がタキシードを脱ぎ捨てた。 その下から現れたのは、鋼鉄のような筋肉の鎧だった。
「アリス、カケル! 道を開けろ! 私が直々に『害虫駆除』をする!」
「お父様、無茶ですわ! 相手はゾンビですのよ!?」
「関係ない! 西園寺家に手を出したことを後悔させてやる!」
剛三がゾンビの群れに飛び込んだ。 ドゴォォォン!! 一撃で3人のゾンビが吹き飛ぶ。強い。強すぎる。 だが、数は圧倒的だ。ゾンビたちは痛みを感じないのか、すぐに起き上がって襲いかかってくる。
「くそっ、キリがない!」
俺もゾンビを蹴り飛ばしながら叫んだ。
「元凶を叩くしかない! あのマスク男だ!」
俺は会場を見渡した。 さっきモニターに映っていたマスク男。 奴のホログラムは、ステージの袖で俺たちをあざ笑うかのように手を振っていた。
「あそこだ! ホログラムの投影機があるはずだ!」
「行きましょうカケル! ポーラ、お父様の援護を!」
「任せろ! 爺さんの背中は私が守る!」
俺とアリスはゾンビの包囲網を突破し、ステージ袖へと走った。 そこには、一台のプロジェクターと……一人の男が立っていた。
黒いパーカー。 フードを目深に被り、片手にはバナナ。 そしてもう片方の手で、コンソールを操作している。
「……兄様ッ!!」
アリスが叫んだ。 男がゆっくりと振り返る。 フードの下から覗く顔。 それは間違いなく、西園寺サーモンだった。
「やあ、アリス。カケル君。……遅かったね」
サーモンはバナナの皮をむきながら、淡々と言った。
「兄様……どうして? まさか本当に、貴方が黒幕ですの?」
アリスの声が震えている。 俺も拳を握りしめた。 さっきまで一緒に解析して、世界を救おうとしていたじゃねぇか。 全部演技だったのか?
「黒幕? 人聞きが悪いなあ」
サーモンは一口バナナをかじり、ニヤリと笑った。
「僕はただ……『実験』をしたかっただけさ」
「実験……?」
「そう。父さんの計画が本当に世界を変えられるのか。そして……」
サーモンは視線を会場に向けた。 そこには、暴れまわるゾンビたちと、それをなぎ倒す剛三の姿がある。
「『最強の生物』は、鮭なのか、人間なのか。その答えを知りたくてね」
「ふざけるな!」
俺は怒鳴った。 そんな好奇心のために、これだけの人が犠牲になったのか。 2億円の借金よりも、俺はこいつの軽薄な悪意に腹が立った。
「許さねぇ……! 兄貴だろうが何だろうが、ぶっ飛ばして止めてやる!」
俺はサーモンに向かって踏み込んだ。 距離は5メートル。 空手の間合いなら一瞬だ。
「正拳突き!」
俺の拳がサーモンの顔面を捉える――その直前。
ガシッ!
「え?」
俺の拳は、サーモンの掌で軽々と受け止められていた。
「いいパンチだ。……でも、遅いよ」
サーモンが軽く手首を返す。 それだけで、俺の体は宙を舞い、壁に叩きつけられた。
「がはっ!?」
「カケル!?」
嘘だろ。 俺の正拳突きを、あんな細腕で? こいつ、ただのオタク科学者じゃないのか?
「言っただろう? 僕は『究極の鮭』を探して旅をしていたって」
サーモンはバナナを食べ終え、皮を床に捨てた。
「その過程で、熊とも戦ったし、滝も登った。……僕の身体能力は、すでに人間を超えて『鮭』の領域にあるんだよ」
「意味がわかんねぇよ!」
絶望的だ。 頭脳は天才。身体能力は人外。 そして会場はゾンビパニック。
「さあ、実験の続きをしようか」
サーモンがコンソールの赤いボタンに指をかけた。
「これを押せば、スプリンクラーの出力が最大になる。会場内のウイルス濃度は100%……誰も逃れられない」
「やめなさい兄様!」
アリスが扇子を構えて立ちはだかる。
「私が相手です! 西園寺家の恥は、私が雪ぎます!」
「アリス、君に僕が止められるかい? 昔から泣き虫だった君に」
サーモンの目が、冷酷な光を放つ。 兄弟対決。 しかし、戦力差は歴然だ。
万事休す。 そう思った時だった。
『――ちょっと待ったぁぁぁッ!!』
天井の通気口から、聞き覚えのある野太い声が降ってきた。 そして、ドサッ! という音と共に、巨大な影が落下してきた。
「痛ってぇ……。着地失敗した……」
土煙の中から現れたのは、作業服を着て、スコップを構えた巨漢。 庭師の土門だった。
「ど、土門!?」
「……穴を掘っていたら、ここに出た」
土門はむくりと起き上がり、サーモンを見た。
「……坊ちゃん。久しぶりだ」
「やあ土門。相変わらずモグラみたいな生活してるね」
「坊ちゃん……。悪いことは言わねぇ。そのボタンから手を離せ」
土門がスコップを構える。 その全身から、ただならぬオーラが立ち上っていた。
「俺の庭(屋敷)を荒らす奴は……たとえ坊ちゃんでも、埋める」
(こいつも強キャラだったのかよ!?)
役者は揃った。 鮭ゾンビ、最強の親父、裏切りの兄、そして穴掘り庭師。 カオス極まる晩餐会で、俺たちの最後の戦いが始まろうとしていた。




