14笑
「……悪くないな」
俺は全身鏡の前で、自分の姿に見とれていた。
イタリア製の最高級生地。 体に吸い付くようなシルエット。 漆黒のタキシードに身を包んだ俺は、いつもの「借金まみれの大学生」ではなく、映画に出てくる「若き実業家」に見えなくもない。
(馬子にも衣装とはよく言ったもんだ。これなら、VIPだらけの晩餐会でも浮かないぞ)
俺がネクタイを締め直していると、背後でドアが開いた。
「支度はできましたか? カケル」
ドレスアップしたアリスが入ってきた。 その瞬間、俺は息を呑んだ。
いつものゴスロリ調のドレスではない。 今日は、背中が大きく開いた、深い蒼色のイブニングドレスだ。 結い上げた金髪、透き通るような白い肌、そして凛とした立ち姿。
「……どうしましたの? ボケっとして」
「いや……すごく似合ってる。見違えたよ」
俺が素直に感想を漏らすと、アリスはピクッと肩を震わせた。
「と、当然ですわ! 私は西園寺家の令嬢ですもの!」
彼女は扇子で口元を隠したが、その耳が微かに赤くなっているのを俺は見逃さなかった。 アリスは俺の方へと歩み寄ると、じっと俺を見上げた。
「……貴方も」
「え?」
「貴方も……その、悔しいですが……意外と似合っていますわね」
アリスはほんのりと頬を染め、上目遣いで俺を見た。
「いつもの貧乏臭さが消えて、少しだけ……頼もしく見えますわ」
(アリス……)
不覚にもドキッとした。 普段は毒舌と無茶振りしかしない彼女が、こんな顔を見せるなんて。 これがギャップ萌えというやつか。
「そ、そうか? ありがとな」
俺が照れくさそうに頭をかくと、アリスは「まあ、正面から見れば、の話ですけれど」と付け加えた。
「え?」
「後ろを向いてごらんなさい」
言われるがままに回れ右をする。 鏡越しに、自分の背中を見る。
そこには、金糸と銀糸で、無駄にリアルかつ巨大に刺繍された**『荒波を跳ねる鮭(口にバナナを咥えている)』**の絵が、背中一面に輝いていた。
「ダサァァァァァァッ!!」
「ふふふ。我が家の家紋『登り鮭』の特別バージョンですわ。これならどこにいても目立ちますから、迷子の心配もありませんわね♡」
「目立ちすぎて社会的に死ぬわ! ヤクザの親分か俺は!」
前言撤回。 この女にデレなんて期待した俺がバカだった。
◇
「おいカケル! 私も着替え終わったぞ!」
更衣室のカーテンが開き、ポーラが現れた。
当初の予定では「メイド服」だったが、アリスの気まぐれで急遽変更になったらしい。 彼女が着ていたのは、ワインレッドのカクテルドレスだった。 銀髪がライトに映え、ボディスーツとは違うしっとりとした魅力を放っている。
ただ一つ、問題があるとすれば。
「……なぁポーラ。なんでドレスの下に、ガーターベルトじゃなくて『ホルスター』巻いてんだ?」
スリットから覗く太ももには、ごつい拳銃とナイフが装着されていた。
「戦場に丸腰で行けるか! これでも減らしたんだぞ!」
「ドレスコードに引っかかるわ! 受付で捕まるぞ!」
「大丈夫だ。兄様から貰った『ステルス・スプレー』をかけたから、金属探知機には反応しない!」
「そういう問題じゃねぇ!」
◇
夜18時50分。 俺たちは、会場となる西園寺家の大ホールへと足を踏み入れた。
煌びやかなシャンデリア。 生演奏のオーケストラ。 そして、グラスを片手に談笑する世界各国の要人たち。
「すごいな……。あそこにいるの、某国の大統領じゃないか?」 「あっちにはIT長者がいますわね」
アリスが冷ややかな目で会場を見渡す。
「この中の誰かが、黒幕の手駒か、あるいは感染予定者(鮭ゾンビ予備軍)……」
「兄様はどこだ?」
「兄様なら、厨房に潜入して『料理のすり替え』を画策していますわ。私たちはここで、怪しい動きをする人物をマークします」
その時、会場の照明が少し落ち、ワルツの調べが流れ始めた。 ダンスタイムだ。
「カケル、私と踊りますわよ」
アリスが手を差し出そうとした、その瞬間。
「おいカケル! あれを見ろ!」
ポーラが俺の腕を強引に掴んだ。 彼女の視線の先には、給仕スタッフと何やら密談している禿頭の男がいた。
「あいつ……さっき厨房から出てきたぞ。怪しい」
「よし、近づいて話を聞くぞ!」
「目立たずに接近するには……これしかない!」
ポーラは俺の手を引くと、ダンスフロアの中央へと躍り出た。
「えっ、ちょ、ポーラ!?」
「踊るぞカケル! 私に合わせて動け!」
「お前、ダンスなんてできるのか!?」
「ナメるな! 『くまさん』の訓練カリキュラムには『舞踏会への潜入』もあった!」
ポーラは俺の腰に手を回し、グイッと引き寄せた。 近い。 甘い香水と、ほのかな火薬の匂い。 そしてドレス越しに伝わる、しなやかな筋肉の躍動。
「ステップ、ワン、ツー!」
「うおっ!?」
ポーラがいきなりリードし始めた。 いや、リードじゃない。これは『引きずり回し』だ。
「痛い痛い! 足踏んでる! ヒールで踏んでる!」
「細かいことは気にするな! ターゲットを見失うぞ!」
ポーラは豪快に回転しながら、周囲のペアを弾き飛ばしていく。 優雅なワルツの中で、俺たちだけが『闘牛』のような動きをしていた。
「くっ……! しょうがない、俺が合わせる!」
俺は空手で培った体幹をフル稼働させ、ポーラの暴走を受け止めた。 強引なターンに合わせて体を捻り、彼女の腰を支える。
「……っ!」
ポーラが少し驚いた顔で俺を見た。
「やるな……。私のステップについてくるとは」
「伊達に1400万背負ってないんでね。……もっと力を抜け。ターゲットに近づくんだろ?」
俺がリードを取り返すと、ポーラは素直に従った。 二人の呼吸が合う。 回転の中で、銀髪がふわりと舞う。
至近距離で見つめ合う。 ポーラの青い瞳が、シャンデリアの光を反射して揺れていた。
「……お前、意外と優しい顔をするんだな」
ポーラがボソリと呟いた。
「え?」
「いや……敵だった私にチョコをくれたり、こうして支えてくれたり。……悪くない」
ポーラは顔を赤らめ、視線を逸らした。
「任務が終わったら……またチョコを食わせてくれるか?」
「……ああ。いくらでも食わせてやるよ」
俺が苦笑すると、ポーラは嬉しそうに微笑んだ。 その笑顔は、テロリストでも「くまさん」でもなく、ただの少女のものだった。
(……可愛いな、こいつ)
なんて思った瞬間。
ズキィィィッ!!
「あだァッ!?」
背中(腰のあたり)に鋭い痛みが走った。 つねられた!?
「……楽しそうですわね、カケル」
背後から、地獄の底から響くような声が聞こえた。 振り返ると、アリスが般若の形相で立っていた。
「ア、アリス!? 違うんだ、これは捜査で!」
「黙りなさい! 私のエスコート役を放置して、メス熊とダンスとは……。後で請求書に『浮気ペナルティ(3億円)』を追加しておきますわ!」
「浮気じゃねぇぇぇッ!」
ドタバタしている俺たちの横を、ワゴンを押したウェイターが通り過ぎた。 そのワゴンに乗せられていたのは、銀色のドーム状の蓋がかぶせられた皿。
そして、その隙間から、禍々しい「七色の光」が漏れ出していた。
「カケル! あれだ!」
ポーラが叫ぶ。 アリスも表情を引き締めた。
「間違いありませんわ……。あれがウイルス入りの新作料理、『レインボー・サーモン・ムニエル』です!」
「もう配膳が始まったのか!?」
時計を見る。 19時ジャスト。 剛三お父様がステージに上がり、マイクを握ったところだった。
『えー、皆様。本日は我が家の最高傑作をご賞味いただき……』
「まずい! 親父が号令をかけたら、全員が一斉に口にするぞ!」
俺はポーラの手を離し、アリスと共にウェイターを追いかけた。 優雅な舞踏会はここまでだ。 ここからは、皿を奪い、料理をひっくり返す『バトル・ディナー』の始まりだ!
「止まれェェェッ! その鮭は腐ってるぞォォォッ!」
俺が叫びながらワゴンに飛びかかろうとした、その時。
会場の大型スクリーンがジャックされ、ノイズと共に『一本の動画』が映し出された。
『――Ladies and Gentlemen. ようこそ、終わりの始まりへ』
画面に現れたのは、不気味な『鮭のマスク』を被った人物だった。
「……誰だ?」
会場がざわめく。 マスクの男は、歪んだ声で告げた。
『さあ、晩餐の刻だ。その虹色の鮭を口にした瞬間、旧人類は滅び、新たな「サーモン・サピエンス」の時代が来る』
「サーモン・サピエンスだと……?」
ネーミングセンスが絶望的にダサいが、言っていることは本気だ。
『拒否権はない。なぜなら……会場の扉は全てロックしたからだ』
ガシャン! ガシャン!
ホールの扉が一斉に閉ざされ、重厚な鍵がかかる音が響いた。
完全なる密室。 逃げ場なし。 そして目の前には、毒入りの虹色サーモン。
「ハメられた……!」
俺は立ち尽くした。 黒幕は、最初からこの会場を『巨大な実験場』にするつもりだったんだ。
「カケル! あそこ!」
アリスが指差した先。 ステージの横で、マスクの男(の姿をしたホログラム?)が俺たちを見て手を振っていた。 その手には、見覚えのあるバナナが握られていた。
「まさか……」
黒幕の正体。 鮭とバナナ。 そして、このふざけた状況を作り出した人物。
俺たちの脳裏に、最悪の可能性がよぎった。




