13笑
「……天井だ」
俺、赤城カケルは目を覚ました。 知らない天井……ではない。見慣れた西園寺家の、無駄にシャンデリアが輝く客室の天井だ。
体中が痛い。 昨夜の「時速200キロ・キッチンカー・ダイブ」の代償は大きかった。 全身打撲。筋肉痛。そして何より、精神的な疲労。
だが、俺の心は晴れやかだった。
(終わったんだ……。俺は源三を倒し、チップを取り戻し、西園寺家の危機を救った。きっと剛三お父様も感謝して、借金をチャラにしてくれるはずだ!)
「目が覚めましたか? 我が家の英雄さん」
サイドテーブルの椅子に座っていたアリスが、優しく微笑みかけてきた。 窓から差し込む朝日。 金髪がキラキラと輝き、まるで天使のようだ。
「アリス……。俺、やったよな?」
「ええ。貴方は素晴らしい働きをしましたわ。源三を捕らえ、チップを確保し、ついでに私の大切なリムジンを廃車にしてくれました」
「……ん?」
アリスの笑顔が変わらない。 変わらないまま、手元にあった厚紙を俺の顔にペタリと貼り付けた。
「これは?」
「請求書ですわ♡」
俺は震える手で紙を剥がし、内容を確認した。
リムジン(特注)修理費:5000万円
装甲キッチンカー弁償代:1億2000万円
高速道路ガードレール修繕費:3000万円
精神的慰謝料(アリス分):プライスレス(0円)
【合計:2億円(+消費税)】
「ふざけんなァァァッ!!」
俺はベッドから飛び起きた。激痛が走るが、それどころではない。
「なんで増えてんだよ! 1400万が2億になってるぞ!」
「あら、計算間違いかしら?」
アリスは小首を傾げた。
「源三の身柄確保とチップ奪還の報酬として、金一封(10万円)を差し引くのを忘れていましたわ」
「焼け石に水だわ! 誤差の範囲だわ!」
俺は頭を抱えた。 終わった。 マグロ漁船どころじゃない。これからは深海魚として、マリアナ海溝で光るしかない。
「……ま、冗談はさておき」
アリスはため息をつき、サイドテーブルから救急箱を取り出した。
「お父様には私から上手く言っておきますわ。『不可抗力だった』と。……だから、少しはじっとしてなさい」
アリスは俺の頬にある切り傷(鉄火巻きの破片で切ったやつ)に、消毒液を塗り始めた。
「しみるッ!」
「我慢なさい。……男の子でしょう?」
アリスの指先が、傷口に触れる。 意外と優しい手つきだ。 彼女は丁寧にガーゼを当て、その上から絆創膏を貼った。
「……はい、終わり」
「あ、ありがとう……」
俺が礼を言うと、アリスは顔を真っ赤にして、プイッとそっぽを向いた。
「勘違いしないでくださいね! 貴方は2億円の価値がある『高級奴隷』ですもの。傷モノになって価値が下がったら困りますから!」
「はいはい、わかってますよ」
(ツンデレかよ。わかりやすすぎて逆に安心するわ)
俺は絆創膏を触ってみた。 ……ん? なんか、絆創膏の柄がおかしい。
鏡を見る。 そこには、『ファンシーな鮭のイラスト(きりみちゃん風)』が描かれた絆創膏が貼られていた。
「ダサッ! 小学生か俺は!」
「あら、可愛いじゃありませんか。私のコレクションから一番高いやつを使ってあげましたのよ?」
「普通の肌色でいいんだよ!」
◇
「おーい、二人とも〜。イチャイチャしてないで、こっち来てくれない?」
部屋のスピーカーから、間の抜けた声が聞こえてきた。 兄・サーモンだ。
「解析の準備ができたよ〜。驚きの結果が出たから、早く来てね〜」
俺とアリスは顔を見合わせ、部屋を出た。
向かった先は、屋敷の地下にあるサーモンの私室。 通称『サーモン・ラボ』。
部屋に入ると、そこは異空間だった。 壁一面にモニター。 床には無数のケーブルと、空のカップラーメン、そしてバナナの皮が散乱している。 ハイテクなのかゴミ屋敷なのか判断がつかない。
「やあ、おはよう」
回転椅子でクルリと回って出迎えたのは、白衣を羽織ったサーモンだった。 そしてその横には、なぜかメイド服を着せられたポーラがいた。
「……なんでポーラがメイド服なんだ?」
俺がツッコむと、ポーラは真っ赤な顔でスカートの裾を握りしめた。
「くっ……! 見世物ではないぞ! 源三が捕まったせいで、私がその代わりに働かされているのだ!」
「人手不足の解消法が強引すぎる!」
「似合ってるでしょ? 彼女、銀髪だからクラシカルなメイド服が映えるんだよね〜」
サーモンはニヤニヤしながら、手元のキーボードを叩いた。
「さて、本題に入ろうか」
サーモンの表情が、一瞬で『科学者の顔』に変わる。 中央の巨大モニターに、複雑なバイナリコードが表示された。
「これが、源三から取り返した『目玉チップ』の中身だ」
「解析できたのですか?」
アリスが身を乗り出す。
「半分だけね。セキュリティが強固すぎて、僕の天才的な頭脳と『バナナ糖分』をもってしても、完全解読にはあと数時間かかる」
「半分……。それで、何がわかったんだ?」
俺が尋ねると、サーモンは一枚の画像データを画面に映し出した。
それは、DNAの二重らせん構造図だった。 だが、どこかおかしい。 らせんの一部が、赤く点滅している。
「源三はこれを『レインボー・サーモン』のデータだと言っていたけど……半分は正解で、半分は間違いだ」
「どういうこと?」
「確かに、ベースになっているのは魚類の遺伝子だ。古代魚に近い配列が見られる。……だが、ここに組み込まれている『赤い部分』を見てくれ」
サーモンが指差す。
「これは……『ヒト』の遺伝子だ」
「え?」
「しかも、ただのヒトじゃない。『凶暴化』や『服従』を司る脳内物質を、過剰に分泌させるように改造された遺伝子配列だ」
背筋が寒くなった。 魚と人。 そして、凶暴化と服従。
「兄様……。まさか、お父様の『全人類鮭化計画』というのは……」
アリスが震える声で呟く。
「ええ。単に労働効率を上げるだけじゃない」
サーモンは冷徹に告げた。
「このDNAを組み込んだウイルスを散布すれば、感染した人間は……理性を失い、上位者の命令に絶対服従する『ソルジャー・サーモン(鮭兵士)』に変貌する」
「ゾンビ映画かよ!!」
俺は叫んだ。 源三の言っていた「究極の食材」なんてレベルじゃない。 これは生物兵器だ。バイオハザードだ。
「源三は騙されていたんだよ。彼は『食材』だと思ってチップを盗んだが、本当の中身は『兵器の設計図』だった」
「じゃあ……お父様は、世界征服を企んでいるってことですか?」
「いや、父さんにしては技術が高度すぎる」
サーモンは首を横に振った。
「父さんは鮭を愛しているけど、人をゾンビにする趣味はない。……恐らく、父さんの研究データが、何者かによって『書き換え』られている」
「書き換え?」
「そう。誰かが西園寺家のサーバーに侵入し、純粋な『鮭化計画(労働力アップ)』を、悪質な『兵器開発』にすり替えたんだ」
(どっちも大概ろくでもない計画だけどな!)
「つまり……黒幕は別にいる?」
ポーラが口を挟んだ。 彼女はメイド服のポケットから、こっそりスルメを取り出して齧っている。
「我々『くまさん』のボスも、そんな話はしていなかったぞ。ボスはただ『世界をモフモフにするためにチップが必要だ』と言っていた」
「モフモフ関係ないじゃん! ゾンビになるじゃん!」
「くそっ、ボスも騙されていたのか……!」
状況は混迷を極めてきた。 剛三お父様も、源三も、くまさんも。 全員が何者かの手のひらの上で踊らされていた可能性がある。
「……ねえ、これを見て」
サーモンが別のウィンドウを開いた。 そこには、世界地図が表示されている。 そして、日本のある一点から、赤い線が世界中に伸びていた。
「このウイルスの『散布シミュレーション』データも見つかった」
「散布……?」
「計画では、今夜19時。西園寺家主催の晩餐会で、このウイルスを混入した『新作サーモン料理』が振る舞われることになっている」
「!!」
今夜19時。 それは、剛三お父様が言っていたタイムリミットだ。 『黄金の鮭をお披露目する』と言っていたあの晩餐会。
「そ、そこに世界のVIPが集まるんだろ? もし全員が感染したら……」
「世界の首脳陣が、一斉に『鮭ゾンビ』になり、黒幕の言いなりになる。……世界征服の完了さ」
「規模がデカすぎるゥゥゥッ!!」
俺は頭を抱えた。 たかが借金返済のために始めたバイトが、いつの間にか世界の命運を握っていたなんて。
「止める方法は?」
アリスが凛とした声で聞いた。 彼女の目は死んでいない。
「ウイルス自体はまだ完成していないはずだ。チップの中にあるのは『設計図』だけだからね」
サーモンはバナナの皮をゴミ箱に投げ入れた(ノールックで外した)。
「でも、晩餐会の料理に『試作品』が使われる可能性は高い。僕たちがやるべきことは一つ」
サーモンは俺たち全員を見渡した。
「今夜の晩餐会に潜入し、料理が配膳されるのを阻止する。そして……この計画を裏で操っている『真の黒幕』を炙り出すんだ」
「潜入って……どうやって? 招待状なんて持ってないぞ」
俺が聞くと、アリスがニヤリと笑った。
「カケル、忘れましたか? ここは私の家ですわよ」
アリスは扇子を開き、高らかに宣言した。
「正面から堂々と乗り込みますわ! 私と兄様は『主催者側』として。……そして貴方たちは」
アリスは俺とポーラを指差した。
「私の『エスコート役』と『専属メイド』として、会場に紛れ込みなさい!」
「俺がエスコート!?」
「嫌だ! 私はメイドなど……!」
「拒否権はありませんわ。2億円の借金と、世界の平和がかかっていますもの」
アリスは悪魔のような笑顔で、俺の肩を叩いた。
「さあ、準備なさいカケル。貴方には特注のタキシードを用意してあげますわ。……背中に『鮭』って刺繍が入ったやつをね」
「普通のやつにしてくれぇぇぇッ!!」
こうして、俺たちの最終ミッションが幕を開けた。 舞台は煌びやかな晩餐会。 敵は未知の黒幕。 そして俺の装備は、鮭の刺繍入りタキシード(予定)。
……不安しかない。




