♯8 軽率なリーインカーネーション
──長い夢見を終えて、ジャックは目を覚ます。
最初に目に入ってきたのは、知らない天井。ジャックは冷や汗を垂らした。もう沢山だ、早く夢から醒めてくれ……これ以上、何も見たくない。
だがどこか変だ。刹那的だが、重苦しい感覚を思い出してみたジャック。さっきまでの苦しさとは違う……空気も、肌感も、温度に湿度、何もかもが。浮ついていない、生きているみたいだ。
そして何より、心の内から聞こえる、あの薄気味悪い吐息がしない。
彼はベッドの上で首だけを起こし、周囲に目を遣る。どうやら、一面を木で造られた宿屋風の部屋にいるらしい。装飾された有機物のスツールに、ガラスで補強された大きなキャビネット。テーブルの上に置いてあるラジオからは、一昔前に流行った、陽気なブルースだかジャズだかが流れていた。
ジャックはシーツに左手を置く。手はおろかさながら雲の中に消え入るように、沈んで包まれた。
薄っぺらいブランケットを鉄板の上に敷いただけの物体をベッドと呼んでいた彼にとって、何よりもふかふかのベッドは得難い奇妙な体験だった。洒落臭い内装、ラジオをつけた輩の加齢臭の漂う選曲センス以上に……。
結局ここはどこなのだろう、あの忌々しい夢の続きなのだろうか? 現状確認と、これから始まるであろう恐怖に心構えをしなければ、と思ったジャック。これ程に洒落た内装なら、城塞の中心街辺りの宿屋っぽいなと、何とはなしに勘ぐってみる。
しかしそれにしては、ベッド隣に置いてある怪しい器具に、変な形のした中が見えない瓶が不相応だ。大体、動物の毛を使った枕に布団なんて見たことも触ったこともない。なにより、そんな高級な場所のサービスなんて、受けた覚えがないのだけれど……。
戸惑いつつも、ジャックは体を起こそうと、右腕に力を入れた。
「あ痛ててて!」
瞬間、信じられない事に鈍痛が走る。動きにくさが感じられる上、生々しい……先ほどまでの夢心地とは訳が違った。
「待て、なんで痛みを感じるんだ?
ここは夢じゃなくて、現実……」
ジャックは試しに、動かせる左手で頬をつねってみた。朧げで、体全体が浮かんでいるようなそわそわとした感覚はしない。しっかりと痛かった。
ジャックは思わず涙を流す。それだけ生き返ったという衝撃は凄まじかった。朦朧とした意識の中で見た幻覚や、蒼黒い魂が唆してきた夢のような話。全てをそっくりそのまま信じることなんて出来る筈がなかったのだから。
謎の高揚感から我に返ったジャック。恐る恐る負傷したであろう右腕に目を落とす。あの鈍痛……記憶が間違っていないのなら、イナゴと戦った最後に……。
しかしながら、イヤな予感に反して、右腕はしっかりと繋がっていた。包帯でグルグル巻きにされてはいたものの、何なら状態自体はすこぶる良い。
「それじゃあ……さっきのって、ただの筋肉痛とかだったってのか?」
ジャックは呆然とする。大きく裂けていた筈の右腕は、肩肘から指の先まで何の問題もなく動かせた。我ながら自身の回復力に驚かされそうになったジャックだが……ここで破壊者の話を思い出す。”肉体は死んでいる”、今の彼はいわば、魂だけの存在。
彼は状況を飲み込めずにいた。結局、分かったことといえば怪我が完治して生き返った上、なぜか知らない部屋のベッドで寝かされていることだけだ。
「おかしい……いや、おかしくはないのか?
なんで、痛みを感じて──」
ジャックは悩む。そもそも今までが現実だとするのならば、一体誰が怒り狂うイナゴを出し抜いてここまで運んでくれたのだろうか? 体の感覚が鈍い。随分と長い間、意識を失ってしまっていた様な気がする。あのキャラバンの人達は無事なのだろうか? 彼にとって、他の何よりもその事が心配だった。
あれこれ考え込んでいると、いつの間にかドアの前にはナース服の女性が立ちすくんでいる。先に発した悲鳴を聞いて駆け付けたのだろうか、ジャックは不意にその女性と目が合ってしまった。
「あ、ジャック様?! 少しお待ちくださいませ!」
ジャックがここについて聞こうとしたのも束の間に、彼女は幽霊でも見たかように慌てふためきながら、先生と客人を呼んでくるといって、部屋の外に飛んで行ってしまった。
ジャックは身震いする。布団から出ている半身の方がやけに涼しい気がした。どうやら寝ている間に服を脱ぎ捨ててしまっていたみたい……。
体の方へゆっくりと、ジャックは視線を向ける。
「ボーっとしてて気づかなかったけど、俺……真っ裸じゃん。
そりゃあ、驚くよな……」
寝起きにとんだサプライズを披露することになり、恥ずかしさで紅潮しつつもジャックは落ち込む。ベッドの中に放置されてしわくちゃになっていた寝巻きをのろのろと着直していると、覚えのある粗暴な声が聞こえてくるのだった。
「よう変態、久しぶりだな?」
* * *
「ツンツン頭じゃん! 生きてて良かったよ」
背丈以上の大剣を背負い、針のように逆立った髪の毛をバンダナで纏め上げ、目元まで隠れているのに相も変わらずムスッとした表情が透けている。間違いなくイナゴと共に戦った、あの巨剣の便利屋だ。
ジャックは嬉しさ半分恥ずかしさ半分だったが、やっぱり不貞腐れて問い詰める。
「てか、なんでさっきの事知ってるんだよ」
「き、聞いたんだよ……ヘレンさん、テメェの担当からな。
あと、誰がツンツン頭だ! それに、くたばっちまってるのなら誰がここまで──」
巨剣は途中まで言いかけたものの、口をつぐんで顔を背ける。
流れるように会話が続く。だがそれ自体、ジャックは違和感を捨てきれなかった。
「……てか、俺の声が聞こえるんだ?」
「は、はぁ? 何言ってんだオマエ、寝ぼけてんのか?
それとも、ワイセツ行為のせいでとうとう完全に頭がイカれちまったか?」
巨剣は人ではない何かを見るような、怪訝な目で軽蔑する。
ジャックはいたって正気だった。あの夢での契約が現実なのならば、殻としての肉体は既に死んでいるはず。なのに、これまでとまるで何も変わっていない。
強いてあげるなら、さっきからざわざわと誰かの話し声が聞こえる程に、普段より耳がよく聞こえるようになった気はするくらいだ。ユーレイのように彷徨うことになるのかと思っていたのだが、身体もピンピンしてるし痛みだって感じる上、生きている人間とも話せるのだから拍子抜けだった。
「そこまで言わなくたっていいじゃんかよ~ ツンツン頭って呼んだ事謝るからさ」
「治療とか、全部やっていてくれてたんだよな、ありがとう」
しかしながらジャックの予想とは裏腹に、巨剣は予想外の事実を話す。
「うっせ! ……それに大体、オマエの治療なんかやってねえよ」
「気を失う前に見た時の、ボロボロになっていたのが嘘だったかのように怪我が綺麗さっぱり治っててよ……でも、いつまで経っても意識は戻らねぇんだからもうダメかと思ってたんだけどな。
全く、気味が悪いったらありゃしねえ」
どうやら巨剣が言うからには、気を失うまでに生じた俺の裂傷や怪我は気を失っていた期間に治癒したのではなく、あの残骸にいた時点で完治していたらしい。
「待てよ、それならイナゴはどうなったんだ?
あれから何日経った? キャラバンの人達だって……」
「あのなぁ……気持ちはわかるけどよ、一つずつ話してくれねぇか?」
既視感のある呆れ様に、今更ながらジャックは気づく。無論、指摘してくれる人間に巡り合う機会が殆どないスラム・チルドレンであるジャックにとっては仕方のないことではあるのだが。
「ご、ごめん……悪い癖なんだよね」
「まぁ別にいいけどよ、身内にもそんな感じのヤツがいるから慣れてるし。
そうだな、あれから6日経ったな」
六日も経ってしまったというよりも、六日で目を覚ますことが出来たのだと捉えたほうがいいのだろう。例の制限時間まで半年しかないとはいえ、ここで何十日も眠り続けていなかっただけ幸いだ。
「てかちょっと待て、イナゴならオマエが倒したんじゃねぇのか?」
「羽ごと胴体をくの字にへし折られて、座り込むオマエの前でブっ倒れてたもんだから
てっきりそうだと思ってたんだけどな」
「突然やってきたと思えば、機械生命体相手に生身で飛び蹴りなんてしたもんだから、最初は頭のイカれたヤツだと思ってたんだけどよ……」
「あの野郎を仕留められる位の工房の武器持ってんのなら、最初からソレ使えりゃ良かったんじゃねぇか?一人でイナゴを仕留められるくらいには腕も立つみてぇだしよ。……因みに何使ってんだ?」
ナイフ型か、それとも拳鍔型だとか、案外デカいタイプのマルチウェポンを使っているのだとか、巨剣は興味津々に予想する。
だが、そもそもジャックは便利屋ではない。工房の武器は高すぎて持っていないし、持っていたのならば最初から使っている。
「──でもイメージとは合わねぇけど、テクニカルなガンブレードも色々ギャップがあっていいつぅか
それはそれでイケるな……」
「そういや聞き忘れてたけどよ、結局オマエ何なんだ? 悪いヤツじゃねぇんだろうけどよ」
相変わらずの武器うんちくと妄想を終えた巨剣は、思い出したかのように質問する。
「いや……お一人で盛り上がってる所悪いけど、俺は便利屋じゃないよ」
エフォロイの辺境にあるスラムに住んでいる、ただの屑拾いだとジャックは説明した。
話を聞いて唖然とする巨剣。二人の会話に割り込むように、ドアが数回ノックされる。
* * *
医療者を名乗るその男は、俺の目を神妙な面持ちで覗き込んだ後、聴診器を胸に当てて、納得したかのように頷く。
「……脈拍も安定しておりますし、念の為痛みが取れるまで安静にしていれば大丈夫でしょう」
「ああ、ありがとう。ヴォーゲルザング先生」
装飾された落ち着いた色合いの修道着に、胸元にかけてある輝く銀色の十字架。司祭風の男はヴォーゲルザングというらしい。
……こうした医療者に診てもらうには、スラムでは到底考えられない程の大金が必要なのだが、彼の言う保険ってのはそれほどまでに降りたのだろうか?
「いえ、こちらこそ御贔屓にしてくださりありがとうございます。ですが、スターク──」
ヴォーゲルザングの言葉を遮るようにして、巨剣が彼の肩をトントンと軽く叩き、小声でなにやら話し合っている。
スカプラリオの男は話終えたかと思えば、改まって振り返り咳払いの後に挨拶し始めた。
「……申し遅れました。私はアルベルト・ヴォン・ヴォーゲルザングといいます。気軽にアルベルトとでも呼んでください」
アルベルトの口調は妙に歯切れが悪く、丁寧な言葉遣いの節々から憎悪がにじみ出ていた。
「どうも、よろしく……」
ジャックは素っ気なく返事する。
ぎこちない空気感の二人に代わって、巨剣が話を続ける。
「アルベルト先生はこの安息所の院長だからな」
教会の人間以外の医者は少ないのもあるが、恰好からしてもこのアルベルトという男が教会の所属だという事実は予想通りというよりかは当然の帰結だった。
ジャックの神妙な面持ちから、考えを察した巨剣が話す。
「代金は保険と……イナゴを解体して売り捌いた分を少し割いて払ってある。
……知らねぇみてぇだから教えてやるけどよ、便利屋をやってたら安く使えるんだよな」
「とにかくだ、名義はオレなんだから金の心配なんてするんじゃねぇ。
あと、他に困ったことがあったらこのオッサンに聞いてくれ」
アルベルトさんは、オッサンと言われたことに苛立っているのか、こめかみに血管を浮き出させながらも、冷静に立ち振る舞おうとしていた。
「……ええ、ええ勿論。
ジャック様が安息所にいらっしゃる間の、完全なサポートは補償いたしますとも」
付け加える様に巨剣が話す。
「あと依頼人らなんだが、皆無事だよ」
「ターバン巻いたあのガキ、覚えてるか?オマエの事を凄く心配してたんだからな?」
一番求めていた回答に、ジャックは胸を撫でおろした。
「本当、何から何までありがとうな」
「それやめろ! オレは借りを返しただけだから感謝なんてしなくていいんだよ……」
「でもあのままそこで、ほったらかしにされてたら確実に死んでたと思うし」
ジャックは首を傾げる。そもそも、仕事に勝手に乱入したのはこっちなのだ。偶々上手くいったとはいえども迷惑をかけた上、その後もとんでもない手間まで取らせてしまっていた。
ジャックは再び顔を上げて口にする。
「……やっぱり言葉だけじゃ感謝しきれないな。
今度俺ん家で奢るよ、丁度ホッペルポッペルを作ろうって思ってたんだよね」
「だから、やめろっつってんだろ!
こうやって貸し借り作んのは嫌いなんだよ……」
「でも、俺の為にわざわざ安息所まで借りてくれたんだし、このままじゃ引き下がれないないよ」
ここでジャックは、イナゴに巻き込まれる前にホッペルポッペルを作ろうと考えていた事を思い出す。
「そうだ! 俺、帰ったら料理作ろうと思ってたんだよ、よかったら家に来て食べてかない?
婆ちゃんが教えてくれた最高傑作なんだけどね?今まで誰にも振舞ったことなかったからさ」
とどまる所を知らないジャックの謝意を、俯きながら耐え続けていた巨剣。だが、とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、両の手で握りこぶしを作りながら顔を上げて怒鳴った。
「……あぁもう! オマエと居たら頭がおかしくなりそうだ……。
いいか? これで貸し借りはゼロ!それ以上もそれ以下もねぇ」
「オレは次の仕事があるからな。
大体、屑拾いに助けられただなんて噂が広まっちまったら傭兵の名折れなんだよ!」
「折角命拾い出来たんだ、ゴミ拾いはゴミ拾いらしく
無茶せず慎ましく生きていやがれ!」
「ちょっと待てよ! まだ名前すら聞いて」
ジャックはベッドから降りようと全身を起き上がらせた。だが、全身の筋肉痛のせいなのか体の動きが鈍く痛む。
「ジャックさん、落ち着いてください!」
看護師が無理に動こうとしたジャックを制止する。
巨剣は一度の息継ぎすらせずに全て言い終えると、プンスカと大股で歩きながら、そのままに部屋を出て行ってしまった。
* * *
ジャックがいる病室770号室の前にて──
「たくっ、とんだお人好し野郎だった…」
新進気鋭の便利屋であるスタークベッターは、一人次の依頼へと歩を進める。
「ああいうヤツと喋ってると、こっちまで調子狂うんだよ。
よく分からんヤツの為にツケまで払うことになっちまうだなんて……ガラにもねぇ」
今まで利己的に、そして等価交換をモットーとして傭兵として活動していた彼にとって、単純な自己の利益よりも、誰かの幸福の為だけに身の危険を顧みず突貫出来るジャックは異質だった。
「拳のジャック、か」
「……お人好しすぎるんだよ、あの野郎も。結局…イナゴのコアとかをバラした分なんかの利益まで全部貰っちまってるのに、返せの一言もねぇしよ」
歩くたびにジャラジャラと音が鳴る。スタークベッターの鞄の中には、スラムで生きる人一人の、2~3年分の食費に相当するライヒスマルクと教会スクードの束が入っていた。
「忠告はした……が、あの手の大バカ野郎は言葉で言って聞かせることなんて出来ねぇ」
「あれじゃ、どうせ早死にする」
表現し難い感情が彼の中で渦巻く。正しいのは慈悲なのか、或いは──
「はぁ、まったく……オヤジみてぇなヤツだったな」
スタークベッターは自然と二人の姿を重ねる。故郷で待つあの野郎と、ジャックとかいうほら吹き野郎。知っている、あれは正しいフリをした偽善者のツラだ。
偉ぶった外面は、本性を隠しているだけの皮に過ぎないのだと、彼は頭を一色に塗り潰す。そして、ガス駆動式の昇降機へと乗り、慣れた手つきで地上階のボタンを押した。
──名誉挽回の為にも、教会へ貢献し恩寵を返すためにも、スタークベッターは与えられた依頼の処理へと向かうのだった。




