♯8 雇われ傭兵はツンデレ
──長い夢見を終えて、ジャックは目覚める。
目を覚ますと、一面木で造られた宿屋風の一室にあるベッドの中にいた。装飾された有機物のスツールに、ガラスで装飾された大きなキャビネット。テーブルの上にはラジオも置いてあり、一昔前に流行った、陽気なブルースだかジャズだかが流れている。
ラジオをつけた輩の、オッサンみたいなセンス以上に、何よりもふかふかのベッドが衝撃的だった。これ程に洒落た内装なら、多分城塞の中心街辺りの宿屋なのだろうか?それにしてはベッド隣に置いてある怪しい器具に中が見えない瓶が謎な上、動物の毛を使った枕に布団なんて見たことも触ったこともない。なにより、そんな高級な場所のサービスなんて、受けた覚えがないのだけれど…
「あ痛ててて!!」
体を起こそうと右腕に力を入れた瞬間、信じられない事に鈍痛が走った。
「待て、なんで痛みを感じるんだ…?じゃあ…これは夢じゃなくて…現実?」
本当に…本当に生き返れたという衝撃は凄まじかった。何よりも、朦朧とした意識の中で見た、幻覚や夢のような話を、そっくりそのまま信じることなんて出来なかったのだから。
謎の高揚感から我に返って、恐る恐る右腕の状態を見る。イヤな予感と反して、グルグル巻きにされてはいたものの右腕はしっかりと繋がっていた。というか、状態自体は頗る良い。
「…さっきのって…ただの筋肉痛か?」
大きく裂けていた筈の右腕は、肩肘から指の先まで何の問題もなく動かせた。我ながら、自分の回復力に驚かされそうになったが…ここで破壊者の話を思い出したジャック。そう、既に肉体的には死んでいる。今のジャックは言わば、死んだ肉体から完全に独立した、魂だけの存在。
「おかしい…のか?…なんで、痛みを感じて…」
──そもそもこれが現実だとするのならば、一体誰がイナゴを倒して、ここまで運んでくれたのだろうか?随分と長い間、意識を失ってしまっていた様に感じる。何よりも、あのキャラバンの人達の無事が気がかりだ。
あれこれ考え込んでいると、さっきの悲鳴を聞いて駆け付けたのか、いつの間にかドアの前にはナース服の女性が立ちすくんでいた。そして、不意にその女の人と目が合ってしまう。
「あ、ジャック様?!少々お待ちくださいませ!」
幽霊でも見たかように慌てふためきながら、先生と客人を呼んでくるといって飛んで行ってしまった。
布団から出ている半身の方がやけに涼しい気がする…どうやら寝ている間に服を脱ぎ捨ててしまっていたみたいで…。
体の方へゆっくりと、ジャックは視線を向ける。
「ボーっとしてて気づかなかったけど俺…真っ裸じゃん。そりゃあ、驚くよな…」
寝起きにとんだサプライズを披露することになって落ち込みながらも、ベッドの中に放置されてしわくちゃになっていた寝巻をのろのろと着直していると、覚えのある怒声が聞こえてくるのだった。
「よう変態、久しぶりだな?」
* * *
「ツンツン頭じゃん!生きてて良かったよ!」
背丈以上の大剣を背負い、針のように逆立った髪の毛をバンダナで纏め上げ、目元まで隠れているのに相も変わらずムスッとした表情が透けている。間違いなくあの巨剣の便利屋だった。
「てか、なんでさっきの事知ってるんだよ」
「き、聞いたんだよ…あと誰がツンツン頭だ!それに、くたばっちまってるのなら誰がここまで…」
途中まで言いかけたものの、口をつぐんで顔を背ける巨剣。
「…てか、俺の声が聞こえるの…?」
「…は、はぁ?何言ってんだ…?寝ぼけてんのか?それとも、ワイセツ行為のせいでとうとう頭が完全にイカれちまったのか?」
あの夢が現実に起こった出来事なのならば、殻としての肉体は既に死んでいる筈…。だが、その変化を殆ど実感出来てない。さっきからざわざわと誰かの話し声が聞こえる程に、以前よりも耳がよく聞こえるようになった気はするもののそれだけで、ユーレイのように彷徨うことになるのかと思っていた自分にとっては、身体もピンピンしてるし、痛みだって感じる上、生きている人間とも話せるのだから拍子抜けだった。
「そこまで言わなくたっていいじゃんかよ~ツンツン頭って呼んだ事謝るからさ」
「治療とか…全部やっていてくれてたんだよな、ありがとう」
しかしながらジャックの予想とは裏腹に、巨剣はまた予想外の事実を話す。
「うっせ…それに大体、オマエの治療なんかやってねぇよ」
「気を失う前に見た時の、ボロボロになっていたのが嘘だったかのように怪我が綺麗さっぱり治っててよ…でも、いつまで経っても意識は戻らねぇんだからもうダメかと思ってたんだけどな」
どうやら巨剣が言うからには、気を失うまでに生じた俺の裂傷や怪我は気を失っていた期間に治癒したのではなく、あの残骸にいた時点で完治していたらしい。
「待てよ、じゃあイナゴはどうなったんだ?あれから何日経った?キャラバンの人達だって…」
「あのなぁ…気持ちはわかるけどよ、一つずつ話してくれねぇか?」
既視感のある呆れ様に、今更ながらジャックは気づく。無論、指摘してくれる人間に巡り合う機会が殆どないスラム・チルドレンであるジャックにとっては仕方のないことではあるのだが…。
「ご、ごめん…悪い癖なんだよね…」
「…まぁ別にいいけどよ、身内にもそんな感じのヤツがいるから慣れてるし。そうだな、あれから6日経ったぜ」
六日も経ってしまったというよりも、六日で目を覚ますことが出来たのだと捉えたほうがいいのだろう。約束の日まで半年しかないとはいえ、ここで何十日も眠り続けていなかっただけ幸いだ。
「てかちょっと待て…イナゴならオマエが倒したんじゃねぇのか?」
「羽ごと胴体をくの字にへし折られて、座り込んだオマエの前でブっ倒れてたもんだから、てっきりそうだと思ってたんだけどな」
「突然やってきたと思えば、機械生命体相手に生身で飛び蹴りなんてしたもんだから最初は頭のイカれたヤツだと思ってたんだけどよ、工房の武器持ってたのなら最初からそれ使ってりゃあよかったじゃねぇか。それに、一人でイナゴを仕留められるくらいには腕も立つみてぇだし…因みに何使ってんだ?」
ナイフ型か、それとも拳鍔型だとか、案外デカいタイプのマルチウェポンを使っているのだとか巨剣は興味津々に聞いてくるのだが、そもそも俺は便利屋じゃない。だから工房の武器も持っていないし、現に持っていたのならば最初からそれを使っている。
「──でもガンブレードも色々ギャップがあっていいつぅか…それはそれで似合うな…」
「そういや聞き忘れてたけどよ、結局オマエ何者なんだよ?悪いヤツじゃねぇんだろうけどな」
相変わらずの武器うんちくと妄想を終え、巨剣は思い出したかのように質問する。
「いや…盛り上がってる所悪いけど、俺は便利屋じゃないよ」
エフォロイの辺境にあるスラムに住んでいる、ただの屑拾いだと俺は説明する。
話を聞いて唖然とする巨剣。二人の会話に割り込むように、ドアが数回ノックされた。
* * *
医療者を名乗るその男は、俺の目を神妙な面持ちで覗き込んだ後、聴診器を胸に当てて、納得したかのように頷く。
「…脈拍も安定しておりますし、念の為痛みが取れるまで安静にしていれば大丈夫でしょう」
「ああ、ありがとう。ヴォーゲルザング先生」
司祭風の男はヴォーゲルザングというらしい。装飾された落ち着いた色合いの修道着に胸元の十字架…こうした医療者にスラム暮らしの俺が診てもらうのには、到底考えられない程の大金が必要なのだが、保険ってのはそれほどまでに降りたのだろうか?
「いえ、こちらこそ御贔屓にしてくださりありがとうございます。…ですが、スターク…」
ヴォーゲルザングの言葉を遮るようにして、巨剣が彼となにやら小声で話し合っている。話終えたかと思えば改まって振り返り、咳払いの後に挨拶を始めた。
「…申し遅れました。私はアルベルト・ヴォン・ヴォーゲルザングといいます。気軽にアルベルトとでも呼んでください」
アルベルトの口調は妙に歯切れが悪く、丁寧な言葉遣いの節々から憎悪がにじみ出ていた。
「どうも、よろしく…」
ぎこちない空気感の二人に代わって、巨剣が話を続ける。
「アルベルト先生はこの安息所の院長だからな」
教会の人間以外の医者は少ないのもあるが、恰好からしてもこのアルベルトという男が教会の所属だという事実は予想通りというよりかは当然の帰結だった。
ジャックの神妙な面持ちから、考えを察した巨剣が話す。
「代金は保険と…解体したイナゴを売り捌いた分を少し割いて払ってある。…知らねぇみてぇだから教えるけどよ、便利屋をやってたら安く使えるんだよな」
「とにかくだ、名義はオレなんだから金の心配なんてするんじゃねぇ。あと、他に困ったことがあったらこのオッサンに聞いてくれ」
アルベルトさんは、オッサンと言われたことに苛立っているのか、こめかみに血管を浮き出させながらも、冷静に立ち振る舞おうとしていた。
「…ええ、ええ勿論。ジャック様が安息所にいらっしゃる間の、完全なサポートは補償いたしますとも」
付け加える様に巨剣が話す。
「あと依頼人らなんだが、皆無事だよ」
「ターバン巻いたあのガキ、覚えてるか?オマエの事を凄く心配してたんだぜ?」
一番求めていた回答に、ジャックは胸を撫でおろす。
「本当、何から何までありがとうな」
「それやめろ!…オレは借りを返しただけだから感謝なんてしなくていいんだよ」
「でもあのままそこで、ほったらかしにされてたら確実に死んでたと思うし」
そもそも勝手に仕事に乱入したのはこっちなのだ。偶々上手くいったとはいえども、迷惑をかけさせてしまった上、とんでもない手間まで…。
「…やっぱり言葉だけじゃ感謝しきれないな。今度俺ん家で奢るよ!丁度ホッペルホッペルを作ろうって思ってたんだよね」
「だからやめてくれ…こうやって貸し借り作んのは嫌いなんだよ…」
「でも…安息所まで借りてくれたんだし、このままじゃ引き下がれないないよ」
「婆ちゃんが教えてくれた最高傑作なんだけどね?今まで誰にも振舞ったことなかったからさ…」
「…あぁもう!オマエと居たら頭がおかしくなりそうだ…いいか?これで貸し借りはゼロ!それ以上もそれ以下もねぇ!」
「オレは次の仕事があるからな…大体屑拾いに助けられただなんて、噂が広まっちまったら傭兵の名折れなんだよ!」
「折角命拾い出来たんだ、ゴミ拾いはゴミ拾いらしく無茶せず慎ましく生きていやがれ!」
「ちょっと待てよ!まだ名前すら聞いて…」
再び起きようとしても、筋肉痛のせいなのか全身が動かない。
「ジャックさん、落ち着いてください!」看護師が無理に動こうとした俺を制止する。
巨剣は一度の息継ぎすらせずに言い終えると、プンスカと大股で歩きながら、そのままに部屋を出て行ってしまった。
* * *
ジャックの病室770号室の前にて──
「はぁ…たくっ、とんだお人好し野郎だったな…」
新進気鋭の便利屋であるスタークベッダーは、一人次の依頼へと歩を進める。
「ああいうヤツと喋ってると、こっちまで調子狂うんだよ…あんなよく分からんヤツの為にツケまで払うことになっちまうだなんて…ガラにもねぇ」
今まで利己的に、そして等価交換をモットーとして傭兵として活動していた彼にとって、単純な自己の利益よりも、誰かの幸福の為だけに身の危険を顧みず突貫出来るジャックは異質だった。
「拳のジャック…か」
「…お人好しすぎるんだよ。結局…イナゴのコアなんかをバラした分なんかの利益まで全部貰っちまってるのに、返せの一言もねぇし…」
スタークベッダーの鞄の中には、スラムで生きる人一人の、2~3年分の食費に相当する旧帝国貨と教会銭の束が入っていた。
「忠告はしたけど…あの手の大バカ野郎は言葉で言って聞かせることなんて出来ねぇ…」
「…あれじゃ、どうせ早死にする…」
「…はぁ、まったく…オヤジみてぇなヤツだったな」
表現し難い感情が彼の中で渦巻きつつも、ガス駆動式の昇降機へと乗り、地上階のボタンを押す。
──名誉挽回の為にも、教会へ貢献し恩寵を返すためにも、スタークベッダーは与えられた次の依頼の処理へと向かうのだった。