♯4 終末のアルムスハウス
──僕の可愛い☝︎❒︎♏︎⧫︎♏︎●︎と比べられる者はなく、食わせてやれる者もないだろう──
──今は亡き、ありふれていた日常を追想する。
空がオレンジに色づいた頃、屑拾いの仕事を終えた幼い俺は、とぼとぼと帰路につく。簡単に残骸を見つけられた所までは順調そのもの。……だけれど、あれは目立ちすぎ。
それこそイナゴの様に後先すら考えることもせず、餌場に集る同業者で溢れかえるこの世界。慣例に倣ってかその場所も既に誰かの手が入っていて、価値のある部品類は少ない。ここ最近は価値のない屑鉄未満のゴミを拾うばかりの、大した収入すら得られない日々が続いていた。その拙い貯蓄が、とうとう尽きるというのだ。
「いけるとこはぜんぶ漁っちゃったもんな……ばあちゃんになんて言えばいいんだろ」
あの高層の残骸が枯れてしまう。それは即ち安定した収入源が消え去り、あてもなくこの砂漠を歩き回り続けなければならない日々がまた、帰ってくる事を意味していた。
蹴り続けていた小石が側溝に落ちて、俺は歩みを止める。
「ちくしょう……アレさえどかせられたら、
まだ向こうがわに価値のありそうな部品がのこっているかもしれないってのに」
残骸の最高層には、今と全く変わりない状態で例の貨車が置かれている。外から見える景色はレールの先にまだ何かしらの構造物が続いていることを示していたのだが、半日かけて格闘しようとも、あの時の俺一人が持つ未熟な力と拙い知能では、向こう側に行くことは叶わない。
避けようのない選択に苦しめられ、収拾がつきそうにないからか、段々と頭にも熱がこもり始める。
──だからといって、このまま黙っている訳にもいかない。諦めて残骸を掘り尽くしたと説明する他ないだろう。……でも俺には、どうやってこの事実を切り出せばいいのか見当がつかなかったんだ。
元はといえば、少しでも婆ちゃんの手助けになりたかったから始めた屑拾いという仕事。初めて安定してきたと思ったのに……俺はどこか、婆ちゃんの期待を裏切ってしまうような気がしていた。
そうやって考え込んでいる内に、いつの間にか家へと帰りついていた俺。突っ立っているわけにもいかないと鉄板の廃材で出来たドアの取っ手を握ってはみたが、どういうわけかいつもより扉が重たく感じる。開かない。
家の辺りをウロウロと歩き廻っては、結局、玄関の前で立ち尽くすことしか出来なかった。
* * *
空色が混じりあうまでしばらく扉の前で立ち往生していると、家の中から話し声が聞こえてくる。
「きっとばあちゃんだ。どうしよう……」
近づいてくるにつれ、話し声が一つだけではなかったことに気づく。聞き耳を立ててみると、どうやら婆ちゃんは若い男の人と話しているようだった。
「……トさん、本当に助かりました。
怪我の治療に依頼まで紹介して下さるなんて、どうお礼申し上げればよいのか」
「困っているお方を助けるのは当然ですからいいのですよ。
それより、未だ怪我も治っていらっしゃらないのです。もうすぐ陽も沈みますから、せめて今夜だけでも泊まっていってくださいな」
「そんな、とんでもない! 貴女にこれ以上の迷惑をかけるわけには……」
「丁度貴方が話していた弟妹と同じくらいの子供が、もうすぐ帰ってくると思うのですけどね……。
……ィンさんほどの実力を持つ方がここへいらっしゃるのはとても珍しいですから、是非お話しを聞かしてやってほしいのですよ。それに──」
婆ちゃんは心配そうに話す。怪我人や困窮した人が家にいるのは珍しいことじゃなかったけれど、この日のお客は少し異質だった。
「貴女がその子の帰りを待っているように僕の帰りを待っている人がいるのです。
だからこそ、ここに居るわけにはいかないんですよ」
「ご配慮は感謝します。ただ、そのお気持ちだけで十分です」
青年は申し訳なさそうに、たがきっぱりと、どこか決意めいた口調で答える。
すっかり話に聞き入ってしまっていたので、段々と足音が近づいてきていることにさえ俺は気づけなかった。まもなくして扉が開くと、そこにもたれかかっていた俺は同時に、右半身から倒れ込んでしまう。
「それでは失礼し──おっと」
地面にぶつかるギリギリのところで、男の人が俺を支える。
「ジャック! どこに行っていたんだい! 遅かったから心配したじゃないか!」
婆ちゃんが、心配と怒りの混じったような声で叱る。
「ご、ごめんなさい、ばあちゃん……」
「まぁまぁ、そうお怒りにならなくても、無事に帰ってこれたのだから良かったじゃないですか?
君、怪我はないかい?」
その青年は、鞄から零れ落ちた屑鉄を拾い集めた後、特徴的な青い花の刺繍が入ったハンカチで、俺の膝についた砂埃を払う。……彼からは不思議と、婆ちゃんと似たような雰囲気が感じられた。
「ありがと、兄ちゃん」
あまりに爽やかな立ち振る舞いから俺は思わず人見知りをして、照れ臭いのと恥ずかしいのとが混じってしまったようなか細い声で感謝を伝える。
盗み聞きしていた話から察するに青年はかなり腕の立つ便利屋らしかった。腰にはそれを裏付ける異国風の長い直刀を2本差している。
ふと、盗み聞きじゃよく聞こえなかったから名前だけでも聞いておこうと思った俺。口を開けようとした瞬間、日没を知らせるサイレンが、けたたましく鳴り始める。
「……もうこんな時間か。君も余り、お婆さんのことを心配させたらいけないよ?
この度は本当にありがとうございました。では改めて、失礼します」
青年は俺への忠告と共に一礼した後、市街地の方へと去っていった。
* * *
温かい色合いのランプが、食卓をほんのり照らしている。それなのにどこかぎこちない食事の場、俺はなんとか重い口を開いて、高層の残骸を掘り尽くしてしまったことを説明した。
「──だからばあちゃん、また探しまわらなきゃ……」
成果が出せずに焦る俺を、婆ちゃんは諫めるように諭す。
「あのねジャック、私が勧めたからといってね、何も屑拾いで無理をする必要はないんだよ」
未熟だった俺の身を案じてくれていたのだろう。実際、屑拾いの仕事を始める前も、決して余裕のある暮らしが出来ていたわけではなかったが、別に生活に困っていたわけでもなかった。
「ジャックや。今はね、無事に生きてくれていればそれだけで充分。
勿論、ジャックが成長してくれている事は嬉しいけどね、私はそれ以上に心配なのよ」
「……それでも、ばあちゃんの役に立ちたいよ」
なんとしても食い下がるわけにはいかなかった。幼い俺は、まだ外郭の恐ろしさを知らなくとも、この世界で生き抜くことがいかに難しいのかなんて既に心得ていたからだ。怪物のいないスラムですら毎日のように盗賊やギャング、便利屋らが関わる流血騒動や喧嘩騒ぎが起き、同い年の子供は夜になると攫われたり、餓えて死んでしまうのだから、同年代の友達は一人たりともいなかったくらいに。
とにかく、明日の身の安全に、生命維持の為の食事の用意すら怪しいようなこんな過酷な場所で生きる負担を、婆ちゃんだけに背負わせたくなかった。
──このままだと、屑拾いに出かけることを止めさせられてしまうかもしれない。
そんな事を考えついてしまい、どうすればよいのか悩んだ末に思い出したのがあの貨車の存在だった。
婆ちゃんが何か話そうとしたのを、俺は急いで遮る。
「そ、そうだ! ばあちゃんにききたいことがあって……」
「今あさっている高い建物の残骸のこと、おぼえてる?」
婆ちゃんは何か物言いたげそうではあったが、取り敢えず話を聞いてくれた。
「……あの電波塔のことかい? ワイヤーだけでよく登ったもんだねぇ」
「そこを登った先にね、となりの建物へ行けそうな橋があるんだよ」
「だけどね……大きな貨車が邪魔をして、余りにも重たいもんだから先に進むことが出来なくてこまっているんだ」
その話を聞いた婆ちゃんは小さく溜息を吐いて「到頭時がきてしまったのね……」と呟き、震えながら椅子を立ち上がって、二階へ続く階段裏の古びた棚を探り始めた。
しばらく棚を漁った後、古びた布で包まれた何かを持ってきて、机の上へと置く。
「ジャックや、これを使いなさい」
テーブル上に置かれたのは装着式の遺物のようで、付属品のベルトに巻かれた装身具の中心部に、機械に車輪のようなモノが複数はめ込まれた動力部があること以外、全くもって未知の形状をしていた。
「これを上手く使えば、この家だろうと簡単に動かすことが出来るさね」
婆ちゃんはいつもの朗らかさを露も見せず、ただ淡々と、謎の装身具について説明する。それでも、最後にかけた忠告は、いつもの婆ちゃんの声だった。
「──だけどね、ジャック。私の目が光っている間にこんなモノを使うからには、例え、何があっても必ずあのサイレンが鳴るよりも前に帰ってくるんだよ」
「……お前までもが兄さんのように、呑まれてほしくなんてないのだからね」
まるで、この道具を使っていたであろう人物に何かあったかのように呟くばあちゃんを尻目に、これ以上罪を追及されるわけにもいかなかった俺は、逃げるように上階の寝室へと向かった。
「も、もちろん!
……ありがとうばあちゃん、おやすみなさい」
俺はこの約束を快諾して、強引にハバーサックの奥の方へとそれを押し込んだ。そして、これ以上話しかけられないよう、振り返りもせず階段を駆け上がる。
──階段の折り返し、その途中にちらりと見えた婆ちゃんは、何も知らない俺に対する哀情なのだろうか、眉を顰め目元を暗くし、普段以上にしわがれたように見えるその顔を、机に深く埋めていた。




