♯2 イナゴ 下
──蝗が空を覆ったので、太陽の光も遮られ暗くなりました。雹の害を免れた作物は全て、蝗に食べられてしまいました。国中の木や草が食い尽くされ、緑のものは何一つ残りませんでした──
──砂色のポンチョを風に靡かせ、地平線の果てへと駆けるジャック。
イナゴの触角は鋭く、少しの砂塵が舞うだけでもこちらの存在を感づかれるのだから、慎重に近づかなければならない。ジャックはイナゴに気取られぬよう、残骸の裏で息をひそめつつ相手の様子を伺う。
台風の目…いや、砂嵐の目といったほうがいいだろうか?そこに近づくにつれて、徐々に全容が見えてきた。
どうやら襲われているのは地上の商人たちのキャラバンのようで、かのイナゴは、大きな剣を装備した便利屋と戦っているようだった。自身の体躯の2倍はあるであろう巨大な剣を振り回し、果敢に応戦している。しかしながらあの大きな剣を携えながらでは、イナゴの機敏な動きに追いつくことは難しそうでじわじわと押されていた──
* * *
ジャックは目を閉じる。瞼の裏に広がっていたのは、苦しみを抱えた人々の亡骸が転がっているあの日の情景。ここで動かなければ、結末は何も変わらない。
「──覚悟を決めろ」
あの日と同じく、キャラバンの中には自分よりも小さい子供もいた。それだけでもジャックが戦う理由にはなったのだ。──俺は震える拳を再び強く握りしめる。うんざりするほどの日照りなのに、体は溶けた氷のように冷たく感じた。
脚の一本を叩き切られたヤツは、巨剣が体勢を立て直す隙をついてキャラバンに襲いかかる。
「クソッ!」
巨剣の焦る声が漏れる。キャラバンの人たちは皆、標的にされたことに慌てふためいて四方八方に逃げてゆく。
そして…
「あぁ゛っ」
子供の一人が地面に躓き転んでしまった。
母親がその事実を受け止めるよりも素早く、悍ましい鳴き声をあげながら、奴はその鈍重な脚を振り下ろす。標的は言うまでもなく、転げ落ちた弱者だった──
──機械生命体。奴らは、その種類を問わずして皆血に飢えている。肉を喰らう必要のない、ブリキの体であるにもかかわらずだ。
ジャックは躊躇うこともせずに突っ込む。瞬間、首筋の辺りを冷たい気配がひた走るような感触がした。が、間一髪で子供を抱え上げ跳び避けられたようで、ヤツの無機質な一撃が届くことはなかった。
「ッだ、誰だオマエ?!余計なことをしやがんじゃあねぇ!」
巨剣が、苦しそうにそう怒鳴る。
「大丈夫か?怪我は…見たところなさそうだな」
ベージュのターバンを被るその子は、恐怖心から泣き続けていた。
逃げていった集団の少し前の方に、心配そうに震えながらこっちを見つめてくる人がいる。きっと、この子の母親なのだろう。
「ほらこれ、水だから。これ持って早く母さんのとこに行きな」
溢れる涙を抑えた子供は、コクリと小さくうなずいて母親の元へ駆けていった。
「強い子だな、怖かったに違いないだろうに…」
あれ程恐ろしい経験をしてもなお、あそこまで冷静になれてしまう。それは本来、子供が持ち合わせてはいけない残酷さだ。
「おい!聞いてんのか!ドコの誰なんだよテメェは!」
巨剣の怒鳴る声が聞こえてくるが…質問に答えるよりも今は、目先のコイツを片付けないとキャラバンが危ない。
「先にコイツをなんとかしなくちゃ──な!」
イナゴの弱点は頭だって婆ちゃんが言っていた様な気がする。ヤツが―振りかぶった時の一瞬の隙をついた俺は、跳び上がってドタマに蹴りを喰らわせてやった。が、ビクともしない。それどころか…
「痛ってぇ!頭でっかちにもほどがあんだろ!」
一撃喰らわしてやったってのにコッチが痛い目に合うのじゃあ、まったく割に合ってねぇ…
「何やってんだオマエ…素手相手で敵うわけが…っておい!後ろ見やがれ!」
巨剣の叫ぶ声で振り返る。だが、痛めた脚に気を向けてしまっていた俺は、迫るヤツへ反応するのに遅れてしまった。
「マズッ」
俺は咄嗟に身を翻す。が、いつになっても鈍い衝撃が全身に伝わってくることはない。ただ、強化鋼同士がぶつかり合った時のような、甲高い摩擦音のみが全身に響いた。
恐る恐る目を開いたジャック。その目前には、あの大きな剣でイナゴの打撃を受け止めている便利屋がいた。その接触面からは、激しい力同士の衝突を証明する火花が飛び散っている。
巨剣が得物を振り払うと、イナゴは衝撃を受け流すようにして距離をとる。
「いい加減…答えやがれ…!テメェは誰で…なぜ邪魔してきやがる…返答次第じゃ…タダじゃおかねぇからな…」
余程応えたのだろう。息を切らしながら、イライラとした口調で話す巨剣──
ジャックは考えた──このキャラバンの方々全員を連れてだと、ヤツのスピードから逃げ切ることはできない…何としてでも無力化しないとダメだ。ただ、このまま戦っているようじゃあコッチがやられるのは時間の問題だろう。
見ての通り半端な打撃は通じない…もっとも、あの便利屋の剣なら別だろうが…かといってあの素速さじゃあ、攻撃をあてるのは至難の業だろう。せめてヤツの頭部に、シャットダウンを起こせる程度の有効な重い衝撃さえ与えられれば…
どうしたものかと、イナゴの方に目をやるジャック。弾き飛ばされた先のヤツは、脚を失ったせいなのかバランスを失い、若干よろめいているようだった。
「そうだ…」
ヤツははぐれ者、空を飛ぶことはできないだろう。足場が不安定で動きが制限される場所にさえおびき寄せられれば、そこから地面に叩き落とすことができるかもしれない。
幸いジャックは仕事柄、この砂漠にある残骸について詳しい。ここからそう遠くない場所に、高層の残骸があることを知っていた──
俺はヤツに聞こえるよう、出来る限りの大声で挑発する。
「おい、お前!こっちに来やがれ!この出来損ないのゴミ虫野郎!!」
イナゴは脚を擦ってはジリジリと大きな警告音を鳴らす。
どうやらヤツは、まんまと挑発に乗ってくれたようだった。
「テメっ、いきなり何言ってやがんだよ!」
困惑した様子の巨剣がそう漏らす。
「アイツがあのまま元気に暴れ回っているようじゃあ、いくら君でも一撃食らわしてやることはできない。そうだろ?」
「それは…クソが…認めたくはねぇが、間違ってはねぇ…」
巨剣はまるで苦虫を噛み潰したかのような、渋い表情で答える。そして、歯切れ悪そうにこう続けた。
「だがな…せめてあの野郎の動きさえ止められるのならよ…コイツなら叩き切ってやれんだがな…」
悔しそうに得物を一振りした巨剣…やはりヤツの攻撃を受け流せるこの剣なら、有効打を与えること自体は出来るようだ。
「…動きさえ止められるのならば、本当にヤツを葬られるんだな?」
巨剣の発言で俺は、このアイデアが上手くいくことを確信する。
「ついてきてほしい、俺にいい案がある」
「なんだよそりゃ…そもそも何でオマエの言うことなんざ聞かなきゃならねぇんだ!大体オマエは誰…」
この期に及んでこいつまだ…案外面倒くさい奴だな…勿論、助けてくれたのはありがたいけども…。
「俺はジャック!ジャック・ファウスト!人助けをしにきただけ!さっきは助けてくれてありがとうな、ツンツン頭!」
ジャックは溜息混じりに伝え、イナゴに追いつかれまいと最高速で走り去った。
「人助けだと??何のメリットがあってそんなバカな事…って誰がツンツン頭だこの野郎!」
既にジャックは走り去っており、あたかも両者にコッチに来いと言わんばかりに、はるか先の方で手を振っている。
「…クソッ、足速すぎんだろアイツ…おい!オマエらはその物陰に隠れておけ!オレが戻るまでは絶対にそこから出るんじゃねぇぞ!」
巨剣がキャラバンに指示を出すと同時に、キャラバンの面々はそそくさと、各々が近場の陰に身を潜めていった。
ジャックが背を向け走り出すのと同時に、隠れたキャラバン隊には目もくれず、本能的に背を向ける獲物を狩る捕食者のような形相で、イナゴもその背中を追い始める。
二人はイナゴを無力化する為、高層の残骸へと向かうのだった──