♯16 巣立ち
──閉じた瞼から瞳を少し覗かせて、巨剣の便利屋は真摯に語り出す。
最後に残った温かさをゆっくりと嚥下して、馬鹿舌二人による愉快な味の品評会場も終わりを迎える。一転して厳かな空気感に、今から何が始まるんだと身構えるジャックに対して、マイケルは本旨を切り出す。
「オマエに話さなくてはならない事──それは……」
「そ、それは……」
ジャックは固唾を呑む──何か気に障ることでもあったのだろうか? マズい、心当たりが多すぎてどうにも見当が……謎の罪悪感が、冷や汗とともに背筋を伝った。
「金を……返しに来た」
脈絡のなさすぎる発言に、ジャックの眉はへし曲がる。何も心当たりがない。マイケルは依然として真剣な表情のままだ。それどころか借りた側じゃないかと、あっけらかんとした性格のジャックが反射的に思い浮かべてしまう程に。
「……え? いや、確かにあの場じゃ、金の話はしにくいだろうけどさ……は?」
戸惑い続けるジャックに構うこともなく、マイケルは机の下から草臥れた鞄を取り出す。覗いてみると中には、信じられない程の大金が入っていた。──これだけあれば、2……いや、3年は食いつなげるだろう。ジャックは彼の顔と鞄の中身を交互に見比べた。顔を振り上げるたびに、顎が外れてゆく。
「なんだそのマヌケ面、スラムじゃそれが流行ってんのか?」
何とはなしに揶揄うマイケルだったが、ただ事ではない。ジャックはあまりの奇想天外に息も出来そうになかったが、取り敢えず問い質してみることにした。
「いや、それ誰の? 俺が、何で……」
尋常ではないジャックとは対照的に、マイケルは冷静に経緯を説明する。
「イナゴの分だ、言ったろ? オマエが倒したんだって」
「オレはそれをバラしてよ、飛行商人のボンボンどもに売り捌いただけだ。ネコババは趣味じゃねぇ、だから返しに来た」
「いや、だからって憶えのないものは受け取れないよ……それに、こんな大金」
ジャックは確かに困窮している。明日の暮らしもそうだが、情報を集めるのにも金は必要だ……だが断った。そもそも、仮に倒したのだとして、バラして売ったのはマイケルだ。ジャック一人では出来るはずがない芸当、それも、昏倒していたのを助けてくれたまである。何より不当に誰かから奪うことなど、嘗て自身の立てた血濡れの誓いが許さない。
頑なに拒み続けるジャックに痺れを切らしたのか、マイケルは真意を打ち明ける。
「なぁ、オマエさ。今、何か困ってんだろ? ──金についてだ。
……入院中に偶々聞いちまってよ、ワリィな」
そこまで言い終えて一息置いた後、必死の剣幕でマイケルは迫る。
「受け取ってくれ。オレにはこれくらいしか……或いは」
「驚いた……ほんと槍でも降ってくるんじゃないかって」
思わずジャックの口から言葉が漏れる。出会ってから一貫して、一定の距離を置き続けてきたマイケル。そんな彼が、ここまでの情を抱いていたなど、ジャックは予想だにしていなかった。
「マイケルごめん! てっきり、物凄く薄情なやつだと……いや本当に悪かったと思ってる」
「薄情なヤツで悪かったな! ……その、なんかよ、ほっとけなかったんだ。
オマエみたいな大バカ野郎が、バカを見るってのはもう散々でよ。それだけだ」
「ありがとう、でもいいんだ。結局、俺にそれを稼ぐ能力はなかったんだし。あと……勿論、お金に困っているっていうのは間違いじゃないんだけどな……」
ジャックは出かかった言葉を濁す。悪魔との契約についてなどと、到底現実の話とは思えないような夢物語を真面目に話した所で、現実主義者の彼が果たして、真面目に受け取ってくれるのだろうか?
ジャックの頭の中に、誰かの言葉が流れ着く。──怠惰に犯されようと、可能性を振り払ってはいけない。目を瞑ってでもいい、前に進み続ければきっと先には、望んだ世界が広がっている。
こんな所で一々悩んでいても仕方がない。ジャックは、なお真剣にこちらを向き続けるマイケルを信じてみることにした。
「実は……」
* * *
「それで、つまりあれか。”バケモンとノリで取引しちまって、死にたくなけりゃ残り半年だけの余命で、迷いの森ってな場所に行かなきゃならねぇ”ってことか」
淡々と話を総括するマイケルに、ジャックはぎこちなく頷いてみせる。……だが残念なことに、マイケルの表情は見る見るうちに軽蔑に塗れた姿へと戻った。どうやら、義理堅い男が抱いた一抹の期待も、雲をつかむような戯言の前では無意味らしい。
「……バカにしてんのか?」
マイケルは一言吐き捨てると、見慣れたしかめっ面で怒りを表し始めた。
「ああそうだな、お前にマトモさを期待していたオレがバカだった! 最初からずっとだ、やっぱりコイツは頭が完全にイかれてやがる! 素手で機械生命体に殴りかかったかと思えば、今度は身の程知らずにマジモンの処刑者に喧嘩を売るしよ! こんなヤツのどこが……」
だが、いくらマイケルが怒りのままに暴れようとも、ジャックの表情もまた真剣そのものだった。茶化そうともせず、ただひたすら悩ましそうにしている当人を見て、次第に憤怒のほとぼりも冷めゆく。
「マジで言ってんのかよ、オマエ」
「あいにく……ね」
ジャックのやるせない弱音を聞くとともに、マイケルは左手で髪を掻く。そして、大きくため息をついた後、渋々と述べる。内容自体は全く信じていない様子だったが、落ち込むジャックを見て考えを改めたようだ。
「オレは知らねぇ。けどよ……オヤジなら、助けになれるかもしれねぇな
何だ……その、迷いの森についてだよ」
マイケルの言葉を聞いて、ジャックの胸中は晴れ渡る。今までの陰鬱さがどこ吹く風か、大声で期待を表した。
「本当に?!」
「うっせえんだよバカ野郎! あんまり期待すんなよ。
オヤジとはちょっと、色々あってだな……」
マイケルは何か言いたげにしていたが、ジャックのあまりにも眩しい視線を今更どうしようもなく……根負けして提案する。
「ハァ……分ぁったよ。カミさまに言わせてみれば、これも、何かの縁なんだろうな」
マイケルは照れ臭そうに明後日の方を向きながら呟くと、徐に左手を前へ出す。
「オレと来い。レーゲンの工房事務所まで」
「オヤジに会いたいんだろ? なら当然、断る理由なんかねぇよな」
諭し続けるマイケルに対して、突然の誘いにきょとんと佇むだけのジャックだったが、ふと現実を振り返って心配を口に出そうとした。だがマイケルは、そんなことなど分かりきったかのように遮る。
「言うな。金の心配だろ? ならコレがあるじゃねぇか」
ジャックの思考を言い当てたマイケルは、得意げに鞄を横に揺らす。
「でもそれは、俺が稼いだわけじゃ」
「どうにも面倒くせぇ性格してんな……貧乏人の癖して一丁前に遠慮しやがって
ま、どうせオマエの事だ、何言っても納得しないだろうからよ。オレにも考えがある」
マイケルは煩わしそうに言うと椅子から立ち上がり、所々光の差し込む傾いたトタンの天井を見上げて続ける。
「これっぽちの稼ぎじゃ、いつまで経ってもこの鞄の中位なんて稼げねぇ。これだけの金だってよ、やれ武器だの装備だの保障だので、すぐに消し飛んじまうだろうからな」
そして彼は、初めてジャックに微笑みかけ、得意げに話した。
「それでだ、オマエ、便利屋になれ。あの獣人ゴリラに乗っかるみてぇで腹立つけどよ、間違いなく向いてるよ、オマエは。名高いランツクネヒト所属の一人から、お墨付きだってくれてやる」
「オヤジにオレから紹介してもらうように言っとくからよ。オマエが言ってるその戯言が本当だってんなら……悪い話でもねぇだろ?」
ジャックは、あまりの親切に感極まって泣き出してしまう。先立つための金に、生き抜けるほどの強さを求めていた自身にとって、それは願っても居ない提案だった。先の見えない恐怖と絶望から、漸く抜け出すことが出来そうなのだから。便利屋になる為にはそれ相応の金とコネ、技術が必要不可欠だったからこそ、何もかもが魅力的だといえる。
「マイケルぅ……おまえってやつは!」
「男ならもっとシャキッとしやがれってんだ! 大体、あれだけ無謀に動ける癖して。なんでそんな涙もれぇんだよ……」
「おう……!」
ジャックは涙を拭い、マイケルの差し出した左手と硬く握手をする。だが、感動の契りとは裏腹に、マイケルは頗る機嫌を悪くしていた。
「……おい! ベチョベチョじゃねぇか!」
「いや、悪いね。どうにも最近涙脆くってさ」
「ジジイかオマエは! いや、そうと決まればオマエもオレも時間が惜しい。さっさと準備して行くぞ」
コートを羽織り、鞄を背負った辺りでマイケルは動きを止める。切り替えてテキパキと身支度する彼だったが、一方のジャックは何も用意するつもりなどないといった様子で立ち尽くしていた。
「オマエ、その恰好で行くのか? 町を経由しながら行くとはいえだな、何回かは野宿だ。
どんなバカでも風邪引くぞ。夜の砂漠は寒いなんてモンじゃねぇ」
「大体、この中に入ってるからね」
ジャックは少し空いたハバーサックを軽く叩いてみせる。しかし、陽気はそう長く続かない。何よりも信じられる筈のない事実が吹き込まれたから。
「……って、砂漠の夜だって? 化け物まみれで碌に出歩けないだろうに、てっきり飛行船に乗っていくのかと思ってたよ」
純朴な疑問を抱くジャックに、マイケルは冷たい視線を送る。
「……本当に外、出た事ねぇんだな」
「ツテはあるのかよ、金は? こんなはした金じゃ飛行船の同乗なんて夢のまた夢だぞ
それか、そいつらに何か売り込めるような素養でも持ち合わせてんのか?」
「いや、ない」
ジャックは無駄に自信満々な調子で答える。わざわざ思い返すまでもない。文字通り雲の上の存在である彼らと縁など、ただの屑拾いにあるわけがなかった。
それこそ、先ほどのグレーテル達くらいしか顔程度しか知り得ないのだから、到底叶う筈のない話だ。
マイケルがやれやれといった具合に説き伏せる。
「なら無理だな、あの自己中共が乗せてくれる筈がない。大体、空旅だって安全じゃねぇ。いつイナゴ共に襲われるか、空賊に仕掛けられるか……」
「とにかくだ、ヴァルトブルクまでは歩いて行く。
ここからなら、ざっと20日ちょっとくらいで着くだろうよ」
残り時間から逆算して、気の遠くなる様な長旅を覚悟しなければならないという事実に、ジャックは口をへの字に曲げ、それはそれは露骨に嫌がった。仕方がないとはいえ、大して先も照らされてもいない夜道をただ、闇雲に進むしかないのだ。誰だってへそを曲げたくもなる。
情けないジャックを見かねたマイケルは、説明を止めて一喝を入れる。
「あのな……オレだってそれなりに覚悟してんだからよ、頼むぞ」
これまでの常識が次々に打ち破られ、本能的に思い留まっていたジャック。先に進むには──いつまでも、他人が創ってくれた殻の温もりに甘んじていてはいけない。誰にだって巣立ちの時はやってくる。ジャックにもその瞬間が来た、ただそれだけの事なのだ。
気を取り直し、かつて二階へ続く階段だった場所の裏、燃え残った遺留品置き場を漁る。長い間放置していたからか酷い埃で、目を瞑りながらも更に奥へと手を伸ばした。──確か、此処に在る筈だ。
指に掛かったそれを強引に引き抜くと、煤でくすんだ橙色のトレンチコートが姿を見せる。
「……? これ、どうみても」
ジャックは上から下までそれを観る。──男性用だ、婆ちゃんの使っていたものがあったらいいと思って漁ってたんだけどな。そんな事を考えつつも、よれた外套に袖を通す。取り敢えず今は、寒ささえしのげれば何でもいい。厚手のトレンチコートは重厚感こそあるものの、サイズといい使用用途といい現状に適していた。元々着ていたポンチョは袋や毛布にして使えばいい、何から何まで都合が良すぎる位だ。
「ゴホッゴホッ、どんだけ煙てぇんだよこの家は……スカーフまで貫通してきやがる
おい、あったか? 携行食に色々と買わなきゃならねぇからよ、早く……」
煙の中から手を払いつつ、トレンチコートを羽織ったジャックは姿を現す。
「遅くなってごめんよ、これを探すのに手間取っちゃってさ
あと悪いけど、一つだけ行かなきゃいけない所があるんだよね。アルトマイヤーの資材買取屋っていうんだけど……マイケル?」
マイケルを待たせた事を詫びつつ、遺物の回収ついでに世話になったアルトマイヤーへ挨拶をしなければならないと思っていたジャックは、そのことを彼に伝える。
だが彼には、ジャックの話など聞こえていない。上の空かつ虚ろな目で、釘づけにされたように、ただ黒くくすんだコートだけを見ていた。
「……凄ぇな。コイツはまるで、あの端末の──」
「ど、どうしたの? このコートが何か……」
「いや、何でもねぇ。思ったより似合っているから言葉を失ったけどよ、よくよく見れば気のせいだったってだけだ」
「それより、行くとこがあんだろ? コッチはコッチでやる事終わらしてくるからよ、その回収屋の場所も分からねぇし、ドコかで合流する方がいい」
マイケルは何事もなかったかのようにきっぱりと言い切り、今後の事に顔を向ける。強引さに多少違和感はあったが、わざわざ指摘するほどでもないだろう。
ジャックは、褒めているのか貶しているのかよく分からないマイケルの感想を流しつつ、集合場所について提案する。──広場は……駄目だ、一連の事件で見張られているかもしれない。それなら、あの場所がいいだろう。
「何だよそれ……俺も大概だと思うけどさ、そっちはそっちでもっと素直になれないのかね。
集合場所なら城塞門前にしよう。分かりやすいし、何より人目にもつかないだろうから」
「よし、何でもいいけどさっさと済ませろよ? 早く出ねぇと直ぐ日が暮れちまうからな」
後ろ向きにそう言い残しながら、マイケルは小走りに丘を下って行った。
「さて……と」
造るほどの荷物もないが、荷造りはもう済ませてある。この家から離れる日が来るなんて全く考えたこともなかったからこそ、この感覚は新鮮だった。巣立ち。それは同時に、よすがとの別れを意味する。
ジャックは裏庭とは名ばかりの、家裏の禿げあがった空き地へと足を運ぶ。盛り上がった土に……錆びた鉄パイプで模られる十字架。
「行ってきます、婆ちゃん」
ジャックは手を組み片膝をつける。──婆ちゃんは俺を守るために、このエフォロイの巣からでることを許さなかった。それでもきっと本心では、独り立つ時を待ち望んでいたにちがいない。
「出来る限りしぶとく、抗ってみるよ」
迷ってなどいられない。長く灰を被って動きを止めていた舞台装置が、再び音を立てて動き出した。ジャックは胸に強く己の意志を抱いて、半生を伴ったボロ屋と決別するのだった。
* * *
セピア色の暖かい光が、机越しに向かい合う二人を照らす。
「……相変わらず藪から棒じゃな、ジャック」
「今日は一段と酷い。頓珍漢な事を言い出したかと思えば、”ここから出ていく”などと言い出すとはの」
アルトマイヤーが俯きながら、物々しく話す。
「じいさん。俺、行かなきゃ」
「今まで迷惑かけてごめん、でもこればっかりは、自分で選んだ道だから、けじめをつけなくちゃいけないんだ。
だから……」
ジャックは初めて、アルトマイヤーに本心をぶつけた。他でもない、己の願いが為に。──恐らく、否定されるだろう。バツの悪い表情を誤魔化しきれそうにない。たとえ、後味が悪かろうとも。これが最後になったとしても、強引にでも出ていかなければ。
後味に不安を巡らせていたジャックだったが、いつも頑固だったアルトマイヤーとは思えない程に、あっさりと折れてみせる。
「……分かっていた、いつかこの日がやってくることなど」
老人は呟き、ベンチワークの上に置いてあった例の装身具を手にする。
「手を出さんか、これはお前さんが持っておけ。
儂以外に直せる人間はそういないじゃろう。決して失くしたり、壊すんじゃないぞ」
アルトマイヤーは毛布で遺物を包み、ジャックの両手へと明け渡す。──流石じいさんだ。殆ど元通りになっている。
「いいの? いつもの調子なら」
思わず問いかける。いつだって、あらゆる危険から退けさせようと努めてきたアルトマイヤーのことだ。今回に限っては本当にいつ死んでもおかしくない。普段以上の無謀、衝突すら覚悟していた。
「ああ」
それなのに、アルトマイヤーは深々と頷いてみせた。ジャックを認めたというよりかは、以前から巣立ちの時が来ることを知っていたかのように。
「いつかまた、必ず帰ってくるよ。だから、行ってきます」
並々ならぬ思いを受け取り、ジャックは挨拶を済ませて店を後にしようとする。その背中にアルトマイヤーが、最期となるであろう忠告を授けた。
「その装身具の事、努々忘れるでない。
……それはお前さんが残した、最後の形見なのだからな」
ジャックは振り向きはせずに小さく頷いてみせ、凹んだ扉をこじ開け店から出る。閉まり際、地面に擦れて軋む音だけが、静かな店の中に響き続ける。
一人残されたアルトマイヤーが、積もりに積もった心象を吐露する。
「……これで漸く、店仕舞いが出来そうじゃの」
随分と縁の分厚くなってしまった老眼鏡をカウンターへと置く。──しわがれた手、渇き濁った水晶体、慢性的疲労、脊柱管狭窄症、震顫麻痺、オステオポロズ。あらゆる苦痛に身体を蝕まれ、今や私も、さながら嘗てのアナタ方を寫す姿見の様……あれから随分と経ってしまった。
客と云える人間等、ジャックの他には数える程しかいない。それまでのわずかな賑わいですら、今や影を落としている。
「随分と、静かになってしまったものですな」
アルトマイヤーは、その余生の永くを後悔に苛まれ続けていた。空虚だった。無意味だった。この後生には、何の価値もない、その筈だった。──それでも私は、あの人を信じた。今、やっと……。
──老学徒は霞がかる硝子窓の外、沈みゆく陽の光で橙に彩られた世界を見つつ、この時この瞬間にとっておいた最大の賛辞を、己を蝕み続けた空虚に向かって伝える。
「ファウスト……我が導きの師よ、見ているか? 巣立ちだ、動き出したのだ」




