♯14 垂らされたクモの糸
──ジャックが後ろに振り向くと、不慣れそうに頭を掻きむしる巨剣が立っていた。
地面に叩き伏せられた仕事仲間の憐れな姿に、残された二人の異端審問官は現実を受け止められていない様子で、突然起きた信じられないような急転に言葉を失っている。
「よう、大バカ野郎」
「おまえ……」
ジャックは喜びで声を張り上げようにも、マシューから受けた一方的な暴力と針が悪さをして話すことが出来ない。
「ちょっと見ねえ間によ、随分と派手にイメチェンしたみてぇだな?」
巨剣は腫れたこちらの顔をマジマジと見て、呆れたように項垂れ溜息を吐く。そして、ジョンに突き刺さった得物を抜き取り再び背中へと収めた。
「はあ……だから|他人のソリに乗るなって言ったのによ。大方、またわざわざ面倒事に巻き込まれにでもいったんだろ」
常習犯を蔑む様な、厳しい疑いの目線で巨剣はジャックを見下ろす。しかし彼は、次に用意していたのであろう話さないといけない事を言い忘れていたかのように、気を取り直して口を開いた。
「あ、あれだ。俺がここに来たのはだな、オマエに伝え忘れてた事があって……
そう、戻ってきたんだ」
「だから? 決して、オマエなんかを助ける為に」
巨剣は歯切れ悪そうに、ここへ来た経緯を話す。その最中、いち早くジョンの惨状を受け止めたマリーが、彼の背中目掛けて槌を振るい上げ急襲するのだった。
「うし……!」
ジャックは思わず叫ぼうとする。だが、やはり声に出すことは叶わない。喉が掠れるだけで、彼に危険を伝えることは出来ない。
「ま、その様子じゃマトモに喋られそうにもねぇよな」
「なら先にコッチから片付けるか」
しかし、巨剣はまるで後ろに目でもついているかのように振り向き攻撃を見切ると、今にも叩きつけられそうだった彼女の大きな槌の柄を右腕で掴む。そして、困惑した様な声を上げる槌の女を裏腹に、易々と片腕だけで、槌ごと彼女を持ち上げた。
長らく呆然としていたマシューがようやく正気を取り戻す。
「や、やめろ……マリー、槌から手を離せ!」
「……平気で他人から奪い取るヤツが、奪われる覚悟すら出来てねぇとはな」
「みっともねぇ」
巨剣は、震える声で叫ぶマシューに対してそう吐き捨てると、掴んでいた長い槌の柄をそのまま握り潰す。その後背中に収めていた大剣を引き抜き、落とされたマリーにトドメを刺すのだった。
「あ、あぁ……ジョン……マリー……
く、来るな!」
マシューは狩人から逃げる獲物のように、マルテュリウムで精一杯の反撃を試みるも、シリンダーの中にはもう針は込められていない。ただダブルアクション式特有の、撃鉄が空回りする音のみが響く。
「貴様、この俺を何だと……
俺は異端審問官だ──教会の使者だ!」
「もし手を出してみろ。星が、教会全体が敵に……」
「ならねぇな」
マシューが口上を喋り切るよりも前に、巨剣が割り込んで話す。
「ペテン師が、オマエらじゃあ役不足すぎるってのもあるけどよ。
あのマヌケな生臭坊主野郎に、約束を破ってまで本部に通報だなんて大それた真似…出来るわけがねぇ」
「……つまりだ、オレなりにもう見当がついてるんだよ
諦めな」
巨剣の話を聞いたマシューの顔は青ざめ、今までの彼の横柄な態度からは想像できない程に委縮する。
生気を帯びておらず殆ど一切の良心の干渉を許さなかった淀んだ眼は、かつてないほどに輪郭がぼやけていて、その怯える瞳からは大勢の人々を手にかけた人間が、今更ながら芽吹かせた生への執着という自己中心的な願望が漏れ出ていた。
「……やめてくれ。頼む、命だけは
今までやってきた事が全部、無駄に……」
身震いし続ける様子の処刑者マシューに反して、巨剣の態度は一貫して淡々とこなす。
「まだ”コロス”だなんて一言もいってねえのに、何ビビってんだ?」
「……恐怖の目は大きいってのは
よく言ったものだよな」
同情しているかのようにかけられたその言葉は妙に冷たい。彼はマシューの顔から眼を背けて、解釈前に最後の一言をかける。
「オマエが今までヤっちまった奴らも、そうやって思ってたんじゃねぇのか?」
「向こう側にいったらよ、せめて……しっかり謝るんだな」
──巨剣が餞別を言い終えるとマシューに対してその大剣を振るう。
イナゴを叩いた時とは異なる柔く鈍い音がしたのを最後に、ジャックは意識を失ってしまった。
* * *
──ぼんやりとした意識の中で、誰かが言い争うような声が聞こえる。だが、朦朧としていて何を言い合っているのかまではとても、考えられそうにない。
「説明は上手くできません……
ですが、とにかくジャックさんにとって、この針は猛毒なんです!」
「私がジャックさんの痛みを取り払いますから、なんとか針を取ってください!」
透き通った声色からしてあのブローチをつけた彼女だろうか? 追い立てられるようにして、誰かに指示を出している。
「あークソ! 何が何だかよく分かんねぇけど、ハリってこれのことか? おい!
結構食い込んでるけどよ……もう取っちまうからな!」
巨剣の慌てふためく声も聞こえてくる。どうやら、ハリを抜き取ろうとしているみたいだった…何の?
「そう、それです!私は術の方に集中したいので、お願いします!」
「──Lethe」
彼女がそう唱えると、腹部を中心に冷たくも温かいような、形容しがたい安心感が広がる。まるで、大きな河の流れに身を任せているようで……揺り籠のような安堵感が全身を包んだ。
「とれたぞ……全部で4本もぶっ刺さってやがった」
「おい、起きろ! ここまでやってそりゃねぇだろ
……この野郎、ピクリとも」
針を取ってもらったからなのか、俺の身体は急激に調子を取り戻し始める。手足の感覚も段々と戻ってきて、真っ暗だった視界に光が差し込む。
「いや、今確かに瞼が……
コイツ、まだくたばっちゃいねぇ!」
「……! ジャックさん!」
ジャックが目を覚ますと、その顔周りを二人が心配そうに取り囲んでいた。
「……なぁ、頭ツンツン。もしかしなくても俺のことさ、化け物かなんかだとでも思ってる?」
明らかに瀕死の人間にかける言葉ではない巨剣の発言に対して、思わずツッコんでしまえるくらいには、自身でも不思議な程に体調が回復している。
「あんま変わんねぇだろ。オマエ、バケモンみてぇにしぶてぇしよ。
……てか、誰が頭ヤマアラシだ!」
「そこまでいってねぇよ、ツンツン頭!」
──針を引き抜いたからか、或いは彼女が施した術の効果に依るのか。今のジャックの体は、致命的な怪我を複数負ったことを、さながら忘れてしまったかのように振舞えていた。
治療による緊張で強張っていた彼女の頬も、二人の小競り合いを見て緩み、ささやかに微笑む。
「お二人とも、とても仲がよろしいのですね。ジャックさん、お体の御加減はいかがですか?」
「あー……もう、さっきに比べたら全然? 大丈夫です。
本当に助けてくれてありがとう、えーっと……」
彼女の屈託のない笑みに、思わず吸い込まれてしまいそうな優しい声色は、その美しさも相まって女性経験がなかったジャックをたじろがせる。
呼び方が分からず困っている様子のジャックから察したのか、彼女は自ずから挨拶をする。
「すみません。そういえば、自己紹介がまだでしたね」
「グレートヘンといいます。発音し辛いでしょうから、私の事はグレーテルとでも呼んでください」
グレーテルは自己紹介を終えると、スカートの両裾を軽く持ち上げて、礼儀概念が形骸化した今の時代では殆ど見ることのないような、礼儀正しく形式に沿ったお辞儀を披露してみせる。
「ど、どうも、僕はジャック。ジャック・ファウストです」
どこか初々しい装いのジャックを、巨剣が冷やかす。
「オマエ、そんな畏まった話し方だっけか?
……一人称まで変わっちまってるし」
「うっせえ!」
命の危機による緊張が完全に解け、3人は一緒になって広場の中心で笑う。
「まぁ、冗談飛ばせるくらいには調子も良くなったみてぇで良かったよ。
……今度こそ本当に死んじまったのかと思った」
今更思い出したのか、或いはずっといいタイミングを見計らっていたのだろうか──彼はようやく二人に向けて名乗るのだった。
「オレはマイケル、マイケル・スタークベッター。傭兵だ」
「グレーテルさん、ありがとな。
アナタが居なけりゃ、コイツは間違いなくお陀仏だったろうよ」
「伝え忘れてた事って、まさかソレ?」
マイケルは痛い所でも突かれたのか、飼い犬の様な朗らかな笑顔から一転して焦り出す。
「……その事、覚えてやがったのか」
「いや、別にいいんだけどな
ただ、こんな人目のつく場所で話せることでもねぇからよ」
何せここは普段でさえ賑わう中心街なのだから、どうしても人目は付いてしまう。飢えた露天商が胡坐をかいているこの場所、それこそ誰が聞き耳立てているのか分かったものじゃない。
──マイケルが確認の為周囲を見回し、大剣に付いた血糊を拭き取ろうと身を屈めたその瞬間だった。
背後数メートル先で横たわっていたマシューの腕から、それこそ陽光のように赤い光が煌めく。
いち早く気が付いたジャック。確か、奴の右腕に備えられていた射出機構には二つの銃口があった。一つは殉教針を撃ち出す回転式のシリンダー付きの銃口。もう一つは、何の目的でつけているのか分からない二の腕くらいの太さの大筒。
「危なっ……!」彼が反応した頃にはもう既に、マシューはボロボロになり倒れながらもトリガーへと指をかけていた。そして、最期の術を唱えようと口を開く。
「──教会にのみ栄光あれ」
閃光が走ったのと同時に大きな銃声が鳴り響き、ジャックは思わず顔を背ける。
……再び見上げた時に視界に入ったのは、新たなる地獄ではなく──額に弾丸を撃ち込まれて動かなくなったマシューと、彼の頭を踏みつける長身の女性が姿を見せた。
「ギャハハ! Jesus!」
色褪せた白のショートタンクトップに強者であることを裏付ける割れた腹筋、不相応の灰色の新聞帽子。
そして、目立つ緑の長いカーゴパンツとボロボロになった革靴を履いたその女は、持っていた二丁のガンブレードから出る硝煙に息を吹きかけた後に、歪んだ笑みを浮かべて叫ぶ。
短く切ってあるボサボサの白い髪も含めて、マイケル以上に粗暴な風体だった。が、何よりも……。
「み、耳?!」
──帽子を貫いていた獣の様な耳…尋常な人間とはまた異なったその存在は、じれったそうに此方へと顔を向けるのだった。




