第4話:塵まみれの第一歩と、見慣れぬ硬貨
ボロボロの建物を手に入れた興奮と、異世界式コーヒーを初めて淹れた感動も束の間、現実は冷徹だった。俺、ケンジは、ガランとした埃っぽい空間に立ち尽くし、目の前の課題の山に溜息をついた。
「…さて、何から始めるか」
頭の中で、カフェ開店までの道のりを改めてリストアップする。
1.建物の清掃と最低限の修繕。
2.内装(カウンター、客席、照明など)の準備。
3.キッチン設備(オーブン、コンロ、調理器具)の準備。
4.必要な道具(ミル、抽出器具、カップ、皿、カトラリー)の準備。
5.材料(コーヒー豆、砂糖、ミルク、小麦粉、卵、その他)の調達。
6.資金の確保。
…無理ゲーだ。
特に、6の資金が壊滅的だ。手元にあるのは、先ほどクロマメを買って僅かに残った、この世界の硬貨が数枚だけ。これで一体何ができるというんだ。
しかし、立ち止まっているわけにはいかない。まずは、今できることからやるしかない。
優先順位は、圧倒的に「清掃と最低限の修繕」だ。このままでは作業もままならない。
清掃に必要な道具…箒、雑巾、バケツ。
前世なら100円ショップで揃うものだが、ここにはない。市場に行けば買えるかもしれないが、その金がない。
「無ければ、作るか、拾うか…」
商社時代、限られたリソースで成果を出すのは得意だった(というか、そうするしかなかった)。あの時のスキルを活かす時だ。
建物の外に出て、使えそうなものを探す。
裏手の森との境目で、適当な枝を見つけた。しなやかで弾力のある枝を何本か束ね、近くに生えていた丈夫なツタで縛る。形はいびつだが、これでも十分箒の代わりになるだろう。
バケツになりそうなものは…転がっていた錆びた鉄のバケツを見つけた。底に穴が開いているが、泥や埃を入れるくらいなら使えるか。
雑巾は…着ている服はこれ一着だし、他に布切れもない。どうする? …仕方ない。袖口や裾など、目立たない部分を少し破いて使うことにした。
粗末な道具を手に、再び建物に戻る。
埃が積もり、カビの生えた壁。足を踏み入れるたびに舞い上がる塵。
「…ひどいな」
覚悟はしていたが、想像以上だ。
しかし、これもカフェを作るためだ。
ケンジは箒を手に取り、無心で埃を払い始めた。舞い上がる塵で、すぐに視界が悪くなる。口元を布で覆いながら、ひたすら掃き続ける。
壁の煤汚れを布切れで拭くと、すぐに布は真っ黒になった。何度も水を汲みに行き、絞って拭く作業を繰り返す。井戸水は冷たいが、体を動かすにはちょうど良い。
天井の雨漏り跡や壁のヒビも気になるが、本格的な修繕には専門知識や材料が必要だ。今は、とりあえず埃と汚れを取り除くことに集中する。
日が傾き始める頃、ようやく建物の半分ほどの清掃が終わった。体はもうクタクタで、全身は埃と泥まみれだ。呼吸をするたびに肺に塵が入ってくるようだ。
「…これだけやっても、まだ半分か」
溜息とともに、自分が置かれている状況を再認識する。掃除だけでこれだ。内装や設備なんて、一体いつになることか。
そして、根本的な問題である「資金」だ。このままでは、いくら時間があっても材料一つ買えない。
どうやって、この異世界で、まともな稼ぎを得るか?
剣も魔法も使えない。肉体労働は限界がある。何か、俺にしかできない、あるいは俺が有利になるような稼ぎ方は…?
考えろ、商社マンだった頃の俺。あの時だって、無いものの中からビジネスチャンスを見つけてきたじゃないか。
俺が持っている知識は、この世界の人が持っていないものだ。
例えば、物の配置を効率的にする方法。商品の見せ方。顧客の行動心理。在庫管理の基本的な考え方…。
そうだ。市場で見た露店の、あの混沌とした感じ。あれを少し改善するだけで、売り上げが変わるかもしれない。
ケンジは、掃除を途中で切り上げ、再び市場へと向かった。狙いをつけたのは、先ほどクロマメを買った露店の近くで、特に品物がごちゃごちゃと積まれている、人の良さそうなおばさんの八百屋だった。
「すみません、少しお話しさせて頂けますか?」
声をかけると、野菜を並べ直していたおばさん(アニャさんとしよう)は、不審そうな顔をした。
「なんだい、あんた。何か用かい?」
「実は、私、ちょっとした知識がありまして。お店の商品の並べ方や管理を少し工夫するだけで、今よりたくさん売れるようになるかもしれないんです。もしよろしければ、少しだけ試させていただけませんか? もし効果がなければ、何も結構ですので」
アニャさんは、露骨に眉をひそめた。「商品を並べ直す? そんなことで売り上げが変わるもんかい。あんた、一体何者だい? 怪しい者じゃないだろうね?」
「私は、遠くから来た者です。お金はほとんどありませんが、この街で何か仕事を始めたいと思っています。まずは、私の知識が役に立つか試させてほしいんです。決して損はさせません」
必死に、しかし丁寧に説明する。商社時代の経験が、こんなところで活きるとは皮肉なものだ。アニャさんは迷っていたが、ケンジの真剣な眼差しと、一切金銭的なリスクがないという条件に、根負けしたらしい。
「…ふぅん。まあ、どうせ大して儲かっちゃいないし、試すだけなら害はないか。いいだろう、ちょっとだけやってみな。でも、変なことはするんじゃないよ」
「ありがとうございます! では、このテーブルの上だけでもよろしいでしょうか?」
ケンジは、アニャさんの許可を得て、一部の野菜の陳列に取り掛かった。
売れ筋のものを手前に、見た目が良いものを目立つように。色合いを考えて並べたり、まとめて置きがちなものを少し分けて、お客様が手に取りやすくする。値札(もしあれば、見やすくする)や簡単なPOP(紙があれば)があれば尚良いが、今日は並べ方と商品の向きだけだ。
ものの数分で、ケンジが手掛けた一角が見違えるようにスッキリし、個々の野菜が魅力的に見えるようになった。
「おや? なんだか、見やすいねぇ…」
アニャさんが感心したように呟く。
すると、すぐに効果が出始めた。通りかかった客が、その一角に目を留める頻度が増えたのだ。そして、「お、このトマト、美味しそうだね」「このジャガイモ、形がいいじゃないか」と、足を止めて商品を見てくれる客が増えた。実際に手に取ってくれる客も出てきた。
短い時間で、ケンジが担当した区画から、数個の野菜が売れた。他の区画の売れ行きと比べても、明らかに良い。
アニャさんは目を丸くしていた。
「へえ! 本当だ! なんだか、よく売れるようになったよ! あんた、一体どうやったんだい?」
ケンジはホッと息をついた。異世界で初めて、自分の「知識」が金になる可能性を示せた瞬間だ。
「簡単なことです。お客様が商品を見つけやすく、そして手に取りやすいように工夫しただけです。それに、少しだけ美味しそうに見えるように…」
アニャさんはすっかり感心した様子で、「すごいねぇ! じゃあ、このまま全部お願いしたいんだが!」と言ってきた。
「ありがとうございます。ですが、今日はもう時間がありませんので。また明日、来させていただいてもよろしいでしょうか? その時に、今日の売り上げが増えた分から、少しだけ分けていただけると…」
アニャさんは快く承諾し、今日の働き分として、約束通りいくつかの小さな硬貨をケンジに手渡してくれた。
市場を出る頃には、すっかり夕暮れ時になっていた。
手に握られた、温かい硬貨。額は少ないが、これは初めて、この世界で自分の力で稼いだ金だ。
ボロボロの建物に戻る。中はまだ埃っぽい。修繕すべき場所も山ほどある。カフェ開店までの道のりは、依然として果てしなく遠い。
だが、ケンジの心には、確かな光が灯っていた。
塵まみれの第一歩は踏み出した。そして、商社マン時代の知識が、この世界でも通用し、金を稼ぐ手段になることが分かった。
これで、少しずつでも、前へ進める。
この手で、必ずあのカフェを、この街に作ってみせる。
手に残った硬貨を眺めながら、ケンジは誰もいない暗い建物の中で、静かに決意を新たにした。
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