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第2話:ゼロからのスタート地点

異世界の街を歩きながら、ケンジの足取りは確かなものに変わっていた。もう迷いはない。ここでの目的は定まった。「カフェを開く」。シンプルだが、この世界では誰もやっていない、そしてきっと人々に喜ばれるはずの仕事だ。


問題は、どうやってそれを実現するか、だ。


まず必要なのは、店舗となる場所。カフェの立地としては、人通りの多い通りが良いのだろうが、今の俺には金がない。転移してきた時に持っていたのは、チュニックのポケットに入っていた、見慣れない硬貨が数枚だけ。見るからに価値は低そうだ。


となると、狙うべきは家賃の安い物件だ。街の中心部から離れた場所か、あるいは何か問題を抱えた物件だろう。


「あの辺りとか…かな」


ケンジが目を付けたのは、先ほど通りかかった裏通りにあった、古びた小さな建物だった。以前は何かの倉庫か作業場だったのだろうか、窓は埃まみれで、扉も歪んでいる。正直、見た目はボロボロだ。だが、その分、家賃は破格に違いない。そして、ケンジにはあの建物が持つ「可能性」が見えた。現代日本のカフェのレイアウトを考えれば、あの空間でも十分に活かせるはずだ。


幸い、その建物の前には「貸出中」を示すらしい木の札が立っており、近くに連絡先(らしき印と名前)が書かれていた。


書かれていた場所を訪ねると、そこは街で古物商を営む老人の店だった。

「おう、あのボロ屋に用があるのかい?」

無精ひげを生やした、いかにも頑固そうな老人が、疑わしげな目でケンジを見る。


「ええ、あの建物を借りたいのですが」

ケンジは、サラリーマン時代に培った、どんな相手にも物怖じしない度胸で問いかけた。


老人は鼻を鳴らした。「あれは見ての通りだ。雨漏りもするし、壁にはヒビも入ってる。修理には金がかかるぞ」

「それは承知の上です。ただ、何か新しいことを始める場所を探していまして。家賃は、札に書かれていた額で間違いないでしょうか?」

老人は意外そうな顔をした後、ニヤリと笑った。「ああ、間違いねえよ。誰も借り手がいないからな、捨て値同然だ。ただし、半年分前払い、ってのが条件だ」


半年分前払い! ケンジは思わず硬貨を握りしめた。これでは、手持ちの金の大半が吹き飛んでしまう。残りで、最低限の道具や材料を揃えられるだろうか?


一瞬躊躇したが、ここでためらっては何も始まらない。商社マン時代、勝負所で腹を括る経験は嫌というほど積んできた。


「分かりました。その条件でお願いします」

ケンジは手持ちの硬貨を全て叩き出した。足りない分は、価値の高そうな銀色の硬貨でどうにか補う。老人は硬貨を吟味し、数えながら顎を撫でる。


「ふむ…まあ、これで足りねえこたねえな。いいだろう。お前さん、妙に腹の座った顔をしてるな。何に使うんだ、あんなボロ屋を?」

「ええ、ちょっとしたお店を開こうかと。人々に、まだ知られていない美味しいものを出す店です」

「ほぅ? 面白い。まあせいぜい頑張んな」


老人は簡単な羊皮紙に契約内容を書きつけ、ケンジに渡した。これで、あのボロ屋は半年間、俺のものになった。文字は読めなかったが、なぜか内容だけは頭に入ってくる。これも異世界補正だろうか。


鍵…ではなく、少し大きめの鉄の棒を受け取り、ケンジは再び裏通りへと向かった。


軋む扉を開けて中に入ると、想像以上の埃とカビ臭さ、そして暗さに思わず咳き込む。

狭い空間に、ガラクタが散乱している。天井には雨漏りの染みがあり、壁には確かにヒビが入っていた。床も所々腐っているように見える。


「うわぁ…こりゃ、手ごわいな」


前世でリフォーム番組を見るのは好きだったが、まさか自分が異世界でゼロから店舗改修をすることになるとは思ってもみなかった。


しかし、ケンジの目は輝いていた。この何もない空間が、これから自分が作る理想のカフェになるのだ。

どこにカウンターを置くか? 客席は何席くらい? キッチンの効率的な動線は? 窓からの光をどう活かす? 頭の中で、様々なアイデアが立体的に組み上がっていく。


「よし、まずは掃除と修繕からだ。それから、道具と材料を揃えないと」


だが、すぐに現実の壁にぶつかる。

掃除道具も、修繕に使う釘や木材、トンカチもない。そして何より、肝心のカフェの要となる道具や材料――コーヒー豆はもちろん、砂糖、ミルク、小麦粉、卵、焼き窯、ミル、抽出器具、カップ、スプーン…挙げればきりがないが、そのほとんどが、この世界では希少か、あるいは存在すらしない可能性がある。


そして、それを揃えるだけの金は、家賃でほぼ尽きてしまった。


「さて…どうするか」


途方に暮れそうになったが、ケンジはすぐに思考を切り替える。商社時代、予算がない中で新しいプロジェクトを立ち上げるなんて日常茶飯事だった。無いなら、工夫して手に入れるしかない。


まずは、あの「コーヒー豆」だ。

あの古物商の老人から豆の出所を聞き出せないだろうか? あるいは、市場の隅っこで怪しいものを扱っている店を探すべきか?


ケンジは立ち上がり、あの豆を見た場所へ向かうことにした。手元に残ったわずかな硬貨を握りしめながら。


「まずは、一杯のコーヒーを淹れるところからだ…」


それは、前世の自分にとっては何でもない、日常の一コマだった。

だが、この世界でそれを実現することは、途方もなく高く険しい道のりの始まりだった。


それでも、ケンジの顔には、絶望の色はなかった。かつての死んだ魚のような目ではなく、希望に満ちた光が宿っている。


新しい人生の、本当のスタート地点は、この埃っぽいボロ屋だ。

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