表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/18

第17話:アニャさんのコーヒーと、広がる輪

魔法士たちの間で静かな評判を呼び始めた「カフェ・エトワール」。俺、ケンジは、彼らがもたらす知識の探究心と、コーヒーへの純粋な感動に触れるたび、このカフェを始めて本当に良かったと実感していた。日々の売上も少しずつ安定し、フリッツ親方への支払いも順調に進んでいる。



そんなある日、店に顔を出したのは、市場の野菜売り、アニャさんだった。いつも心配そうに俺の身を案じてくれる、優しい女性だ。


「にいちゃん、今日も頑張ってるね。あんたの店、最近、変なローブを着た客がよく来てるって市場で噂になってるよ」

アニャさんはそう言って、カウンターに腰掛けた。彼女は、まだ店でコーヒーを飲んだことがない。以前、カウンターを磨いていた時に立ち寄ってくれたが、その時は「また今度ね」と言って帰って行ったのだ。


「アニャさん、今日はどうですか? 私の『コーヒー』、試してみませんか?」

俺は、最高の笑顔で勧めた。彼女には、店を始めたばかりの頃からずっと世話になっている。市場での仕事も、アニャさんの紹介がなければ成り立たなかっただろう。この恩人に、俺の最高のコーヒーを味わってほしい。


「あんたのそんな顔見たら、断れないねぇ。じゃあ、一杯だけ、もらおうかね」

アニャさんは、少し照れくさそうに笑った。


俺は心を込めて、クロマメを焙煎ドラムで煎り、グラインダーで挽き、そして布フィルターをセットしたドリッパーで丁寧に抽出した。カウンターに淹れたてのコーヒーカップと、焼きたてのクッキーを置く。


アニャさんは、まずカップから立ち上る、甘く芳醇な香りを深く吸い込んだ。その表情が、驚きに変わる。

「これは…! 野菜や果物にはない、不思議な香りだねぇ」


そして、ゆっくりと一口、コーヒーを口にした。

その瞬間、アニャさんの目が大きく見開かれた。彼女の表情は、驚き、感動、そしてどこか懐かしむような複雑なものに変わっていった。


「…あ…」

アニャさんの手から、思わずカップが滑り落ちそうになるのを、俺は慌てて支えた。


「にいちゃん…これは…これは…!」

アニャさんは、震える声でそう呟いた。その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。


「この味…こんなにも温かくて…心が落ち着く飲み物、初めてだよ…」

彼女はそう言って、再びゆっくりとコーヒーを味わった。一口、また一口と飲むたびに、アニャさんの顔から、市場での忙しさや、日々の疲れが溶けていくように見えた。


「あんた…こんなすごいものを作っていたのかい…」

アニャさんは、そう言って、優しく微笑んだ。その笑顔は、これまでの彼女のどの笑顔よりも、穏やかで、そして心からのものだった。



アニャさんは、それから何度か店に立ち寄ってくれるようになった。彼女はコーヒーを飲むたびに、まるで心の疲れが癒されるかのように、穏やかな表情を見せた。


「このコーヒーを飲むとね、市場での嫌なことも忘れられるんだよ。不思議な力があるねぇ」

彼女の言葉は、俺のコーヒーが、単なる飲み物ではなく、人々の心に寄り添う「癒し」の存在になりつつあることを示していた。


そして、アニャさんをきっかけに、市場の人々も少しずつカフェに興味を持ち始めた。

「アニャさんがそんなに言うなら…」「変なローブの客が来るって噂の店か?」

最初は物見遊山のような顔で訪れる者もいたが、一度コーヒーとクッキーを口にすれば、皆がその味に驚き、感動した。


「こんな美味い飲み物があるなんて!」「この甘い菓子も、食べたことがない味だ!」

彼らは、最初は遠慮がちに注文したが、すぐに常連となり、仕事の合間に店を訪れるようになった。大声で笑ったり、悩みを打ち明けたり、市場の出来事を語り合ったり…俺のカフェは、魔法士たちの「隠れ家」であると同時に、市場の人々にとっても、新たな「憩いの場」になりつつあった。



店は、以前のような静けさとは打って変わり、時間帯によっては賑やかになるようになった。

俺は、焙煎ドラムを回し、グラインダーを挽き、丁寧にコーヒーを淹れる。そして、オーブンで焼きたてのクッキーを提供する。忙しいが、充実した日々だ。


人々の会話が飛び交う中、俺はカウンターの奥で、静かに彼らの笑顔を見つめた。

前世で夢にまで見た、「自分のカフェ」。

それは、今、この異世界の街で、確かに息づいている。


そして、この店を訪れる人々が、笑顔になるたびに、俺の心もまた満たされていくのを感じた。

「カフェ・エトワール」の光は、少しずつ、街全体に広がり始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ