第16話:静かなる反響と、口コミの力
魔法士オーリという最初の客を迎えた「カフェ・エトワール」は、静かに、しかし確かにその存在を異世界の街に示し始めた。あの日のオーリさんの言葉が、俺、ケンジの胸に確かな自信となって響いていた。
開店から数日、店には依然として客は来なかった。当然だ。この街には「カフェ」という業態自体が馴染みがないし、俺の店は賑やかな大通りから少し奥まった場所にある、見た目も地味な建物だ。それでも、俺は毎日欠かさず店を開け、カウンターを磨き、最高のコーヒーとクッキーを準備して、ただ「待つ」ことを続けた。
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しかし、変化の兆しは、徐々に現れ始めた。
ある日、市場で仕事を終えて店に戻ると、扉に小さな紙が挟まっていた。見ると、それはオーリからのものだった。
「ケンジ殿。あなたの『コーヒー』と『焼き菓子』は、並ぶものなき逸品です。私は、その感動を塔の同僚たちにも伝えました。近いうちに、彼らが店を訪れるかもしれません。彼らは皆、新しい知識と経験に貪欲な者たちです」
オーリは、俺の店の宣伝をしてくれていたのだ。
そして、その言葉通り、数日後、最初の客が訪れた。
カラン、という鈴の音と共に店に入ってきたのは、オーリと同じく魔法士のローブを纏った二人組だった。一人は背の高い女性魔法士、もう一人は厳めしい顔つきの男性魔法士だ。彼らは店の中を見回し、棚に並べられた見慣れない道具たちに興味深げな視線を向けていた。
「あなたが、オーリの言っていた『不思議な飲み物と菓子』を作る者ですか?」
女性魔法士が尋ねた。
俺は最高の笑顔で彼らを迎え、店の一番奥のテーブルへと案内した。そして、焙煎ドラムとグラインダー、フィルターホルダーを使って、最高のコーヒーを丁寧に淹れ、焼きたてのクッキーを添えて出した。
二人の魔法士は、最初こそ警戒したような面持ちだったが、一口コーヒーを飲むと、その表情はオーリと同じように驚きと感動に変わった。
「これは…! 脳の奥まで澄み渡るような感覚だ…!」「こんな香りは嗅いだことがない!」
彼らは、コーヒーとクッキーを前に、熱心にその味や香りを分析しようとしていた。その姿は、まるで新しい魔法の薬を探求する研究者のようだ。
料金を支払い、彼らは満足そうに店を出て行った。その日、俺の売上は、この店を始めてから最高の額となった。
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魔法士たちの間で「カフェ・エトワール」のコーヒーとクッキーが話題になったらしく、それからというもの、賢者の塔に所属する魔法士や研究者たちが、ポツポツと店を訪れるようになった。
彼らは皆、物珍しげに俺の道具を見つめ、コーヒーとクッキーの味に驚き、そして興味深い質問を投げかけてきた。
「この『焙煎』とやらは、熱魔法の応用か?」「この『グラインダー』は、魔道具の一種なのか?」
俺は、魔法の知識は持ち合わせていないが、科学的な原理や、道具の機能について、彼らに分かる言葉で丁寧に説明した。
彼らはコーヒーを飲みながら、魔法の理論や、この世界の不思議について語り合った。時には、俺の知らないこの世界の地理や歴史についても教えてくれた。彼らの会話は、俺の異世界での知識を深める上でも非常に役立った。
「この店のコーヒーを飲むと、集中力が増す気がする」「夜遅くまで研究する時に、この『コーヒー』は最適だ」
そんな言葉が聞かれるようになり、魔法士たちの間では、「カフェ・エトワール」のコーヒーが、思考を研ぎ澄ますための「秘薬」として、密かな評判を呼び始めた。
俺の店は、まだ一般の客で賑わうことはない。だが、魔法士たちが訪れることで、店の奥まった場所にあるという立地の不利は、彼らにとっては逆に「隠れ家」としての魅力を増しているようだった。彼らは店の雰囲気を気に入ってくれたようで、静かで落ち着いた空間で、自由に語り合える場所として、カフェ・エトワールは彼らにとって貴重な場所になっていった。
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日々の稼ぎは、少しずつだが着実に増えていった。フリッツ親方へのオーブン代の支払いも、ようやく目処が立ってきた。そして、材料の仕入れも安定してきた。
俺は、今日もカウンターに立ち、磨き上げた焙煎ドラムとグラインダー、そしてフィルターホルダーを眺める。
この街に、異世界に、一歩ずつ自分のカフェを築き上げていく喜びが、体中に満ちていた。
最高のコーヒーとクッキー。そして、それを理解し、求めてくれる客。
「カフェ・エトワール」は、まだ小さな星だが、その光は確かに広がり始めていた。