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第11話:巨壁「オーブン」への挑戦

 濾過の壁を越え、澄み切った最高のコーヒーを淹れることができるようになった俺、ケンジ。その一杯を飲むたびに、これまでの苦労が報われるような達成感があった。しかし、カフェの開店という夢は、まだ道半ばだ。次の、そして最大の課題が俺の目の前に立ちはだかっていた。


 そう、オーブンだ。


 カフェには、コーヒーと共に提供するスイーツが不可欠だ。前世で慣れ親しんだ、あのふわふわのケーキや、サクサクのクッキー、とろけるようなタルトをこの異世界でも作りたい。そのためには、一定の高温を保ち、温度を制御できる密閉された空間、すなわちオーブンが必要になる。


 暖炉の火や、金属板の上で焼くような原始的な方法では、とても繊細な焼き菓子は作れない。生焼けになったり、焦げ付いたり、中心まで火が通らなかったりするだろう。


 問題は、この世界に「オーブン」という概念が存在しないことだ。パン屋は巨大な石窯を使っているが、あれはパンを焼くためのもので、温度調節が難しい。ましてや、個人で店に設置できるような小型のオーブンは皆無だろう。


 ゴルグ親方のような鍛冶屋は金属加工のプロだが、彼は火力の制御や熱の閉じ込めといった、精密な熱設計の専門家ではない。エルドリン親方のような精密細工師も、機械の複雑な仕組みは理解できても、大型の窯を築く技術はないだろう。


 オーブンは、レンガや石を積み上げて作る「窯」だ。必要なのは、石工や建築家のような知識と技術を持つ職人。そして、材料費も、これまでの道具とは比較にならないほど高額になるはずだ。


 俺は、市場での仕事を続けながら、それとなくオーブンについて聞き込みを始めた。


「この街に、丈夫な窯を作ってくれる職人さんはいませんか?」「熱を逃がさない、四角い箱のようなものを作ってくれる人は…?」


 最初は、たたら製鉄の職人や、陶芸用の窯を作る職人を紹介された。彼らは火を扱うプロだが、パンや菓子を焼くための「オーブン」の構造は理解できない。設計図を見せても、「こんな小さな窯で何をするんだ?」「熱が足りないだろう」と首を傾げるばかりだった。


 そんな中、市場で働くアニャさんが、俺の様子を見て声をかけてくれた。

「にいちゃん、何か困っているのかい? 最近、いつもと違うものを探しているみたいだが」

 俺は、正直にオーブンについて説明した。パンを焼く窯よりも小さく、温度を調整できる、菓子を焼くための特別な窯が必要なのだと。


 アニャさんは少し考えてから、教えてくれた。

「それなら…街の北の端に、『土壁のフリッツ』って呼ばれてる爺さんがいるが、どうだい?」

「土壁のフリッツ?」

「ああ。昔は色んな建物の壁や窯を作っていたらしいが、気難しい爺さんでね。今はほとんど仕事を受けないんだ。でも、あんたの言う『熱を閉じ込める箱』ってのに、興味を持つかもしれない。あの爺さん、熱の通り道とか、風の流れとか、そういうのを妙に気にするからね」


 藁にもすがる思いで、俺は「土壁のフリッツ」の元へと向かった。

 街の北の端は、人の気配もまばらな場所だった。そこには、土壁で囲まれた小さな家と、その隣に積まれた大量のレンガや石が見えた。


 フリッツは、見た目からして頑固そのものだった。白髪と髭は伸び放題で、全身が土と埃にまみれている。俺を見ると、警戒するように目を細めた。


「なんだ、お前。俺に何の用だ? 用があるなら、とっとと話せ」

 ぶっきらぼうな口調に怯まず、俺は覚悟を決めて、オーブンの設計図を地面に描き始めた。


「親方、私、この街でカフェを開きたいんです。そのためには、最高のコーヒーだけでなく、この街にはない『焼き菓子』というものを提供したい。そのために、この窯が必要なんです」


 熱源の配置、煙突の構造、熱を閉じ込めるための二重構造の壁、そして、焼き具合を見るための小さな窓や、温度を調節するための空気孔。俺が持っている現代の知識を、この世界の素材と技術で実現できる形に落とし込み、必死に説明した。


 フリッツは、最初は腕を組み、怪訝そうな顔で聞いていた。だが、俺が熱の循環や空気の流れ、蓄熱について語り始めると、その表情が少しずつ変わっていった。瞳の奥に、かつての職人の輝きが宿り始める。


「…ふむ。この熱源をこの位置に置き、煙突をこう流す…だと? そうすれば、熱は壁に蓄えられ、中心が温まる…ふむ…」

 フリッツは、俺が描いた図の上に、自分の指で別の線を引いたり、石を置いたりして、何かを考え込んでいる。


「だが、この窓は熱が逃げる。そして、この空気孔で本当に温度を調整できるのか? 焼き菓子とやらが、どのような熱を好むのかも分からん」

 彼は、次々と疑問を投げかけてくる。その内容は専門的で、俺の知識だけでは答えきれない部分もあった。


 俺は、前世で得た知識と、この異世界の材料の知識を組み合わせて、必死に説明を続けた。彼の疑問を全て解消できたわけではないが、俺の情熱と、奇妙なカラクリへの興味が、フリッツの心を動かしたようだ。


「…面白い。全くくだらん発想だが、職人の血が騒ぐな」

 フリッツは、ニヤリと笑った。それは、ゴルグ親方やエルドリン親方が見せた、職人特有の挑戦への好奇心に満ちた笑みだった。


「引き受けよう。ただし、これは大仕事になる。材料も大量に必要だ。金も…かなりの額になるぞ。そして、俺は気まぐれだ。いつ完成するかは保証できん」


 予想通りの言葉に、俺は安堵と緊張が入り混じった。これまでの稼ぎを全て投入しても足りないだろう。いや、下手をすれば、今まで稼いだ総額を軽く超えるかもしれない。


「ありがとうございます、フリッツ親方! 費用は、必ずお支払いします! 私も、できる限りの手伝いをさせていただきます!」

 俺は深々と頭を下げた。これで、巨壁「オーブン」への、最初の一歩を踏み出すことができた。


 金銭的な問題、そして完成までの途方もない時間。課題は山積している。

 それでも、俺の胸には、一筋の光が差し込んでいた。


 最高のコーヒーに、最高のスイーツを添える。

 異世界で、あの「カフェ」を完成させる夢が、少しだけ現実味を帯びてきた。

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