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第10話:濾過完了、澄んだ黄金、そして次の巨壁

 テラ親方にセラミック製のフィルターホルダーの製作を依頼してから、俺は市場での仕事とボロ屋の改修作業に励む日々を送った。


 壁の漆喰塗りを終え、カウンターの骨組みも少し頑丈になった。稼いだ金は、次の支払いと、僅かながら材料の購入に充てる。砂糖(この世界では貴重品で塊で売られている)、牛乳(少し癖があるが、温めれば使えそうだ)、そして小麦粉(こちらは種類が多いが、どれが製菓に向いているか試す必要がある)などを少しずつ集めた。


 そして、待望の連絡が入った。テラ親方の工房へ行くと、焼き上がったフィルターホルダーがいくつか並べられていた。


「よう、豆のあんちゃん。できたぜ、お前の妙なコップ。いくつか形を変えてみたんだ。どれが一番使いやすいか、試してみな」

 テラ親方は、泥と炎の匂いを纏いながら、自慢げに作品を見せてくれた。


 俺が描いた基本的な円錐形のもの。少し背が高く、底の穴が小さめのもの。逆に、穴が大きめのもの。いくつかのサイズのものが用意されていた。どれも素朴だが、ろくろで丁寧に成形され、しっかりと焼き締められている。


「すごい…! 親方、想像以上の出来です!」

 俺は感動して一つ手に取った。温かみのある陶器の手触り。このシンプルな形が、異世界の職人の手によって現実になったのだ。


「ふん。まあ、形を作るだけならな。使い心地はどうだか…」

 謙遜するテラ親方に、俺は市場で稼いだ、まとまった額の硬貨を渡した。親方は硬貨を受け取りながらも、「本当にこれで何に使うんだい?」と最後まで不思議そうだった。


 選りすぐりのフィルターホルダーを一つ譲ってもらい、俺は急いでボロ屋に戻った。これで、焙煎、粉砕に続く、第三の壁「濾過」の準備が整った。


 改修が進んだ建物の中、カウンターの骨組みの上に焙煎ドラム、グラインダー、そして新しいフィルターホルダーを並べる。三つの道具が揃った光景は、俺にとって何よりも心強いものだった。


 以前、実験で一番マシだった、二重にしたリネン布を取り出す。これを、フィルターホルダーの内側にセットする。サイズを調整し、布がずれないように丁寧にセットした。布フィルターをセットしたホルダーを、用意した綺麗な陶器のカップ(これも少ない稼ぎで一つだけ買ったものだ)の上に置く。


 準備完了だ。


 焙煎ドラムで完璧にローストし、グラインダーで均一に挽いたクロマメを取り出す。挽き豆を布フィルターの中にそっと入れる。


 そして、鉄鍋で沸かした熱湯を、挽き豆めがけてゆっくりと注ぎ始める。


「っ!!」


 湯が布フィルターの挽き豆全体に染み渡り、プワッと膨らむ。そして、フィルターを通して、澄んだ茶色の液体が、底の穴から一滴、また一滴と、カップの中に落ちていくのが見えた。


 濁りがない。微粉が混ざっていない。明らかに、以前の液体とは違う。黄金とも琥珀とも言える、透き通った液体が、少しずつカップに溜まっていく。


 これは、前回の原始的な方法では決して見られなかった光景だ。


 滴下が終わるのを待ち、ホルダーとフィルターを外す。

 カップの中にあったのは、光にかざすとキラキラと輝くような、美しく澄んだ琥珀色の液体だった。底には、何も沈殿していない。


 感動で、手が震える。


 立ち上る香りは、今までで一番クリアで芳醇だ。焙煎と粉砕で引き出された豆のポテンシャルが、濾過によって純粋な形で目の前にある。


「…」


 静かに、その一杯を口に含む。


 …!!!!


 全身に衝撃が走った。


 苦味、酸味、コク、甘み、香り。全ての要素が、完璧なバランスで口の中に広がった。舌触りは驚くほど滑らかで、今まで感じていたザラつきが全くない。喉を通った後の、鼻腔に抜ける華やかな香りの余韻。


 これは。

 これはまさしく。


 前世で、仕事の合間に、心を癒すために探し求めた、あの至高の一杯だ。

 ブラック企業で擦り切れた心と体を慰めてくれた、あの素晴らしいコーヒーの味だ!


 目頭が熱くなり、視界が滲む。異世界に来てからの苦労が、この一杯に全て報われた気がした。


「…コーヒーだ。本物の…最高のコーヒーだ…!」


 自分で淹れたコーヒーに、こんなにも感動するなんて。

 この一杯が、俺がこの異世界で目指していたものだ。


 焙煎ドラム。グラインダー。フィルターホルダーと布フィルター。

 一つ、また一つと道具を手に入れ、試行錯誤を重ねてきた道のりが、この澄んだ一杯に繋がった。


 俺は、この異世界で、このレベルのコーヒーを作ることができる。


 だが、達成感に浸りながらも、冷静な自分もいた。

 これでコーヒーの核心は完成した。しかし、カフェはコーヒーだけではない。お客様に、心躍るような「スイーツ」を提供することも、俺の夢だ。


 前世で、コーヒーと一緒に楽しんだ、あの甘くて、ふわふわで、サクサクで、とろけるようなスイーツたち。この世界にも、それを作るための材料(小麦粉、卵、砂糖、牛乳など)は存在する。だが、最も重要な「道具」がない。


「オーブン…だ」


 安定した、そして温度をコントロールできる密閉空間。熱を均一に伝える構造。ケーキやクッキーをしっかりと焼き上げるためには、あれが不可欠だ。


 暖炉の火や、金属板の上で焼くような原始的な方法では、到底あの「スイーツ」は作れない。


 オーブン。それは、これまでのどの道具よりも大きく、構造が複雑で、そして設置に専門的な技術が必要になるだろう。石工、あるいは建築家のようなスキルを持った職人に依頼する必要がある。そして、材料費も、製作にかかる費用も、これまでの比ではないはずだ。


 澄んだコーヒーが入ったカップを手に、ケンジはがらんとした建物の中を見渡した。改修は進んだが、まだ壁と床があるだけの箱だ。カウンターは骨組みだけ。客席はない。


 コーヒーはできた。でも、カフェとしての形にするには、まだまだやるべきことが山ほどある。


 特に、あの巨大な「オーブン」という壁。


 これは、これまでの壁とはスケールが違う。まさに、巨壁だ。


 それでも、ケンジの心は折れなかった。

 手の中には、異世界最高のコーヒー。隣には、苦労して手に入れた相棒たち。そして、市場でできた、温かい繋がり。


 俺には、できる。

 この巨壁も、きっと乗り越えてみせる。


 この最高のコーヒーと、そして、いつか焼いてみせる最高のスイーツで、この世界の皆を笑顔にするために。


 ケンジは、最後の一口を味わい、立ち上がった。


「よし…次は、オーブンだ」


 新たな目標を胸に、異世界カフェへの道のりは続く。

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