第35話 春の海にはふたりだけ
定期テストの最終日。夏の訪れが徐々に近づいてきた、春の終わりの晴天のある日。
いつもより早く学校が終わり、足早に教室を後にする。
帰宅途中、綾乃と雑談のメッセージのやり取りをしていた。綾乃や唯の高校も同じテスト日程で、早めに下校中するのだと、自称・キューピットの綾乃が教えてくれた。
〝唯、これから暇だって。どこかに誘う予定ある? 航大が誘わないなら、私はこれから唯や他の友達を誘って、カラオケにでも行こうかなって思ってる〟
綾乃に対して、キューピットとして情報提供をしてくれたことへの感謝のメッセージを伝える。
そして唯ちゃんにも、不格好なメッセージを送る。
〝今日は予定がありますか? 都合が良ければ、河津桜商店に来てください。ブラックモンブランをご馳走するので〟
もたつく指で送った言葉は、なぜか拙い敬語にまみれていた。返信はすぐにきた。不安と期待とともに、メッセージを開封する。
〝もちろんです。ちょうど唯も、航大くんを誘おうと思っていたところだったのです〟
唯の砕けたチャーミングな返信に、思わず笑みが漏れた。
商店の入り口に自転車を停め、河津桜商店に入る。満面の笑みを浮かべる俺に、おじさんが高らかに笑いかける。
「いらっしゃい。何かいいことでもあったのかい?」
「はい、とても。えっと、おじさんのおかげでもあるんです。その、ありがとうございます」
話の要点を上手く説明することができず、一方的な感謝を伝えて、どもってしまう。おじいさんは興味本位に干渉せずに、穏やかに頷く。
「この年になっても、盛大にお礼を言われるのは嬉しいねえ。素直に気持ちを伝えられて、立派だよ。君は本当に優しい子だね」
「え、えっと。嬉しいです。なんか、ありがとうございます」
「君みたいな子がいてくれるなら、この町も日本の未来も、きっと明るいね。うちに良く来てくれて、ありがとうね」
五分ほど商店の軒先で待ち、唯が到着した。
「嬉しい。唯もちょうど、海に行きたいと思っていたところだったの」
断られて当然と覚悟を決めて、「海を見に行きませんか」と唐突に誘った。いつだったか、「海にでも誘ったら?」と宮瀬に提案されたことを、脈絡もなく思い出した。
彼女は、きょとんとした表情を経て、何の迷いもなく頷いた。得意のはじけるような、眩しい笑顔だった。
歩道側に唯を、車道側に自転車を配置して、その間をぎこちなく歩く。女子の歩幅に合わせて歩くのは、意外と神経を使う。それに、唯にばかり注意を向けて自転車が倒れることがないよう、ハンドルを慎重に扱わなければならない。
集中力が徐々に散漫になり、時おり俺の脛にペダルが当たる。
「このあたりの海なんて、唯は来たことがないなあ。綺麗なのかな」
「実は俺も、見たことがないんだ」
「そっか、一緒だね。わくわくするね」
駅前商店街を背に、住宅街を三十分ほど歩くと、小規模な海岸がある。
真夏でも賑わうとは言い難い辺鄙な浜辺に向かって、陸と海との境を見ることができるという単調な理由で、嬉々として歩き続ける。
話題が出尽くしてしまわないよう、どこまでもとりとめのない会話を、ゆっくりゆっくり、繊細に紡いでいく。
「今日は本当に、天気がいいね」
「海への散歩日和だよね」
「夏って感じ。唯、汗ばんできちゃった」
彼女と河津桜商店で会うようになり、俺の人生は心なしかバラ色に染まった。こんなことを口にすれば、宮瀬は大げさだと笑うだろう。
けれど、本当なのだ。比喩ではなくて、朝から晩まで、気が付くと彼女のことを考えている。終礼まであと何時間、河津桜商店まであと何分と、ふとした瞬間に指折り数えている。
河津桜商店から駅までの半径五十メートルが、いつしか生活の中心になってしまった。
そういえば、今年の春は桜を見に行きましたか?
私は格式張った花見はしていないのですが、近所のスーパーまでの道のりの街路樹の桜を日々見ていました。
寒さが薄らいでつぼみが芽吹き、淡いピンクの花が咲き、次第に花びらがアスファルトに散乱し、緑の葉がつきはじめて、春のはじまりを知る。
自宅とライフの往復で、季節の風物詩を体感しました。




