第五話 雲豹
その想い、涙、人知れず―。
第五話 雲豹
「…ウンピョウ」
男の呼びかけに翠玉が応じる。顔に赤茶色の髪がかかり、その男の表情は伺い知れないが、目から熱い雫が溢れ顔の真ん中に大きく横たわる傷を横切り、頬の十字傷の傍を伝ってぼたぼた零れている。それを彼女は感情のない目でただ見ている。
男の名は1459。またの名を雲豹 という。国の安全を守る保安局員にして、この城で唯一翠玉を人として扱う人間だった。そして歴史上初の、百顔姫をその運命から救おうと試みる人間だった。毎日、人の目を盗んで彼女のもとに通い、鉄格子越しに話しかけ酒や人間用の食べ物を与え続けた。王の愛玩動物である以上、世話係でもない雲豹が翠玉に必要以上に関わることは罪に問われる危険があった。それでも雲豹が彼女に関わり続けるのにはある理由があった―。
遡ること7年前。男は人殺しだった。その当時、国は独裁国家だった。そして、能力者排斥政策が取られていた。もちろん、それに反発する者たちもいた。男は1459という名の、国の独裁体制を守るための歯車だった。つまり、能力者や国に盾突く者を容赦なく排除した。そのうちに「人民解放運動」により、独裁政権は倒され、新しい政府ができ、新たな時代が訪れた。雲豹を始めとする国家保安隊員たちは捕らえられ、雲豹のように新政府に協力することを誓った者以外、全て即処刑された。以降、彼の仕事は1457、1458という未だ逃げ続けている国家保安隊員を抹殺することだ。いつの時代も、俺は人としては扱われないし人殺しであることに変わりはない、と雲豹は自嘲的に笑った。現に新時代になっても俺は1459と呼ばれているではないか。きっと、お前を人としては扱わない、或いはお前のやったことは消えない、という新政府側からのメッセージなのだろう。今まで言われるがまま人殺しをしてきた自分はまだしも、何の罪もない彼女が人としては扱われず、道具としてその短い生涯を終えるのだけは見ていられなかった。罪のない命をたくさん奪ってきた自分が今更ひとつの命を救ったところで何の贖罪にもなりはしないが、自分の前にある罪のない命を救ってやりたいと思った。
しかし、そんな雲豹を嘲るかのようにその運命は近づいてきていた。
「こんなとこでアンタを死なせたくないんだけどな」
翌朝、翠玉は跡形もなく消えていたという―。