第四十五話 Get on chu
ワトソン、遂に―⁉
第四十五話 Get on chu
「ぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛!」
またワトソンの悲鳴が響き渡る。いま、また女とワトソンの唇は重なる。ワトソンは逃げようと試みるが、女は華奢な体型からは思いもよらないほどに腕をワトソンの後頭部に回しがっちりとワトソンを押さえ込む。
「…はッ、」
ワトソンが息苦しさに耐えかねて口を少し開いた。それが彼にとっては命取りだった。女の舌がぬるりとワトソンの口の中に入る。それに気づいたワトソンの顔は戸惑いと羞恥で真っ赤になる。
「おっと」
黒豹はなおもワトソンを助けることなく意地の悪いニヤニヤ笑いを口元に浮かべながら事の顛末を見ている。
***
なにこの人…!初対面でチューしてきただけじゃなくて、立て続けに二回⁉それも二回目はベローチュー⁉もし、僕が黒豹みたいな―認めたくはないけど―イロオトコだったら、こんなことはザラにあるかもしれない。でも、そうじゃない僕にこんなことが起こることはない。あったとしても罠とかで痛い目に遭う。この冴えない約三十年の人生の中でそう学んだ。今回もきっとそうだ。現にあの「イロオトコ」が意地悪な顔でニヤついているではないか。アイツがあの顔をすると大抵ロクなことはない。そして、さっきこの人が言っていたことも気になる。「吐く」というワードが出た気がするし、なにより気持ち悪そうだった。間違いなく「うっぷ」言いおったよ、マジで!どうすんの、このままじゃゲロチューまっしぐらだよ!ちょ、ちょ、マジで黒豹!ヘルプ!あ!アイツッ!目ェ逸らしやがった!!あああッ!!!そっぽ向いてバカ笑いしてるよ!!!聞こえてんぞ!コルァ!!!
『笑ってる アイツをあとで シメてやる―ワトソン心の俳句』
ってああああ!心の俳句詠んでる場合じゃないよ!!!なんとかしないと…ゲロチューだけは絶対に避けないと…待って⁉なんで僕ばっかりこんな目に遭うのォォォォッ⁉
「うッ、」
相手がえずく。焦って相手の手から逃れようとしても相手の力が強すぎて逃れられない。舌がぬるりと口の中を這う。あれ…なんかいいかも…黒豹のバカ笑いという不快なBGMさえなければ。少し冷たい手が耳の後ろに添えられて細い指が髪を梳く。そろりと目を開けて相手の顔を見る。キャメル色の長い睫毛が伏せられて頬はほんのり染まっている。…可愛い。行き場を無くした僕の腕が彼女の背の手前でどうしようか迷っている。体に何か柔らかい、未知の物体が押し付けられる。こ、これは…!間違いなく胸だ。なにこれ。女の人ってこんな柔らかいの。
「おいおい、ワトソン!騙されんなよ、アッハッハッハッ!」
相変わらず黒豹はバカ笑いしている。しかし、僕はヤツのことなんてどうでもよかった。そう、僕はすっかりゲロチューのことなんて忘れていた。
「来るぞ」
そう言う黒豹は部屋の反対側の壁に寄りかかって腕を組みながらこっちを見ている。
「お゛え゛、」
口の中につんとした苦い液体が流れ込んでくる。
僕は、判断を誤った。
つまり、ゲロをそのまま飲み下した。




