第三十八話 末期
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ…!」
「翠玉…!」
事態は好転することなくひたすらに悪化の一途をたどっていた―。
第三十八話 末期
剥がれることなく増えていくばかりだった鱗が遂に剥がれ始めた。そして剥がれた所から膿み爛れた後、肉ごと落ちていった。鱗が剝がれて皮膚がぼろぼろになった箇所が増えていく度に翠玉の意識はぼんやりとして朦朧としていった。さらに厄介なことに何かに怯えるようになっていった。黒豹は痛みに泣き叫び怯える翠玉の傍から離れることはなかった。
「翠玉、あともうちょっとだから頑張れよ…死ぬんじゃねぇぞ」
黒豹はぴりぴりと自分の胸元の並行時計に目を落とす。そこにはまだ四分の一ほどの落ちずに残った砂がある。この砂が全て落ちた時、もう一つの並行世界、すなわちコピーの世界はまたこちらの原本の世界と一つになる。どちらかの世界で翠玉が生きていればセーフ、両方の世界で翠玉が死んでしまえばもう為す術はなく、全てが水泡と帰す。向こうの世界の翠玉はこちらの翠玉ほど手厚い看病は受けられていない。ゆえに向こうの世界の翠玉はこちらの世界の翠玉よりも早く死ぬだろう。だからなんとしてもこちらの翠玉には世界がまた一つになるまで生きていてもらわなければならない。しかし、それもまた現状では不可能に近かった。
「きゃああああああ…!来るな…!こっちに来るな…!」
翠玉は何かに怯えて身を捩る。
「うあ゛あ゛あ゛あ゛」
身を捩ったことで鱗が剥がれ膿んだ背中に痛みが走り翠玉は泣き叫ぶ。
「痛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ」
「翠玉!」
黒豹は翠玉の手を取って安心させようとするが、翠玉は怯えきってその手を振り払おうとする。
「翠玉、俺だ、黒豹だ」
黒豹は翠玉の耳元で言う。
「黒豹、黒豹、助けて…私をひとりにしないでくれ…連れて行かれてしまう…」
「何だ、死神にか…?そんじゃあそいつに言っといてくれよ、まだ翠玉は渡さねぇよ、って」
黒豹は翠玉のほぼ骨だけになった手を取る。
「ほら、これで安心だろう」
その時、部屋のドアをノックする音がした。黒豹が適当に返事するとドアが開いて温かい料理載せた盆を持ったワトソンが現れた。
「黒豹、つきっきりで看病するのは結構だけど、ちょっとは自分のことも気にかけてよ。ロクに寝てないでしょ」
「こうしてないと、コイツ寝ないんだよ。声が出なくなる一歩手前まで泣き叫び続ける。そんなことしてたら死んじまうのに」
「だからってね…黒豹、黒豹ももう死んじゃいそうに見えるよ。ちょっとは休んで?」
ワトソンの言うように、黒豹の目元にはくっきりと隈が浮かび、頬はげっそりとこけている。顔色もどこか冴えない。
「コイツを死なせるわけにはいかない」
「だから休まない、って?別に黒豹がちょっと休んだだけで死にはしないよ」
「手を離したらコイツが怖がる」
「じゃあそれを代わればいいわけだ?」
ワトソンは黒豹の方を訴えるように見た。
「代わるつもりはない」
黒豹はきっぱりとそう言い切った。ワトソンは分かっている。こういう時の黒豹には何を言っても無駄だと。ワトソンはため息をついた。
「あーもう分かったって、じゃあさ、僕が食べさせてあげるからちょっとでも食べてよ、ね?そうすりゃ手ェ離さなくてもいいでしょ」
「煮物」
黒豹は盆の上に並んだ皿のひとつを見て言った。
「あのさー、もっとカンジよく頼めないわけ?」
そう言いながらもワトソンは煮物を黒豹の口に運ぶ。
「…美味い」
黒豹は咀嚼しながら言った。しかし、そう言いながらも黒豹の目は翠玉にしっかりと注がれたままだ。
「黒豹…アンタも末期だね…」




