第二十一話 ニコライ
黒豹とワトソンが出て行ったドアをニコライは見つめる。
ふたりはいつになく張りつめた表情をして出かけて行った。でも自分はその理由を知ることはできない。いつもそうだ。ふたりともいつも自分を子供扱いする。僕だってふたりの役に立ちたいのに。そして、ふたりが自分を置いて行ってしまうと怖くなる。ふたりが自分の知らないところで自分の為す術なくいなくなってしまうのではないかと。
ニコライは黒豹ともワトソンとも血のつながりもなく、もともと知り合いであったわけでもない。ただ、行きずりに出会っただけだ。それでもニコライは家族としてふたりを想う。
それにはある理由があった。
第二十一話 ニコライ
遡ること五年前。
裸足で灰色の街を何かに追われるように走って行く金髪で紫色の瞳の少年。街ゆく人は何事かと一瞬その少年を見るも、やがて各々が自分の日常に戻っていく。
早く。早く逃げなければ。でもどこに?金髪に紫の瞳という珍しい容姿に加え、能力者であることで、両親が流行り病で死に他に身寄りもなく路頭に迷っていたところに目をつけられ、能力者オークションに出品された自分に行くところはない。そしてこのまま逃げ切れるはずもない。でも今日の午後行われるオークションに向けて、自分と同じように怯えきっている他の能力者とともに狭く暗い場所に押し込められているのは余計に恐怖を煽る。その恐怖に耐えていることなんてできずに思わず飛び出してきてしまった。しかし、そこは知らない街だった。周りの建物が信じられないほど大きく見える。いくら走れども全く進んでいる心地がしない。そんな自分とすれ違って行く人間はみんな能力者商にしか見えない。どん。通りを走っていると男にぶつかった。微かに香水の匂いがした。ああ。この人は自分とは全然違う世界に生きているんだ。生きるのにも苦労しないどころか、香水を買ってする余裕さえ持ち合わせているんだ。
「大丈夫か」
男の声が降ってきた。その時、初めて男の顔を見た。その男もなぜか周りの建物のように信じられないほど大きく見えた。しかし、それは一瞬だけだった。その男の琥珀色の瞳を見た瞬間、男が自分と同じように、いや自分以上に街に飲み込まれてしまいそうなほど小さく見えた。そのくせ、男は街に飲み込まれてしまいたがっているようにも見えた。男は何でも持っているように見えて本当は何も持ってはいないのではないか、という気さえしてきた。この男も自分と同じように何かから逃げているのではないのだろうか。我に返ると男の問いかけに答えず男のことなど気にせずまた走り出す。その間も男のことがずっと頭から離れなかった。そのせいで注意力が散漫になったのか、目の前に出てきた能力者商の男にあっさりと捕まる。そこからオークションに出されるまでのことはほとんど覚えていない。気づいたらオークション会場の、眼が潰れそうなほど眩しい照明の下に立たされていた。眩しすぎる照明の下でも自分を見つめる欲に光る無数の目が見えた。ここでどこの誰に買われようといい未来はないことは確かだ。貴族はこうして闇オークションで能力者を買う。そして買われた能力者は死ぬまでその貴族に飼われるのだ。ここに来て買われてしまった以上、人として生きることは叶わない。せいぜいその飼い主が人道的かそうでないか、だ。でもだいたい前者は超レアケースだ。つまり、買われた者は貴族の遊び道具でしかなく、飽きたら殺されるし、いらいらしていれば八つ当たりの的にされる。
「能力者の少年。カードを組み合わせて無数の魔術を創る」
「300万マル」
金額が叫ばれる。300万マルと言ったらそうそうお目にかかれないような大金だ。周りのオークション参加者はこんな高値になってしまえば仕方がないと諦めたような表情をしている。
「300万マル、300万マル…いないか、他にいないか…300万マル…」
ひしめき合う会場ですっと手が挙がった。
「3億マルだ」
さっきとは違う声が値を口にする。しかし、その声には聞き覚えがあった。べらぼうな金額に会場がどよめく。
「聞こえなかったのか?3億マルだ」
「3億マル。他には?」
会場は静まり返っている。そんな現実離れした大金を出せる人間は当然のことながらいない。
「3億マルで落札!」
落札者が人の波を押し分けてこちらに向かってくる。そしてその道すがら300万マルで落札しようとしたかなり身なりのいい男に3億マルの男は舌を突き出して見せる。身寄りのない能力者である自分に3億マルをぽんと支払えるくらいなのだからかなりの貴族であるはずなのにその肩書きには似合わない所作だ。が、同時に面白い人だと思った。その人間が自分の横に立つ。その顔を見た時、驚いて開いた口が塞がらなかった。あの男だった。街角でぶつかったあの不思議な男。男は古ぼけたコートの懐から札束をオークションを取り仕切っていた男にぽんと放る。あの見たこともないくらい厚い札束は間違いなく3億だ。札束を受け取った男は目を輝かせて紙幣を数える。自分を買い取った男は人の悪そうな笑みを浮かべて身を屈め相手の耳元で何やら囁いてみせた。その途端、オークション支配人は青ざめっていった。何を言ったのかと男の顔を見たが男は今度は楽しそうに笑って口元に人差し指を当てるとそのままその場を後にした。
「俺のことは黒豹と呼んでくれて構わない。ああ、それと…勘違いするなよ、」
隣を歩く黒豹が言った。
「お前の命はカネで買えるほど安いモンじゃない。それだけは覚えておけ。…それを分かっておきながらカネでお前を買ったこの俺を許せ。救うためにはこうするしかなかった」
そこまで言うと黒豹は立ち止まり、急に僕を抱き締めた。突然の出来事に僕はどうしたらいいか分からなくなってされるがままになっていた。でもなぜか懐かしさを感じずにはいられなかった。黒豹は何も言わずに僕をまだ抱き締めている。この懐かしさが何なのかようやく思い出した。父さんと母さんはいつもこうやって僕を抱きしめてくれたっけ。僕はわあわあ声を出して泣いた。
「なぁ、小僧。名前は」
「ニコライ」
「そうか。ニコライ、今さっき俺があいつに言ったこと教えてやろうか。『もうすぐここにサツが来る。俺たちのことは喋るな、喋ったら殺す』ってな。あいつら今頃、手が後ろに回ってることだろうよ。ほら、あれ」
黒豹が指し示す方を見ると、オークション会場には多くの警察車両が集まっていた。
「俺がチクった」
黒豹はニヤリと笑ってみせた。
「えっ、」
「ハハハ、ニコライ、今日の晩飯は何が食いたい?」
「…ハンバーグ」
僕は母さんの作るハンバーグが大好きだった。その料理をこの男にも求めてしまうのはなぜだろう。
「じゃあ、買い物して帰ろうぜ」
***
肩に黒豹と同じくらい大きな手が置かれるのを感じる。はっと我に返って振り返るとそこにはシュリさんがいた。
「お前がアイツのことを親と思うのと同じようにアイツにとってもお前は大事な人間なんだろうよ。今までいろんなものを失ってきたアイツのことだ、過保護になっても許してやれよ?」
そう言ってシュリさんはニッと笑う。
「…はい」
シュリがうっと顔を顰めて包帯の巻いてある所を押さえる。
「えっ、シュリさん、どうしましたか⁉」
「なにこれ…すごい疼くんだけど…」
青白い顔をしたシュリさんは今や玉のような汗をかきうずくまっている。
「シュリさん!シュリさん⁉」
その肩を叩きながら呼びかけても返事がない。意識を失っているんだ…!どうしよう…!医者…医者を呼ばないと!必死な思いで受話器にかじりつくと黒豹さんの知り合いのDr.ラヴに電話を掛ける。しかし、電話番号をダイヤルし終わる前に予想だにしないことは起きた。意識を失っているはずのシュリさんが夢遊病者のように意識を失ったまま、玄関から出ていこうとしている。
「シュリさん…!ダメですよ、シュリさん…!」
そう言って止めようとするも僕より体が大きく力の強いシュリさんは止まってくれるはずもない。黒豹さん…!ワトソンさん…!助けて…!涙で溺れる目をぎゅっと閉じたその時、自分にかかるシュリさんの体重がふっと軽くなる。驚いて目を開けるとそこには…
「翠玉さん!」
居間にいた翠玉さんはおそらく異変を感じ取ってそこにあった黒豹さんのクロヒョウの面を被って駆けつけてくれたのだろう。
「ここは私に任せるといい。早く助けを呼べ」
「ありがとう、翠玉さん!」
翠玉さんはあのシュリさんをがっちり止めている。華奢な印象だったけれど意外と力が強いようだ。それもそうか。毎晩、仮面をつけて何時間も踊る仕事をしていたから。それでもいつまでもこの翠玉さんとシュリさんが互角である状態が続くとは限らない。だから急いで電話にかじりついて今度こそ電話を掛けた。ありがたいことにドクターはすぐに電話に出た。そして事情を話す。ドクターはちょうど診療所に黒豹さんがいるからと電話を代わってくれた。
「どうした、ニコライ⁉」
電話の向こうから聞えてきた黒豹さんの声で安心しきって思わずその場で泣きそうになるのをこらえ、泣きださないように一息で言った。
「黒豹さん!シュリさんが!…傷が疼くとか言い出して意識を失ったんです!そうしたらなんか夢遊病者みたいに気を失ったまま、立ち上がってうちから出ていこうとしています!」
能力者ファイル No.003
能力者名:ニコライ
能力名:決闘者 (ナチュラルギフテッド)
カードを組み合わせて魔術を創り出す。




