茜さす金霞の太白
新キャラ登場です。
花晨月夕に目を向けることすらしなかった灰色の日々。人目を嫌い交わりを避け続けた十六年。そんな和梅の生活のほんの小さな変化を強調するかのように、開かれたメッセージアプリの個人チャット欄を陣取る、ピンクの髪の二頭身の少女。
最近話題のアニメのヒロインが手を振っているそのスタンプは、大手フードデリバリーサービス会社とコラボしたものらしい。
2時間目の昼休み。白花から送られてきたそれを何度も見返し、かといって返信することもなく、徐に文庫本を取り出してはそわそわと開いたり閉じたりする姿はいつもの和梅らしからず、すっかり、同じく変わり映えのない日々に飽き飽きしていたらしいクラスメート達の噂の的になってしまっている。
昨夜、帰りしなに白花に言われた言葉を思い出す。
「君は、一般的な異能者の高校生にしては、十分すぎるくらい継承歌について勉強しているね。それでも、君の「今の」解釈では勝てない相手もいる。それは何故か分かるかな?」
「……どうせプロやあんたみたいな頭いい奴には勝てないわよ。研究材料が足りなかった」
先程の異能戦で負けたことをまだ引き摺ってか、そう吐き捨てる和梅にふふ、と笑って白花は返した。
「確かに、お父さんに隠されて、資料が読めず解釈を深められなかったのは大きい。でも、それ以上に大切なことがあるんだ」
「……?」
「君が、自身の解釈に納得しているかどうかだよ」
白花によると、自身の解釈に自信があればあるほど継承歌は「解釈」に呼応するらしい。優れた研究者ほど異能も優れているのは、解釈が正しいからではなく、その正当性の証明によって自身を納得させているからであるという。
「和梅は、自分の解釈に不満はないかい?」
梅の花 何時は折らじと 厭はねど 咲きの盛りは 惜しきものなり
和梅は、自身の継承歌を頭に思い浮かべる。うめのはな、いつはおらじといとわねど。うめのはな、いつはおらじといとわねど……。
「……あ」
漸く和梅は思い至る。この歌は、下の句において「何を」惜しんでいるのか、一切表記されていないのだ。
「でも、この歌が詠まれた当時は、植物を愛でるときは折り取るのが基本だって、父さんが言ってた……」
「常識じゃないんだ。ここでは和梅自身の感性が問われている」
白花が和梅の目をのぞき込み、問いかける。それは和梅には問題の提起というよりも、自身も気づかなかった心の奥底、気をつけねば見落としてしまいそうな小さな感情の解放の兆しのように聞こえた。
「君は、自分の解釈は好きかい?」
和梅は、俯いた。「自分にとって当たり前のこと」と「自分の本当の感性」の間で消え惑う。その葛藤に決着が着いた時、決心したかのように和梅は白花を見上げた。
「『万葉集』巻十七、三九〇四番歌。下の句において、梅の枝を折ることを否定している解釈は存在する?もしあるなら……私に見せて」
自分の解釈が否定されるかもしれない不安と、それを上回るほどの、自分が納得できる解釈を見つけた高揚感。認めてほしいという希望と、認められないかもしれないという覚悟。その全てを映し出す瞳を、白花はまっすぐに見つめ返した。
「明日、もう一度会おう。そこで一緒に研究しよう」
「書斎に入ったことは絶対にばれないように」という白花の言葉を守り、和梅はどうにかフローリングワイパーを駆使して注釈書の成れの果てを書斎から掃き出すことに成功する。1冊なくなったことがバレないことを祈りつつ、自身の部屋の、学習机の引き出しの中に盗み出した本だったものを隠し、相も変わらず父親とはすれ違うこともなく一夜明けて今に至る。
自分が知らなかった継承歌について知ることができるかもしれないことに対する期待だけじゃない。何故だか分からないが、昨夜から何となく落ち着かない。本を盗んだことがバレるのが怖いから?否、そんな類のものではなく、何だか、気が散りつつも悪い気はしないのだ。
そんな今日の和梅の姿に、これがチャンスと近づく者が一人。
「盛咲ってノート綺麗だよな」
いきなり話しかけられて和梅はびっくりした。吊り目が大きく見開かれる。小百合葉蛍の勇気ある行動に、クラスメート一同はどよめいた。
「……何?」
思わず低い声が出てしまう。実際は話しかけられて混乱していただけだったのだが、和梅に威嚇されたと思ったらしい蛍は、顔を引き攣らせつつもどうにか笑顔を作る。
「いや、だから、見せてもらえねーかなーって!俺、古典とか苦手でさぁ」
いつも和梅の後ろの席にいる蛍は、クラスの中でも目立つ男子の一人である。和梅の中では教室の後ろでバカ騒ぎしている男子Cくらいの認識だ。
「別にいいけど」
怪訝な顔をしながらも和梅は答える。息をひそめて見守っていたギャラリーの内数人が「おお」と声を上げた。
和梅からすれば別に断る理由もなかっただけのことだったのだが、蛍はぱっと顔を上げる。
「うおお!ありがとう!そんでですね、できれば分かんねーとこ教えてほしいなー、なんて……」
「……まあ、数Iとかじゃないなら」
「よっしゃ!じゃあ、昼休み、弁当持って中庭で!」
友達連中に向かってガッツポーズをして見せながら、蛍は戻っていく。わざわざ中庭へ行く意味がよく分からなかったが、唐突なイベントにかえって冷静になった和梅は、次の授業の準備を始めたのだった。
作品を書く際にどこを細かく書いてどこを省くかは、日々模索しています。