05_正義の在処(Ⅴ)
「サンダリオ、休むの止めてくれ……」
翌日出勤すれば、ぐったりと机に伏した様子のヨハンにじとりと見上げられた。
夜勤明けで疲れているにしては、いつもより酷い。
「俺が休みの間に何かあったのか?」
問いかければ、ぐったりとしたままのヨハンに変わり、ヨハンの前に座っていたゴーダが苦笑をして口を開いた。
「あの死刑囚だよ。ヨハンは副担当だろ?」
死刑囚につく担当官は一人だが、その担当官が休みの日には副担当がその役目を担う。
フィデルの副担当はヨハンだ。
しかし、それが何だというのだろうか。
フィデルは食事も風呂も特に問題行動も取らず、反逆の意志が無さ過ぎて死刑だと分かっていないのではないかと疑問視していたくらいだが。
そんな言葉と共に、サンダリオは首を傾げた。
途端、ヨハンがぶんぶんと手を振ってがばりと身体を起こした。
「いやいやいやいや!!!あいつ本当に凶暴だぜ?!
返事しねぇわ、威嚇するわ、噛みつこうとするわ……!
思い出したら腹立ってきた……!
持っていってやった食事をひっくり返しやがって!!……もらえるだけありがたいと思えってんだ!!!」
ヨハンは怒りを帯びた雄たけびを上げると、頭を掻き毟って机に頭をつけて微かに唸り声をあげた。
こんなヨハンの姿はあまりに珍しい。
いつもならば飄々と柳の様に受け流す男が、こんなに起こるなんて。
サンダリオはそっとゴーダに視線を向けた。
「そんなに酷かったのか?」
自分が見てきたフィデルの姿とかけ離れすぎていて、どうにも現実味が湧かない。
しかし、隣に座るゴーダは一つ頷いて苦笑いを浮かべた。
「俺が応援に呼ばれたくらいだからな……」
この刑務所の中で応援を呼ぶ場合、その場の状況に対して制圧力が妥当な人間が応援に呼ばれる。
小さないざこざなら誰でも構わないが、複数人での乱闘、凶悪犯の脱走騒ぎなど、危険値が高いものに関しては、呼ばれる人間が大体決まってくる。
危険値が高い場合に応援に呼ばれるのは、断トツでサンダリオとゴーダの二人だ。
それを知っているからこそ、サンダリオは開いた口が塞がらない思いがした。
これは予想外だ。
ただの食人鬼、嗜好が極端なだけだと思っていたが、凶悪な面を見せたということは、それだけではないということ。
サンダリオは顎に手を当てて、数秒考え込んだ。そして、重々しく口を開いた。
「……荒れた時、どんな様子だった?」
「……さぁな。俺が到着した時は、奴がヨハンに噛みつこうとしてて、それを止めたくらいしか分からない」
ゴーダの言葉に続くように、ヨハンも口を開く。
一先ずヨハンの中の噴火は収まったらしい。
「あいつ、最初はガン無視だったぜ。何も答えねぇの。
声かけてもぴくりとも動きやしねぇ。
で、食事を持ってたら、どんがらがっしゃん。ひっくり返しやがった」
けっ、と大きく悪態をついて、ヨハンは続ける。
「まぁ、あいつらの食事が無くなるだけで、追加なんて渡さねぇから好きにしろよって話なんだけどよ。
食料と手間があまりにもったいないだろうが」
ヨハンは口を尖らせて、腕を組んだ。
また噴火前まで戻ってしまったらしい。
そっとゴーダが「ヨハンは食事には煩いんだ」とサンダリオに耳打ちした。
確かに、以前も食事中に喧嘩になって皿をひっくり返した囚人達に数時間の教育を行っていた。
食事に全く頓着が無いサンダリオとしては、これは相容れないかもしれないと、そっと視線を逸らしたが、ヨハンの話はまだ続く。
「ひっくり返した食事は自分で片付けろって、バケツと雑巾を檻の前に置いた瞬間だよ。
檻の間から手を伸ばして、俺の首を掴みやがった」
思わず「は?」とサンダリオの口から声が漏れた。
「檻から離れるように指示しなかったのか?」
通常であれば、檻の前に何か置く場合、部屋の一番奥の壁に背を付けさせてから看守は動く。
もし飛び掛かろうとしても、必ず逃げる時間が存在するはずだ。
それがなぜ?
「一番奥の壁にいた。間違いなく奥まで行ったのを確認した。
けど、何故かあの瞬間にあいつは檻の傍まで来ていたんだ」
まるで瞬間移動だったと、ヨハンはため息を吐いた。
その時は咄嗟に警棒で手を叩き、事なきを得たそうだが、危険値が高いとして応援を申請した。
応援にはゴーダともう一人が呼ばれていたが、ゴーダは別の業務のため到着が遅れていたそうだ。
フィデルの対応には、いったん二人で当たることになった。
ひっくり返した食事の片付けをさせ、それを受け取る際、フィデルはまた壁から檻の前まで瞬間移動してきた。
「応援の一人が殴られた衝撃で意識を飛ばして、俺は服を掴まれて檻に擦り付けられた」
で、俺が到着した。と、ゴーダは続ける。
「あいつががっと口を開いた瞬間だったから、持ってた警棒をあいつの鼻めがけて叩き込んだんだ。
ヨハンを檻から離してからあいつの様子を見てたけど、獣染みた唸り声でこっちを睨みつけてた。
それを見た瞬間に本能が俺に囁いたよ。
”こいつは危険だぞ”ってな」
無駄に恰好をつけたのは少し気になったが、なるほど、とサンダリオは軽く頷き、「それで」と言葉を促した。
ゴーダは数秒止まった後、「ちょっとは乗ってくれても」と口をもごもごとさせたが、一つ息を吐いて、話を続けた。
「どうやって檻前まで来ているか分からない、そして人を食おうとした。
その二点があまりに危険が高すぎると判断されて、昨日の内に”最室”に移動させてある。
勿論、部屋移動する時は麻酔薬で意識を飛ばしてな」
「あそこか……」
最室。
所謂独居房だが、その中でも、最も奥にあり、最も人の気配の無い、最も狭い部屋。
それが最室と呼ばれる場所だ。
死刑囚達がいる監房よりもセキュリティが更に強く、扉は二重、窓は小さな明かり取りが一つのみ。
サンダリオは一度も担当したことは無いが、以前使用した死刑囚は、刑執行前に精神に異常をきたしたはずだ。
その前の使用者も、その前も。
あの部屋は人にとって有害な何かがある。
面倒なことになったと、サンダリオは深くため息をついた。
セキュリティが厳しすぎて、食事も風呂も最低限のことをさせるにも様々な認証が必要になる。
手間を考えると相当に面倒だが、命を守るためならば仕方ない。
そう自分を納得させたサンダリオは、壁に掛けてある自身の帽子を手に取り、深くかぶった。
始業時間だ。
「行くのか。気を付けろよ」
「サンダリオ、あいつのこと一発くらいぶん殴っても良いからな」
歩き出したサンダリオの背中に二人から声がかかり、サンダリオは軽く手を振って応えた。
最室に送られたフィデルは、どんな気持ちでそこにいるのだろうか。




