05_正義の在処(Ⅰ)
神は告げた。
見た目には惑わされないように。と。
母は告げた。
正義を貫きなさい。と。
***
この世界には神がいる。
この世界を創った創造主。
そしていつからか受肉し、空からこの世界を見下ろしている神が。
けれど、この世界に生きている何人がその神に会い、関り、助けてもらえるというのか。
看守であるサンダリオは、常々そう思いながら仕事を熟していた。
看守という立場は、良くも悪くも人と関わる。
小さな悪事で投獄された者、大きな悪事で死刑を待つ者。
面会に来る親族や友人。
囚人の最期を見届ける被害者遺族。
その全てに負の感情が絡んている様を見ると、神とは何なのかと、そう考えてしまう。
『神は誰も救わない』
看守に成り立ての頃に指導してくれていた先輩が語った言葉は、今でも耳に残っている。
その先輩は少し前に異動を命じられてここにはいないが、元気でやっていると少し前に手紙が届いていた。
あの人ならば、まぁどこにいてもやっていけるだろう。それくらい強い人だった。
不意に、荒々しい怒声が遠くから響いた。
ちらりと聞こえた方向を見れば、ばたばたと何人かの看守が走っていく様子が見え、その最後尾の一人が執務室にいたサンダリオを視界に捉えた。
「サンダリオ、応援に来てくれ!囚人同士が喧嘩し始めた」
「すぐに行く」
壁に掛けてあった帽子を素早く被りつつ、サンダリオは同僚の後を追って走り出した。
この収監所には凶悪犯が大量に収監されている。
そのせいで外での縄張りやら、因縁やらで衝突しているものも少なくない。
毎度毎度元気なことだと呆れてしまうが、彼らにとっては重要なことなのだろう。
まぁ、それもこちらには関係ないが。
運動場へと足を踏み入れれば、未だ騒然としていた。
喧嘩の主犯の二人を取り押さえている同僚。
それに乗じて喧嘩を始める者、賭けをする者、傍観する者……。
そして、取り押さえている同僚の腰から下げられた武器に手を伸ばす者。
サンダリオはその手を素早く捻り上げ、囚人を押さえつけた。
そして口を大きく開いた。
「全員動くな!!」
びりびりと痺れるほどの声量で出された指示に、全員が一斉に停止した。
喧嘩をしていたもう一人を取り押さえている看守の傍にも一人、手を伸ばしたまま固まっている男がいる。
サンダリオが近くの看守に取り押さえるように指示を出して、あっけなくその男は捕縛された。
押さえつけていた囚人の手を後で組むようにして無理やり立ち上がらせ、サンダリオは深々とため息を吐いた。
「喧嘩に乗じて悪事を働いたのか、全員グルかは確認するつもりもない。
全員に処罰を下す。
騒動を起こした張本人も傍観していたものも含め、例外はなく、全員だ」
覚悟しておくように、と告げ、サンダリオは全員を監房に返すように視線で指示を出した。
看守の指示に従い流れていく囚人達は口々に何事かを呟いた。
人には聞き取れない程の声量。けれどサンダリオの耳には確かに聞こえた。
鬼。
サンダリオは囚人達から総じてそう称されていた。
厳格で真面目で融通が利かず、何よりも察知能力が異様なほどに高い。
悪巧みでも、人目を盗んで物資をくすねようとしても、必ずサンダリオが気がつき、制圧してしまう。
まるで全てを見聞きしているかのように。
「サンダリオがいないと、あいつらすぐに悪さするよな」
執務室に戻れば、事務作業をしていた同僚が声をかけてきた。
応援にサンダリオが行くならば行かなくても問題ないと、騒ぎをBGMに事務作業に没頭していた彼の名前はヨハン。
薄い茶の髪に、茶色の瞳。タレ目気味な瞳が楽しそうにサンダリオを見上げた。
「全く止めてほしいものだ。おちおち休むこともできん……」
椅子に座るサンダリオを見ながら、ヨハンはごくりとコーヒーを飲むと、ぐっと体を伸ばした。
どうやら少し休憩がてら雑談したいらしい。
「半年前から異様に増えたもんな」
「……半年前か、確かにそうだな」
何か事件でもあったかとサンダリオが首を傾げれば、執務室に入ってきた青い短髪の大柄な男、ゴーラが椅子に腰掛けて声を上げた。
「半年前の事件って、あれだろ。研究所の実験体が逃げ出したあれ」
ゴーラの言う研究所の実験体脱走事件は、国中に衝撃をもたらし、今も余波を残している。
神から賜った研究用の種を旅人に奪われたのだ。
その時に研究所の所長は手首を切り落とされ、その血で制御していた研究用の危険種が何匹か脱走した。
この国で危険種と呼ばれるのは、リザードマンや肉食の獣人のことを指す。
彼らが引き起こした『脱走した』という文言は、囚人達に無闇に夢を持たせてしまった。
自分達も脱出できるのではないか。
そんな愚かな夢を。
「あの事件って、盗んだ奴も逃げた奴も捕まってないよな?」
ヨハンの疑問に「誰一人な」、とため息を返したのはゴーダだ。
ゴーダはあの事件の際に警備部に応援に駆り出された一人で、あの事件時に盗人と対面したと以前語っていた。
「あの時、リザードマンが加勢に来なきゃ確実に殺れてたんだが……。
情けねぇ……」
ゴーダは看守の中でも大柄な部類だ。
武器を持って力押しで斬りかかられたら一溜りもないだろう。
「盗人には一撃加えたんだろう?応援の働きにしたら上々だ」
盗人は二人だった。
その一人に大きな傷を負わせたというのだから、どこかで野たれ死んでいる可能性だって大いにある。
「あ、そっか、ゴーダはあの日応援に出てたんだっけ?」
ヨハンが今思い出したと手を叩き、ゴーダは記憶力大丈夫かとヨハンを冷めた目で見た。
ぎゃあぎゃあと騒ぎ出したヨハンを横目に、サンダリオは置き去りにしていたコーヒーを一口飲んで顔を顰めた。
冷めてる。
席を立って、部屋の端に設けられた給湯場でインスタントコーヒーを新たに入れ直し始めたサンダリオの後ろで、ヨハンが、あ、と声を上げた。
「そういえば、あの事件の時に捕まった食人鬼さ、判決が決まったらしい。今日の新聞に書いてあった」
「判決は?」
「死刑」
不意に空気が固まる。
食人鬼。
そう呼ばれる男は、事件の犯人が逃走経路に使用した森の中に居を構えていた。
魔物や凶暴種が生息する森の中で、ひっそりと居を構え、人間を食べていた男。
人ならざるその姿に、家に突入した追跡班は大層驚いたことだろう。
「死刑、か。うちに来るな」
「確実にな」
ゴーダの神妙な声に、サンダリオは即答した。
国の中には死刑囚を預かる刑務所はいくつかあるが、その中でも最も危険値が高いとされている死刑囚を預かるのは、基本的にこの刑務所だ。
設備的に最も強固な上、サンダリオを始めとした制圧に特化した者達が集められているというのも大きい。
コーヒーを入れたマグカップを手に席に戻ると、サンダリオはそれを一口飲み込んだ。
苦い。