04_ガラクタの心(XVI)
ノアは気が付かなかった。
思考し、次を考え、願いを告げる。
それらすべてが心があるから行えたことだということに、気づけなかった。
ノアは普通の子供と何も変わらなかった。
喜怒哀楽が薄くて、何に対しても興味を持てない子供だったけれど、空を眺めるのが好きで、動物が好きで、ただ静かに過ごすことが好きだった。
それすらも本人が理解することはなかった。
それでも確かに、ノアには心があった。
ノアは、心を育てるのが苦手だった。
人よりも数倍、心を育てるのが苦手だった。
ただ、それだけ。
「……じゃぁ、なんで、ノアは旅をしているんだ?」
茜の問いに、神は笑みを崩さずにいや、更に笑みを深め、口を開いた。
「私が、ノアの心を砕いて世界に散らしたから」
茜は呆然と神を見上げる。
どうして、そんなことを。そう言葉にする前に、宙に表示されている映像が再び流れ始めた。
神が手を振ると同時に、ノアの身体から世界中に散らばっていった心の欠片達。
欠片全てが外に出ると、ノアは力なくその場に座り込んだ。
人形の様な状態で地面を見つめ続けるノアに、神の手から透明な結晶と光の粒が贈られる。
それを吸収したノアは、ゆるゆると顔を上げた。
「あれはなんだ?」
茜が指したのはノアに送られた結晶と光の粒。
「生きる上での最低限の心の欠片と、心の足りない箇所を一時的に穴埋めするガラクタだ」
「ガラクタ……」
神は映像を見つめながら話を続ける。
「ノアは心を育てられない。
教えてもらえなかったのもあるが、“自分には心がない”と育てることを諦めてしまった。
心を閉ざした状態で何を与えたとしても、育つことはない。
それならば、壊して、新しく作り直した方が育つ可能性は高い」
映像の中のノアは、神の居住の中で生活を始めていた。
孤児院にいた頃よりも遥かに覚束ない様子ではあったが、自衛のための体術や魔術の取得、食料や賃金の確保等、旅が出来るように訓練している様が時折伺えた。
「ノアは、齢12歳で初めて旅に出た。
大怪我をして帰ってきたけど、それでも、心の欠片は持って帰ってきたよ」
映像の中のノアは、ふらふらの状態で扉を開け、小さな花を神に手渡していた。
神はそれを受け取ると、花の中から光を取り出し、ノアの中に送り込んだ。
ノアの中に吸収された光は少しの間ノアの体を光らせていたが、しばらくすると静まり、ノアは神を見上げた。
その視線に神は微笑みを浮かべた。そして、ノアも微笑んだ。歪に、けれど、確かに。
「ノアは全ての欠片を取り戻すまで、何度でも旅に出てはここに帰ってくる。
心を手に入れるために」
神がそっと手を振ると、宙に浮かんでいた映像は姿を消した。
茜はちらりとノアを振り返る。
青白い顔のまま静かに寝ている彼。
確かに、感じ方が奇妙だったり、時折感情が抜け落ちている様に思うこともあった。
それが心が欠けているということならば、合点がいく。
「ノアの心は、どのくらい集まったんだ?」
「……5割って所かな。世界は広いからね」
以前、ノアが22歳だと言っていたのを茜は覚えていた。
初めて旅に出てから10年、単純計算ならばあと10年で全てが揃うわけだ。
納得するように頷いた茜を見て、神は困った様に微笑みを浮かべた。
「とはいっても、全てが揃うことはないよ」
「は?なんで」
「君がいるから」
「……俺?」
何のことか分からずに呆然と見返せば、神は軽く頷いた。
「君の中にノアの心の欠片がある」
「俺の、中に?」
自分の中にノアの心の欠片がある。
その事実に茜は思わず自身の身体を見下ろすが、そこには何の変哲もない赤毛の体が見えるだけだった。
「本当に、俺の中に……?」
「ノアが君を必要としたのは、それが理由だよ」
茜は、はっと、出会った時のことを思い出した。
『君は……なんていうかな。うん、僕には必要なんだよ』
確かに、そう言っていた。
初めて会った時から、ノアは知っていたのだ。
茜が自分の心の欠片を持っているということに。
そしてそれを知ると同時に、茜は心が痛むような気がした。
ノアは、茜自身を見ていた訳ではなかったのだ。
「初めはそうだったろうね」
神の声に茜は顔を上げた。
「ノアはいつも通り、私の元に君を持ってくるつもりでいた。
心の欠片を取り出して、それで終わりって、思っていた。
けれど、ここに戻る時、ノアは君を助けたいって願ったんだ」
神が見せた中に在った記憶を思い出す。
確かに、ノアは助けて、とそう叫んでいた。
「私は確認したよ。
茜を殺さなければ、ノアに心は戻らないが、それでも良いのか。ってね」
え、と声が漏れる。
先ほど見た映像の中では、花の中から心の欠片を取り出していた。
花は、庭先に植えた映像もその後に流れていたはずだ。
動物では、勝手が違うのか?
そう口にすれば、神は首を横に振った。
「君は特別だ。
君の親がノアの心がついていた物を食べ、産まれてくる君に定着した。
君の中にある心の欠片は、あまりに深く君の細胞に馴染みすぎている。
だから、君の細胞ごと、心の欠片に戻さなければ取り出すことはできない」
「なら、俺は……」
どうして、生きている?
「ノアは心を全て取り戻したいと確かに願っていた。
けれど、君を殺すくらいなら、心が欠けていても良いと、そう選択した。
ノアは、自分の心より、君を……君の命を選択した」
神の言葉に茜はきゅっと心が締め付けられるような思いがした。
泣きそうで、けれど、暖かい、そんな気持ち。
嬉しい。
純粋にそう思えた。
ノアの顔にそっと頬を摺り寄せ、茜は小さく鳴いた。
神はその様子を微笑まし気に見て、そして、再び茜に声をかけた。
「ノアが命を尊ぶなんて初めてのことだ。
君も知っているだろう。
ノアは死を悲しめない。
けれど、君と一緒にいれば、ノアは心を育てることができるのかもしれない」
そっと立ち上がった神は、茜の頭を優しく撫でた。
「茜。ノアのことをよろしく頼むよ」
微笑んだ神のその表情に、茜は見覚えがあった。
いつか見た同族達を見守る族長の顔、町で見た幼子をあやす父親の顔。
そのどちらも、今の神に似ている気がした。
その後、目を覚ましたノアは少しの休養の後、茜と共に再び旅へ出発した。
巨大な狐と共に旅をしている青年が一つの町を救ったと吟遊詩人に謳われるのは、この数年後の話である。
ワクチン副反応の影響で連投が出来なくなりましたが、「ガラクタの心」はこれで完結となります。
小説自体はまだまだ続きますので、引き続きよろしくお願い致します。