04_ガラクタの心(XI)
夜になり、虫の音色が遠くに聞こえる中、ノアはのったりと身体を起こすと、空間魔術を展開させた。
空間魔術にしまい込んでいた薬を何個も取り出して布団の上に並べる。
体力回復薬、魔力補給薬、鎮痛剤、増血剤、etc……
順番に飲んで身体に取り込まれるのをじっと待つ。
これでどれくらい動けるのか、正直分からない。
自分で飲む必要が殆ど無かったから、検証もしなかった。
こんなことになるなら、限界値を測っておくべきだった。
それでも、もうそんな時間もない。
一刻でも早く、茜のところに行かないと……。
体の中でぐるりと、何かが回った。
薬が効き始めたのだろう。
ノアはそっと顔を上げると、音もなくベッドを降り、空間魔術から新しい衣服を取り出して袖を通す。
普段は素手でばかり戦っているが、今回はそれだけでは駄目だ。
茜を捜して、取り返すためには普段の装備では絶対的に足りない。
空間の中から必要な物を取り出し、衣服の中に仕込んでいく。
「ノア……?」
不意にかけられた声に背中越しに振り返れば、サクルが体を起こしてノアを見つめていた。
「何、してるんだ?」
何も返答しないノアに、サクルは眉を潜めた。
「まさか、本当に……あの毛皮を取り戻しに行くつもりなのか?」
止めておけ。と続くサクルの言葉は、ノアが諦めようとした理由と全く同じことを伝えてきた。
どこに消えたかも分からない奴を捜しに行って、簡単に見つかるわけがない。
毛皮ならいくらでも替えがきく。
あれでないと駄目なら、全快してから取り返しに行けばいい。
けれど、その押し問答は既にノアの中では終わっていることだ。
「僕は行く。取り戻す。それが僕の選択だ」
はっきりと告げられた声に、サクルはごもりと言い淀んだ。
サクルはノアを認めている。
戦闘も、判断力も、思考も。
たった一度、共に作戦を熟しただけだが、それでも認めている、それがノアを引き止めたいという気持ちに繋がっていた。
唯一残った仲間。無意識にサクルはそう思っているからこそ、どうしても、死地に向かわせたくなかった。
「……わざわざ死にに行く必要なんてねーだろ!」
「死なない」
にっと笑ったノアは言葉を続ける。
「死んだら、取り返せないから。まだ、死なない」
いつかは必ず死ぬ時が来る。
でもそれは今じゃない。
淀みない瞳に真っすぐに見つめられ、サクルは漸く、止めても無駄なのだと悟った。
そして、同時に自分の身体の状態に、苦虫を噛み潰した思いがした。
腕が折れている。
あの日吸った煙のせいで臓器にも支障が出ている。
満足に戦える様な状態ではない。
無理に付いて行ったとしても、足手まといになるだけだ。
「……俺は、一緒には行けない」
「うん」
端から期待などしていない音で返答を返すノアは、再び支度を進め始めた。
悔しい様な悲しい様な気持ちは勿論持っているが、サクルはそれを飲み込んで、じっとノアが支度を終えるのを見つめていた。
「……ノア」
「何?」
「ショウは、深部の北の奴らと交流がある。もしかしたら、そこに居るかもしれない」
「……分かった」
それが、今のサクルの最大の支援だと、ノアでも分かった。
一緒に行くことも、止めることも出来ない。
行ってこいと背中を押すにはあまりにも弱い力ではあるが、無いよりかはマシだろう。
「行ってくる」
ノアは、静かに歩き出した。
病院の入り口に差し掛かる頃、ノアは足を止めた。
茶色の髪に青の瞳の青年、コーダが壁に背をつけて立っていた。
見つめてくる瞳は呆れた色を含んでいたが、悪い様には見えなかった。
止めに来たわけでは無さそうだとノアは真っすぐに歩き出した。
「……待て」
歩みを止めずにノアはちらりとコーダを見やった。
「何ですか?」
背中を壁から離し、コーダはふっと息を吐いた。
「俺も連れて行け」
ようやくノアは、足を止めた。
二人の視線が探り合う様に絡む。
「何故?」
「怪我人をそのまま見送れるか」
「コーダには関係が無いだろう?」
ショウのことも、茜のことも、一つも関係が無い。
コーダのその願い出は明らかに不自然にしか思えなかった。
「……あの狐、死ぬ前に、助けたいんだろ?」
思いがけない言葉に、ノアは目を見開いた。
「どうして……」
「やっぱり生きてるんだな、あの狐」
深くため息を吐くコーダとは対照的に、ノアはむっと唇を結んだ。
ブラフにまんまと乗せられたらしい。
「それはともかくだ。
前に助けてもらった礼、未だ出来てないからさ。
連れてけよ。邪魔にはならない」
グレイトベアから救った件のことを言っているのだろうが、それは今回助けてもらったことで帳消しのはずだ。
ノアは怪訝そうな顔でコーダを見上げたが、コーダから「急いでいるんだろう?」と言葉を返され、追及するのを止めた。
「急いでいるのは確かにそうだ。
邪魔になるなら置いていく。それでも良いか?」
「あぁ」
にっと笑ったコーダは、速足で外へ向かうノアの後を歩き出した。
***
ノアとコーダは一番初めに茜を取られたあのビルに足を踏み入れた。
中にある死体は既に腐り始めて酷い悪臭が漂っていたが、布で鼻を抑えると、二人は真っすぐに二階まで歩みを進めた。
茜を最後に見たのはここだ。
「少し離れていてくれ」
ノアの声に、コーダは数歩後ろに下がった。
何をするのか正直見当もついていなかったが、ノアが魔術に使用される魔法陣を複数展開させたのが見えると、コーダはぽかんと口を開いた。
コーダはノアが強いことは知っている。
グレイトベアの一件、そして、ここで行われた作戦を見ていたから。
コーダがノアを助けたのは偶然なんてものではない。
サクル達の元締めであり、ノアが受けた依頼の依頼人であったシェーラから、コーダもまた別の依頼を受けていた。
「三人を監視しろ」と。
シェーラとコーダは以前から知り合いではあったが、そんなことを頼んでくることは初めてであった。
心配ならば前に出さなければ良いのでは、とコーダは告げたが、シェーラはそういう類ではないと首を横に振った。
「胸騒ぎがする。ただ、それだけ」と。
まさかその胸騒ぎのせいでノアまで作戦に入れられたのには驚いたが、監視人数が増えるだけで依頼は順調に進んだ。
その最後に裏切りが無ければ……。
いや、そうじゃ無い。
監視していたのに、ショウの裏切りを見抜けなかった自分に、とてつもなく腹が立った。
これでは何を監視していたのか分かったものではない。
だから、コーダはついて来ることを選んだ。
自分自身の不甲斐なさを払拭するために。
「次に行く」
魔法陣が消え、振り返ったノアの瞳は先ほどより険しい色をしていた。
ずんずんと歩き始めたその後を付いて行きながら、コーダはノアに問いかける。
「何が分かった?」
「茜はショウに連れ攫われた。
連れて行った時に生き物だと気づいていたかは分からないが、向かった先は特定できた」
一体どんな魔術を使ったのか。
魔術の素質の無いコーダにはとんと分からなかったが、今重要なことはそこではない。
「それで?どこに向かった?」
「北。詳しい場所は分からなかったから、探知を掛けながら進むしかない」
「魔力、持つのか?」
「持たせる」
そう言いながら、ノアは空間魔術の中から取り出した魔力補給薬をごくりと飲み込んだ。
その様子に、頼もしいことで。と軽口を叩いたコーダは、自分の剣の位置をそっと確認して、ノアの後に付いて行った。