04_ガラクタの心(Ⅹ)
不意に目を覚ました。
見知らぬ天井、白い天井。
雨音が窓を叩いている。
ゆったりと体を起こす。
あちこちが傷むが、痛いだけだ。
周りを見てみれば、白を基調にした病室の様で、閉じた窓から濡れた緑の木々が見えた。
部屋は自分一人、というわけではなく、隣のベッドに誰か寝ている。
そっと顔を傾けて覗き込めば、銀色の髪が見えた。
「……サクル」
あちこちに包帯を巻かれた彼はぐっすりと眠っている様に見えた。
「おー、起きたか」
扉の向こうからかけられた声の主がこちらに歩いてくるのが見えた。
茶色の髪に青の瞳。
依頼場で声をかけてきた青年。
「コーダ?」
「覚えててくれて嬉しいね」
「なんで君が?」
経緯が分からずに問えば、コーダは近くの椅子を手繰り寄せてどかりと座った。
「深部の“ある建物”に倒れてるあんた達を見つけて、ここまで運んだ。
うちの魔術師が凄腕じゃなかったら、あんた達死んでたぜ?」
確かに、ショウの魔術は僕の息の根を止めるためのものだっただろう。
行動制限と一緒に放たれたあれには殺気しか乗っていなかった。
それを回復するのは、至難の技だ。
自分には到底かなわないレベルの魔術。
「そうか……助けてくれてありがとう」
お礼を告げれば、コーダは微妙な顔をして、深くため息を吐いた。
「素直に礼を言われるとはなぁ……」
「?」
いや、何でもないと手を振り、コーダは仕切り直しとばかりに、真剣な顔でノアを見やった。
「体の痛みはどんな感じだ?」
「……痛いけど、動けないほどじゃない」
「そうか、やっぱりあんたは強いな」
意味が分からず首を傾げれば、コーダは苦笑して「いや、良い良い」と手を振った。
そっと茜を撫でようと首元に手を持っていって、不意に気が付く。
首元に、何もいないことに。
「あの、あか……僕が首に巻いていた狐はどこに……?」
「狐?ああ、あの襟巻か……。
いや、悪いが、分からない。
助けた時、周りには見当たらなかったと思うが……」
ノアの顔からさぁと血の気が引いていく。
あの建物の中に置いてきた?
いや、コーダは周りには何も無かったと言った。
それなら……
……盗まれた?
「大事なものだったのか?」
「いや……でも、捜しに行かないと……」
毛布を退かしてベッドから下り、歩き出そうとしたところでぐらりと視界が揺れた。
頭がずきりと痛み、立っていられずに、がくりと膝から崩れ落ちる。
床に落ちる前にコーダがノアの身体を支えた。
「おい、無理すんな。傷は塞がってても組織は定着してないし、体力だって戻ってない」
「早くいかないと」
ベッドに戻されながら、それでもどうにか藻掻こうとするノアをコーダは抑えつけた。
「今お前が出て行っても途中で死ぬだけだ。止めておけ」
真っすぐに見下ろしてくる苛立ちを含んだ青の瞳に、ノアは口を噤んだ。
コーダの言う通り、歩くことすらままならないこの身体では自衛することすらできないだろう。
たとえ歩けたとしても、弱ったままでは満足な魔術も使えず、漂う薬の臭いだけで意識を失う可能性だってある。
確かに、行ったとしても、無意味だ。
ノアが身体の力を抜いたのが分かり、コーダは抑えつけていた手を離すと無言のままノアの頭を撫でた。
その後、ノアは医者から健診と治療を受けた。
引き続き安静と言い渡されたため、ノアはベッドの上でぼんやりと窓の外を見つめていた。
大量に降っていた雨は止んだらしく、先程コーダが窓を開けていった。
表町の郊外に位置している診療所らしいが、確かに深部とは違い、風が緑の匂いを運んでいる。
……既に丸一日が経っているとコーダは言った。
茜は毛皮として取られたのか、それとも生きていると知られて連れて行かれたのか。
売り物として荷物に押し込まれているか、既に殺されて皮を剥がれているか。
どちらにしろ無事ではないだろう。
助けに行くことはできない。
助ける術もない。
たった数日間、一緒にいただけの狐。
やかましく、暖かい、少し臆病な狐。
助けられなくても、狐の死骸さえ回収できれば、“あれ”は手に入る。
だから、全快するのを待って、回収すればいい。
それで、問題ない。
問題ない……はずなのに。
……この気持ちは、何だろう。
ノアは初めて感じる感情に、ぐっと奥歯を噛みしめた。
「ノア……」
隣から聞こえた声に顔を向ければ、薄目を開けたサクルがノアを見つめていた。
コーダ達の話によればノアよりも先に意識を取り戻していたらしいが、ノアと同じく重傷でサクルも安静を言い渡されている。
泣きそうに顔を歪めたサクルは、ごめん、と謝罪を口にした。
「俺の仲間が、裏切った……」
ショウは裏切り、それによってラザロスは死に、サクルとノアは深い傷を負った。
ショウのことを仲間だと思っていたサクルにとって、これは絶望的な事実だろう。
けれど、それはノアには関係ない。
「ショウが、なんで裏切ったのか、正直分からない。
でも、俺達は生きているから……あいつは、まだ、完全に俺達を裏切ったわけじゃないと思うんだ」
「そう」
「逃げたショウは誰かと一緒にいた。
声だけは聞こえたから間違いない。
そいつに脅迫されてたのかもしれないし、何か事情があるんだと思う……」
「うん」
「だから……だからさ……」
「だから、許せって?」
サクルはひゅっと息を飲んだ。
何も言えなくなったサクルを見つめたまま、ノアは続ける。
「ラザロスが死んだこと、ショウが裏切ったこと、無理に理由付けをしてもそれは無かったことにはならない。
奪われたものは帰ってこない。
……それなのに、勝手にショウの罪を軽減させるのは、とても不愉快だ」
押し黙ったサクルは、瞳を伏せた。
ノアの言葉に間違いはないと思ったから。
対して、ノアは自身の発言に驚きを隠せないでいた。
“不愉快”
そう思う気持ちが、自分の中にあったなんて。
苛立ち、不快、不満、鬱陶しい、忌まわしい。
それら全部を混ぜこぜにした感情の名前。
初めて感じる気持ち。
でも、分かる。
それが不愉快だと。
……けれど、なんでそう思うんだろう?
新たな疑問にノアは首を傾げる。
今まで、個々の生き物に対して、そんな感情を持ったことはなかった。
生も死も、選択も、ただ見ていた。
それが生き物に与えられた神との約束だから。
それでも、今確かに、ショウのことを許せないと思っている。
“許せない”
もう一つ新しく飛び出してきた感情にノアはハッと目を見開いた。
……許せない……?
嗚呼、そうだ。
僕は許せない。
ショウを許せない。
許せないから、サクルに擁護されて不愉快に思ったんだ。
その根本は……。
不意に茜の姿が脳裏をかすめた。
「……奪われた、から?」
暗雲から、光が射した。
茜を奪われた。
生死も分からない。
助けに、行きたい。
それなのに、行けない。
苛立ち、不甲斐なさ、悔しさ。
それが、今の僕の気持ちだ。
「茜を取り戻さないと」
呟いた声は確かに部屋に響いた。