04_ガラクタの心(Ⅳ)
宿屋に着くと、ノアは茜をベッドの上に下ろした。
「僕の使ってる部屋だから、好きに動いていい。
けど、汚すのは駄目だから、トイレの時は言いなよ」
そう微笑んで、ノアは茜の頭を乱雑に撫でた。
茜はベッドに腰を下ろすと、じっとノアを見上げた。
微笑んでいる今は、普通に感じる。
「なぁ、どうしてあんな風に断ったんだ?」
ノアは撫でる手を止めて、心底不思議そうに茜を見下ろした。
「何が?」
本気で、そう言っているのだろう。
「コーダって人間の誘い、断っただろ?
なんか、最後、怖かったからよ。嫌なことでもあったのかなーって」
「僕、怖かったかい?」
しょんぼりと眉尻を垂らしたノアに、茜は焦って、立ち上がった。
「少しな、少し!ほんの少し、いつもと違ったって思っただけだ!
俺は、別に怖いとかねぇけど、人間は、ほら、分かんねぇじゃん」
あわあわと答えた茜に、ノアはくすりと笑った。
「……茜って、面白いね。言ってることがころころ変わる」
また茜の頭を乱雑に軽く撫で、ノアは荷物を広げ始めた。
その後ろ姿を見ながら、結局あれは一体何だったのだろう、茜は人知れずため息を吐いた。
「って、お前?!何広げてんの、それ」
ノアの前にはあの森に生息する沢山の薬草や草木がずらりと並べられていた。
赤いぎざぎざの葉、黄色の小さな実、螺子巻いた緑の苗、etc……。
茜は草木の知識はあまりないが、あの森の中でも珍しいと呼ばれるものがいくつもあることには気づけた。
そんなものを一体なんでノアのカバンから大量に出てくるのだ。
「これはあの森で採れた珍しい薬草とかだけど」
「んなこと分かってるわ!
じゃなくて、依頼受けて森に入ったって言ってたじゃんか。
それは出さなくて良かったのかよ」
そこまで聞いて、ノアはくすりと笑った。
「これは依頼された物じゃないから。良いんだよ」
じゃぁ何故持って帰ってきたのか。
茜は首を傾げた。
「薬でも作るつもりか?」
「ん-、一部はね。でも、他はとりあえず保管するよ」
「保管ってどうやって?腐らないか?それ」
後で食べようと隠し持っていた果実を腐らせたことを思い出し、茜は顔をしかめた。
「茜は、空間魔術って知ってる?」
「空間魔術?」
「そう。こういうの」
ごう、と小さい音を発しながら現れた宙に浮かぶ黒い空洞に、茜の毛がぶわりと膨らんだ。
「この中に物を収納できるんだけど。
基本的にこの奥は時がとても緩やかだから、入れたままの状態を保てるんだ」
「え、そうなのか。すげぇな!」
ノアの淡々とした説明を受け、茜はノアの肩に飛び乗り、黒い空洞をまじまじと見つめた。
「この中に居れれば、後から食べたいものとか入れてても腐らないってことか?!
つか、検問の時に俺をこん中に入れりゃよかったじゃんか」
まったくと、言いながら、茜は黒い空洞に手をそっと入れようとした。
「動物や人間は入れたことが無いから、茜が入ったら、どうなるか分からないよ」
「それは先に言え!!」
びょんと飛び退いた茜は、ノアの首元にぐるりと巻き付いた。
あまりの驚き様にけらけらと笑ったノアは茜の頭を乱雑に撫でた。
***
あれから数日、一人と一匹はとても穏やかに日々を過ごしていた。
好奇心旺盛な茜は、人への恐怖よりも好奇心が勝っているようで、町で見かける様々なものに興味を示した。
それに一つ一つ付き合うノアもまた、それを楽しんでいるように見えた。
今日は請け負った依頼のために、町の深部へと足を踏み入れていた。
華やかな商店街とは対照的に、暗く淀んだ目をした住人が家の中からノア達を見つめている。
町の深部、そこは所謂ゴロツキのたまり場で、スラム街とも呼ばれる場所だった。
悪さをした者が逃げ込む無法地帯。
危険な人間が多く住むが、その代わり、何をしても自己責任。
生き死にに誰も関わることはない。
町の中では表と裏、鏡の様な関係性となるため、町の人々はお互い不可侵を徹底している。
だからこそ、そこに向かう人間は旅人や冒険者が代行することが多い。
ノアが請け負った仕事は、まさしく町の人からの代行の仕事だった。
「なぁ、ノア。ここ、なんか怖いぞ?大丈夫なのか?」
酷く小声でノアに声をかけた茜は、尻尾をきゅとノアの首に押し付けた。
ここ数日で、茜は町に出る時は当たり前の様にノアの首元に巻き付いているようになった。
元々それが自然であるかのように。
茜の言う通りに、確かにここはノア達に悪意のある瞳を向けている者も多い。
けれど、誰もノア達の前に出ようとはしない。
まだ何をしに来たのかが分かっていないからだろう。
「まだ大丈夫」
行きは良い。
攻撃を仕掛けてくる阿呆はここにはいない。
「……茜。そろそろ目的地に着くよ」
「……分かった。静かにしとく」
人と会う時、茜はノアの首元で毛皮のふりをする。
好奇心旺盛であちこちに視線を向けている茜が町の人間と交流したことはない。
それは、ノアが魔術で茜への認識疎外をかけているからだ。
どんなに茜がノアと話そうが、町の人間は茜が生きた狐だと認識することが出来なくなる。
そういう魔術をかけた。
しかし、あまりに距離が近い場合や、茜に注視された状態で茜が声を上げてしまえば、簡単に魔術は解けてしまう。
茜にもそのことを伝えているため、茜は大人しく毛皮のふりをしているのだ。
「何用だ?」
目的の屋敷の扉をノックすると中から覗いた鋭い瞳がノアを射貫いた。
顔に傷のある厳つい男。
気迫と殺気が肌を痺れさせるほどであったが、ノアは特に気にした様子もなく薄く微笑んでいる。
「お届け物です」
ノアがそっと見せたエンブレムに、静かに瞳を細めると男は扉を開いてノアを招き入れた。
高級そうな絨毯が敷かれた広めの廊下を案内役の後に続いて歩く。
一度階段を上がり、違う階段から下がる。
歩いている間の廊下には、戦争をモチーフにした絵画や熊の頭部の剥製がいくつも飾られていた。
しばらく歩いた後に辿り着いた大きな扉を、案内の男が4度ノックすれば、「どうぞ」と短く穏やかな声が帰ってきた。
この場所には不釣り合いなほど優しい、女性の声。
「いらっしゃい」
迎え入れた女性は、声の通り穏やかな表情でノアを出迎えた。
彼女はシェーラ。
この屋敷の主人であり、深部の重役。
穏やかな見た目とは対照的に相当なやり手だと、依頼場の者達が噂していた。
緩やかなウェーブがかかった薄緑の髪を靡かせ、同じ薄緑の瞳が真っすぐにノアを見つめている。
揺るがない、芯のある瞳だ。
歳は30後半だろうか。
ノアは荷物の中から両手に納まる程度の箱を取り出して、お届け物です。と微笑んだ。
「依頼場にお願いしていた物ね。助かるわ」
穏やかな言葉と共に、視線が案内役の男へと向き、彼はその荷物をノアから預かるとシェーラへと受け渡した。
中身を確認し、確かに依頼していたものだと笑顔を浮かべると、彼女はすっとノアを見やった。
「さて、では本題に入りましょうか。
依頼場から私に相談があると聞いているけれど」
金銭ではなく、あえて相談させてほしいと打診したノアに、シェーラは二つ返事で快諾した。
最近はとんと見かけない珍客だと、シェーラは興味を引かれていた。
深部の重鎮の一人に、そんな手段で近寄ろうとしている旅人とは一体どんな者なのか。
どんな相談を持ち掛けてくるのか。
心躍る内容であれば、嬉しい。
そんな気持ちを秘めたまま、シェーラは頷いたノアは言葉をかける。
「あなたの望みは何かしら?」
「あなたの持っているブローチを譲っていただきたいのです」