04_ガラクタの心(Ⅱ)
「え。君、銀弧族なの?」
「そうだよ。悪いかよ」
再度の質問に返された回答に、ノアは驚きの声を上げた。
悪態をつく狐は、今はノアの首元に巻き付いている。
歩いている道は草が高く、狐の身長だとすぐに見失う可能性が高いための措置だ。
「銀弧族って全員銀色の毛並みだと思ってた」
「全員銀色だったぜ。俺は例外」
ふんと鼻を鳴らした狐は、そっと視線を外に向けた。
哀愁が漂う小さなため息がノアの耳を掠めた。
銀弧族は美しい毛並みが狙われ、密猟が横行して数を減らしている一族だ。
その数少ない群れの中ですら、異端児が迫害されるとは。
結局はどの種族の中でも同じなのだな。
ノアは狐の頭を乱暴に撫でた。
「君の名前は?」
「お前に教える名前はねぇな」
「そう?じゃぁ"毛皮"って呼ぶね」
「それは止めろ!!」
果てしなく自尊心を削られる、と、狐はくたりと項垂れ、そして小さく口を開いた。
「……茜」
「茜か。君の毛の色に似た色を指す言葉だね。親は東の国でも旅したのかな?」
「さぁな。長老が決めたらしいから、詳しいことは知らね」
「親は?」
「生まれる前に死んじまった。俺は母親の死んだ腹から出てきたおっかない狐なんだと」
吐き捨てるように告げた言葉に、ノアは軽く相槌を打つと、君は生命力が強いんだな、と朗らかに笑った。
茜は驚きに瞳を見開いたまま、じっとノアの横顔を見つめた。
群れの中ではいつも遠巻きにされた。
"恐ろしい、死んだ腹の中から出てくるなんて。"
"毛色も違う。"
"きっとあれは……
化け物だ。"
産まれた時から何度も言われてきた。
言われすぎて少し慣れてしまった程に。
それなのに、目の前の人間はそれが当たり前に、何事もないように、笑った。
それが不思議で、茜は目の前の人間が何なのか、興味が湧いた。
「……お前の名前は?」
「僕?僕はノア」
「ノア。ふーん……良い響きだな」
「ああ、そうだろうね。あの方が決めた名前だから」
あの方?
茜は首を傾げる。
言い方としては親じゃないだろう。
けれど、ノアの幸せそうな表情が大切だと言い張っている様に見えた。
「あの方って良い奴なのか?」
「そりゃぁね。あの方は僕の道しるべだよ」
道しるべ。
人間にそこまで言わせるとは、どんな奴なのだろう。
気にはなったものの、茜は次の言葉が出てこず、そうか、と言葉を区切った。
「茜が銀弧族ってことは、その内、僕よりも大きくなるんだよね?」
銀弧族は人の数倍は大きい巨体の狐として有名な一族だ。
そして何より、美しい白銀の毛並みを持ち、高い知能と言葉を操る。
ノアは遠目で彼らの姿を見たことがあるが、どの個体もノアよりも何倍も大きかった。
色が違うとはいえ、茜も銀弧族だ。
大きくなれば、当然ノアの身長もゆうに超すことになるだろう。
「そりゃぁお前よりかは確実に大きくなるな。俺は銀弧族だぜ?」
「そうか。それは良いな」
思いの他に棒読みで返された台詞に、茜の高揚した気持ちは、すんとなりを潜めた。
「まさかと思うが、大きくなったら毛皮にしようとか思ってないよな?」
「まさか。暖かそうだと思っただけだよ」
くすりと悪戯めいた笑みを返したノアはまた茜の頭を撫でた。
「茜。もうすぐ森を抜ける。町に入る頃は黙っていてくれよ」
「おうよ。銀弧族なんて密猟者共に狙ってくれって言ってるようなもんだもんな」
「いや、茜は銀弧族に見えないから、それは気にしてないんだけど。
喋る狐とか絶対に検問が面倒だから」
「喋る狐……!」
茜の中で銀弧族という、わずかにあった誇りがガラガラと崩れていくのを感じ、ぐぅと歯を食いしばった。
「経緯説明するの面倒だし。茜が俺の肩に乗れなくなったら検問を受けよう。
茜だって、知らない人間にべたべた触られるのは嫌だろう?」
確かに人里に入るのすら茜には初めてのことだ。
そんな中でべたべたと触られようものなら、狐火を吐いて発狂間違いなしだ。
想像しただけでも気味が悪い。
茜はこくりと頷いて、言う通りにすると短く返した。
***
石の壁に隔たれた町は、この辺りではそれなりに大きな町だ。
その出入り口となる大きな門の横に設置された検問所を通らなければ何人たりとも入ることはできない。
門の前には数名の兵士は並んでいる人々と会話をして順番に通している。
並んでいる人々は様々で、馬車を引いている者や大きな荷物を抱えた者達も見受けられた。
その最後尾にノアは静かに並んだ。
後数分もすれば中に入れるだろう。
それにしても、首元が熱い。
その原因となっているのは首に巻き付いている茜で、人の多さに驚いたのか、心拍数の上昇と共に熱が上がっているようだった。
ノアは茜の頭をポンと撫でて、小声で心配いらないと告げ、前に進んだ。
「通行証は?」
「これです」
「ん、確かに。通って良いぞ」
「どうも」
一度町に入った際に発行されていた通行証があったからか、何の問題もなく進めそうだ。
通行証を懐にしまい、ノアは歩き出す。
さっきまで熱くなっていた首元が少し落ち着いた気がした。
「あ、一つ良いか?」
背後から兵士に呼び止められ、茜の心臓がどくんと鳴ったのをノアは感じた。
驚いて動いてしまう可能性を危惧し、茜の視界を隠すように頭を撫でながら兵士へ振り返る。
「なんでしょう?」
「狐の毛皮ってどこで買ったんだ?」
「……遠くの地で譲ってもらったんです。それが何か?」
ノアの微笑み乗せた返答に、兵士は頭に手を当てて困り顔を見せた。
「いや、嫁がな。最近寒い寒いって言っててな。なんか良いものは無いかと思ってよ」
「そうなんですね。けど、すみません。この子はお渡しできませんね」
「ああ、良いんだ。気にしないでくれ」
軽く会釈して町の中に入り、ノアはまっすぐに歩いた。
そして検問所が見えなくなった頃に、小声で茜に声をかけた。
「もう喋ってもいいよ」
「……良いのか?」
「小声ならね。
それより、ほら、町は初めてなんだろう?」
前を向いたノアにつられ、茜も前を向いた。
灰色の石を積み重ねてできた家。
色とりどりの花があちこちに植えられ、時折風に乗って花弁が舞っていた。
ここは町の中で一番の大通りだ。
そのため、老若男女問わず、沢山の人が行き交っており、屋台で物を売り買いしている者達も多く見られる。
嗅いだことのない食べ物の匂いがあちこちから漂っているのは、嗅覚が優れる狐族にはきついかもしれない。
そう思ってノアがちらりと茜を覗き見ると、茜はきらきらとした目できょろきょろと辺りを見渡していた。
今のところは大丈夫そうだ。
「なぁ!すごいな、こんな風に並んだ家を見るのは始めてだ。
それに、なんかうまそうな匂いもするし。人間の里ってのはみんなこうなのか?」
興奮気味に語られた言葉に、ノアは歩きながらそうでもないと軽く返す。
「ここは大きな町だからそれなりに整頓されているけど、小さな集落だったらこうはいかない」
思い返してみても、塀がない集落の方が断然多い。
木や土で作った家で畑を耕し家畜を育てて生計を立てる。
そして、そこで収穫された物がこの大きな町に集められているのだ。
そう簡単に説明したが、茜は良く分からないと首を傾げた。
「でも、なんかすごいことだってのは分かるぞ。
皆楽しそうだ」
「……うん」
ノアは無表情のまま頷くと、少し黙っててね。と茜に声をかけた。