04_ガラクタの心(Ⅰ)
僕はガラクタだった。
産まれた時からずっとガラクタだった。
この体に入れたはずの心は、ぽろぽろと零れて、そして僕はただの抜け殻になった。
怒鳴りつける声も、泣き叫ぶ声も、笑い声も、全部自分の前にあったけれど、どれも僕には入ってこなかった。
何も感じなかった。
何も思わなかった。
それでも、生き物になるためには、それらの感情は必要なはずだから。
僕は今日も、心の欠片を探している。
***
旅人であるノアは森の中を進んでいた。
ノアは定期的に冒険者や旅人用の簡単な依頼を熟すことで、旅費確保をしながら、旅をしている。
今回は、この季節にしか手に入らないという薬草を探して森に入った。
この季節の森は雨がよく降るために、地滑り、泥濘、川の増水があちこちで起こるため、森を歩くだけでも大変だ。
地元民が入りたがらないため、冒険者や旅人にその役割が回ってくる。
ノアは転ばない様にと気を付けながら前へと進む。
遠くから響いている轟音の近くが目的地のはずだ。
歩き続けて一時間程で、轟音の元になっている滝が姿を現した。
森の隙間の大きな空間。
大きな滝の滝壺に弾かれ空気に混じる水。
真上から落ちてくる日の光に照らされ、七色に並ぶ光。
美しい光景だ。
けれど、ノアは何も感じない。
美しいと感じる心がないから。
薄く浮かべた微笑みを崩すことなく、ノアはさて、と息を吐くと荷物を下ろし、きょろきょろと目的の薬草を探し始めた。
今回依頼された薬草の採取に来るのは初めてではない。
この地域ではないが、別の場所で採取したことがある。
滝のすぐ傍の流れが速い場所。
敵の少ないその場所で、しっかりと根付いていた目的の薬草を見つけると、ノアは躊躇なく手を伸ばした。
冷たい水が手にかかることも気にせず、手際よく薬草を採取していく。
植物はすべて取り除くと二度と生えてこなくなるから注意するんだよと、教えてもらったことを思い出しながら、残す分を気にしながら袋の中に入れていく。
あらかた採取し終えた頃、滝の轟音に混じり、叫び声が聞こえた気がしてノアは顔を上げた。
「うわぁぁぁぁ~!!!!!!助けてくれぇぇぇ~!!!!」
滝の上から、赤色の小さな体が落ちて来るのが見えた。
ざぶんと滝壺に落ちた赤色の生き物は、水面にぷかりと浮くと、ノアのいる川辺まで流れてくる。
気を失っているらしく、動かないそれを、ノアは片手で持ち上げた。
小さな狐。
子供の様にも見えるが、種族が分からないため、もしかしたら大人かもしれない。
ノアがじっとその狐を見つめている間も、狐は水を吸ってしまったのか、何度も咳込んでいた。
こういう場合はどうすれば良いと教わっただろうか?
記憶を辿るが狐への対処法など、ノアには分からなかった。
仕方なく、人と同じ対処を取ることにして、宙に手を突っ込み、ずるりとタオルを取り出す。
空間倉庫と呼ばれる空間魔術。
異空間に作った倉庫の中に物を収納したり取り出したり出来る魔術だ。
習得には魔術の才能とそれなりの努力が必要となるが、ノアは随分前に習得していた。
タオルで狐の毛をわしわしと拭いてやり、また新しいタオルを取り出して小さな体を包んでやる。
触った限り、多少は冷えているが、心臓は動いている様だったから、生きてはいるのだろう。
そんなことを思いながら、滝から少し離れて岩に腰かけると、ノアは狐を膝の上に乗せた。
小さな重み。
この近くで人の言葉を話せる狐族は、銀狐族くらいだが、膝の上で気絶したままの狐は赤毛だ。
銀狐族ではない。
他の地域から移り住んできたのか、迷い込んだろうか?
不意に、狐の目が開いた。
「んあ?……俺は、助かったのか?」
少し甲高い声が響いた。
きょろりと辺りを見回し、ノアに視線が向くと、狐はぴたりと動きを止めた。
「んぎゃぁぁぁ!!!人間?!」
毛を膨らませ、じたばたと暴れ始めた狐に、ノアは空間からもう一枚タオルを取り出して狐の体に巻き付けて身動きを封じた。
「なななな何しやがる?!」
「変に暴れると地面に落ちるから」
ノアはそう告げると、狐の頭を乱暴に撫でた。
「大丈夫。僕は君を助けただけだ」
きょとんと目を見開いた狐は、膨らませていた毛を萎ませると興味深げにノアを見上げた。
「お前が、助けてくれたのか?」
「ああ」
「どうしてだ?俺は狐でお前は人間だろう?」
「助けてくれって言ってただろう?」
確かに滝壺に落ちる時にそう叫んだ。
けれど、人が自分を助けるなど、狐は思っていなかった。
だから少し瞠目し、そして気恥ずかしそうに身を縮めた。
「あ、あ、ありがとうな……」
「どういたしまして」
ノアは大人しくなった狐を見て、巻き付けていたタオルを取り払った。
ふと、タオルについた赤い染みに気づき、ノアは狐の身体をそっと観察する。
濡れていた時は気が付かなかったが、狐の身体は細かい傷が見え隠れして血が滲んでいた。
そっと手を狐に手をかざすと、ノアは魔力を手の平に集めた。
「ヒール」
言葉を紡いだ瞬間に狐の身体を包んだノアの魔力によって、狐の身体の傷はみるみる塞がっていった。
膝の上に立ったままだった狐は自分の身体をきょろきょろと見渡して、すぐに歓喜の声を上げた。
「お前魔術を使えるのか?!すげぇな!ほら見ろよ、ここの傷とか全部塞がってやがる!
痛かったからめっちゃ助かったぜ!!!」
膝の上から見上げてくる狐はふわりと毛を膨らませ、喜びに満ちた顔でノアを見上げた。
ノアも変わらず微笑みを狐に向けて、また、その頭を撫でた。
「ところで、君はどこの種族の狐?」
「……え?」
ノアの問いに、喜んで揺れていた狐の尾が停止し、そしてだらりと垂れた。
それを見つめながら、ノアは言葉を続ける。
「狐の毛皮は、種族によっては高く売れるから」
「……はぁ?!お前、俺を売るつもりか?!」
ぎっとノアを睨みつけた狐はノアの膝上から飛び降りると、口からぼっと青い狐火をノアに向けて吐き出した。
「俺は生きるんだよ!お前らなんかにやられてたまるか!!」
ノアに向かって勢いよく飛んでくる狐火を軽く手でいなし、ノアは少し火傷した手を見つめた。
その間にも狐はボンボンと狐火をノアに向けて放っていく。
二打目からは体をずらして、狐火をさけると、ノアは狐に向かって走り出した。
向かってくる相手にぎょっとしつつ、狐は大玉の狐火をノアに向けて放った。
ノアは目の前に空間を造り出し、その中に狐火が入ったのを確認した瞬間、狐の体を両手で持ち上げた。
「捕まえた」
へらりと笑うノアとは対照的に、狐は売られると青ざめた。
そんな狐の様子も気にせず、ノアはうんと一つ頷いた。
「狐。君は僕と一緒においで」
「本当に売るつもりかよ……」
悲壮漂う声に、ノアはあれは冗談だよと笑い、狐に微笑みを向けた。
「君は……なんていうかな。うん、僕には必要なんだよ。
約束する。絶対に売ったりしない」
「……」
優しい微笑みと意思の強い声に、狐は静かにうん、と声を漏らした。
「良いぜ。付いて行ってやっても。今は俺は一人だしな。誰かと旅も悪くねぇ」
ふんと、偉そうに声を上げた狐に、ノアもうんと笑う。
「ありがとう。これからよろしくね。毛皮」
「お前やっぱり俺を売るんじゃねぇだろうな?!」
滝の轟音に、狐の叫び声が混じった。