03_花人(Ⅵ)
不意に、ぐらりと傾いた目の前のそれを咄嗟に受け止めて、静かに抱きしめる。
冷たい無機質な人形。
サクラの身体だったもの。
……サクラは純粋な花人ではない。
人形の体に花人の花弁を詰めて、人工的に作られた花人。
それがサクラだ。
あの研究所にいた花人達も皆サクラと同じように作られていた。
サクラの傷から流れ出た緑色の血は人形を動かすための動力だった。
いくら傷を縫い合わせても、切られた場所は戻すことが出来ず、延命は気休めにしかならなかった。
「……ごめん、ごめん。サクラ、ごめん……」
悔しくて、辛くて、悲しくて。
箍が外れた心は止めどなく咽び泣いて。
それでも、愛していると想う気持ちを忘れたくなくて、胸に抱いた人形をただただ抱きしめていた。
どのくらいそうしていただろう。
見上げた空はもう暗くて、日なんてどこにも無くて、弧を描いた月がテオを見て笑っているように見えた。
涙はまだ流れ続けていた。
不意に、笑った声が耳を掠めた。
のったりと視線を向ければ、一人、佇んでいた。
白髪に枝の様な一本角。
金にも銀にも見える瞳。
彼は、この世界の主。
選択を命題にして、世界を創った者。
テオにサクラの居場所を教えた神様。
神様の視線がテオの腕の中にいる人形に向いた。
サクラは、もういない。
嗚呼……。
何故、もっと早く来てくれなかったのか。
サクラの身体を治す術を!
留める術を!
希望を!
一つでも啓示してくれれば、サクラが死ぬことも無かったというのに!
今更何をしに来たのだ!!
あまりに恨めしくて、テオは奥歯をぎりと噛みしめて睨みつける。
サクラは二度と戻ってこない。
それならば、神がここに来た意味など、何もない。
今まで感じていた感謝も、祈る気持ちも、全てが憎悪に変わっていくのを感じる。
短剣は腰に携えたままだ。
切りかかれば、その体に傷の一つでもつけられるだろうか?
神との力の差なんて考えるだけ無駄だ。
すぐに返り討ちにあって死ぬのは目に見えている。
それでも、どこにも行けないこの気持ちを消化させるには丁度良い。
テオが短剣に手をかけようとした瞬間、神は迷いなく近づいてきた。
短剣を握ると同時に、神はテオの腕の中にいる人形の喉元を指さした。
「選択は、意思によるものだけではない」
何を言ったのか、理解が出来ずにテオは眉を潜める。
そっと神が指を引く動作をすると、人形の喉元に巻かれた包帯が解け、中から花弁がはらはらと零れだした。
慌ててその花弁を受け止めようと手を差し出すと、そこに一つ……質量をもった小さな物質が手の中に転がり落ちた。
小指の爪程の小さな赤色。
「これは……?」
「種子だ」
見上げれば、神は慈しむ様に笑みを浮かべていた。
「花人は種を残すことをあきらめた種族であり、滅びに向かうことを選んだ種族だ。
されど。
遺伝子にさえ焼き付く想いは、種族を超えて選択される」
この赤色の種は、サクラが残した種。
何も残らないと思っていたその身から、残された唯一のもの。
呆然としているテオに、神は淡々と言葉を紡いだ。
「燃やしても良い。
川に流しても良い。
食べてしまっても良い。
勿論、土に植えて育てたって良い。
……君の好きにしたらいい」
はっと顔を上げると、神はもうそこにはいなかった。
テオはもう一度、手に残った赤い種を見つめた。
***
どの国にも属さぬ隠れ里には様々な種族が住んでいる。
国を追われた者、迷い込んだ者、この地で生まれた者……それぞれが互いを補い暮らしている。
地形故か、他の国から脅威を受けることもなくその里は存在し続けた。
里の中央に聳える大樹には、一つの言い伝えがある。
――滅びを超え、いづれ新たな命を産み落とす――
***
神は植物園を歩いていた。
神の居住に複数ある植物園の中でも一番広い植物園であり、様々な地方の植物達が交じり合い新しい種を芽吹かせている。
頬に感じる風は暖かく、甘い花の匂いが鼻腔を擽る。
小さな虫達は花の蜜を抱えてあちこち飛んでおり、良く働く子達だと神は微笑んだ。
植物達の様子を軽く確認しながら、奥へと進む。
植物園の一番奥に聳え立つのは、薄紅色の小さな葉を纏った巨木だ。
まるで薄紅の花を纏う“桜”の様にも見える巨木は、穏やかな風に乗ってその小さな葉を数枚散らしていた。
神はそっと宙へ浮かんだ。
神にとって重力など有って無い様なもので、羽など無くとも空を飛行することは容易い。
薄紅の巨木の中腹まで昇ると、神はそっと枝に腰を下ろした。
「あの種はあの里に根付いたよ」
神の言葉に、巨木の葉ががさりと音を立てた。
『人の手に委ねるとは聞いていないぞ。
最終的に根付いたから良かったものの……』
ぶつぶつと心底不機嫌そうな言葉を並べた声の主は、この巨木だ。
この巨木は万物の言葉を理解する神に対して、気安い言葉を選ぶ数少ない生物であり、神の居住の中でも一番長く生きている生き物でもある。
未だぶつふつと文句を並べている巨木に、神は笑みを返した。
「なんだ、見ていたのかい?」
『私達が繋がっていることを忘れるとは、ついに耄碌したか』
植物達は繋がっている。
人や獣とは違う目を持って、世界中の植物達を見つめ、感じている。
時には争い、時には譲り合う。
無音のまま行われるそれらを、人も獣も感知することはできない。
「ふふふ。それでも、君達の感覚だけでは、詳細は分からないだろう?」
『……他の同士達ならば、そうだろう。
しかし、あの子は私の子だ。私とは強い繋がりがある』
この巨木が生んだ種は、隠れ里に根付いた。
神はそれを伝えに来たのだが、巨木は既に知っていたようだ。
対話をしたくて来たが、無駄足だったかと軽く息を吐いて、神は空を見上げた。
「新しい命を生み出すのは、やはり難しいね」
『……お前が息を吹き込めば簡単に創れるだろうに』
「それでは駄目なんだよ」
巨木が言う様に、新しい命を創ろうと思えば、いくらでも創ることは出来る。
命を吹き込むことも奪うことも、神にとっては手を動かすことより容易い。
しかし、そうではない。
この世界は、命を使い回せるように創った。
生物が死ねば、命は魂となり、魂の坩堝に連れて行かれる。
坩堝に入った命は境が分からなくなるほどに混ぜられ、他の魂達と同一となる。
そして、その中から一人分の魂を掬い出して、地上へと落とす。
地上に降りてきた魂は空いている体に入り、目覚める。
世界はそうして回ってきた。
この先も、変わることはない。
それでも。
「世界が始まった頃はね、私が作った命以外にもあったんだ。
坩堝の中の魂が足りない頃は、命が宿らずにそのまま沈黙する生き物も多かった。
それ故に、愛や祈りから命を分け与えたり、新しい種族の誕生の際に力が余って、それが命になったりした。
最近は坩堝に魂が有り余っているから、新しい命は中々生まれなくてね……。
……久しぶりに、見たいと思ったんだよ」
『……難儀な神だ』
巨木に呆れたように吐き捨て、神は苦笑した。
まったく、その通りだ。
巨木の言うことは間違いない。
完結できるこんな世界を創っておいて、新しいものを求めるなど、難儀以外に何と言うのか。
「あーあ……、花人を使うのは良い案だと思ったんだけどなぁ」
肩を竦めて吐き捨てれば、巨木はがさりと葉を揺らした。
『勝手に人の種を実験に使いおって。
次やったら許さんからな』
「うん、もうしないよ」
これは失敗だったと、神はため息を吐いた。
花人は種子を残すことを諦めた、滅びに向かう種族。
それでも、強い想いがあれば、核になった種子に何かしらの影響を及ぼし、新しい命を生み出せるのではないかと期待していた。
けれど、結局……
命は生み出されなかった。
「嗚呼、残念……」
世界は、変わることなく廻り続けている。
花人はこれで完結となります。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
尚、評価等々していただけますと、私が大変喜びます。