03_花人(Ⅴ)
北へ進んだその先で、テオ達は足を止めた。
目の前には木の幹にぽっかりと開いた穴。
その中は淡い緑の光を揺らめかせていた。
周りには同じ色の光の玉がふわふわと浮かび、幻想的な光景を生み出している。
「……おいおいおいおい……」
信じられないと言わんばかりのイグナーツの反応に、テオは首を傾げる。
「これが何か知っているのか?」
「……実物は初めて見る」
イグナーツはまじまじとその穴を見つめながら、言葉を続けた。
「うちの里の伝承に、“精霊の道”っていうのがあってな。
内容は省くが、これは簡単に言えば、遠い場所へ繋がる道だ。
ただし、繋がる場所は分からない。
森の中か海の中か、町の中か、果てはマグマの中って説もある。
しかも一方通行で、戻ることもできない」
それでも、進むのか?
イグナーツの真剣な眼差しに、テオは頷いた。
「戻るつもりはない。賭けてみるよ。
神様の啓示は多分これだと思うし。
……イグナーツ、君はどうする?」
この道の危険さはイグナーツの説明で良く分かった。
イグナーツとの約束は村までの護衛だが、これは予想外の危険値だろう。
それなら、イグナーツが無理に潜る必要はない。
もし追手が来たとしても、イグナーツだけならば、逃げることは容易いはずだ。
テオの申し出に、イグナーツは少し思案し、一つ頷いた。
「……俺も、潜ろう」
「良いのか?」
「乗りかかった船だしな。水の中なら泳いで岸まで届けてやるよ」
にやりと笑った彼に、テオも笑って一つ頷いた。
「じゃぁ、行こうか」
踏み込んだ光の中は暖かく、そして微かに、呼びかける様な声が聞こえた気がした。
***
あの日潜った精霊の道の先は明るい森の中で、すぐ近くにはのどかな農村が広がっていた。
村人達は最初は警戒の意を示したものの、助けてほしいと頼み込む切迫した様子のテオ達に、渋々と医者の元へと案内してくれた。
手当を受けながらこの村のことを尋ねれば、流れ着いた者ばかりで寄り添う様に作った村なのだと、医者は苦笑を浮かべて答えてくれた。
確かに、この村の者達の顔立ちに統一性はなく、更には獣人、人魚、羽人等の他種族がいる。
地図で言うならばどこかと問えば、この村は、元居た国から、遥か南の地区だという。
国に属さない隠れ里で、山深いこの場所に入ってこれる人は中々いないのだとか。
あれから2週間。
テオ達はこの村で生活を始めていた。
テオの肩の傷はまだ完治していないが、一先ず生活できるレベルまでは回復した。
今は空き家を借りて、生活を始めている。
イグナーツは軽傷だったためにすぐに動けるようになっていたが、村にいない種族だったため、最初は村人達から遠巻きにされていた。
しかし、怖いもの知らずの村の子供達はイグナーツに興味津々で、幾度となくちょっかいをかけていた。
イグナーツは最初は面倒そうにしていたものの、強く拒否することもできず、尚且つ、面倒見が良くて世話を焼くものだから、子供達から絶大な人気と共に懐かれていった。
その様子を見ていた村の大人達も、最初に怖がっていたのが嘘のようにイグナーツを慕い始めている。
そして、サクラは……未だ、ベッドの中にいる。
深く切り裂かれた傷は縫い、傷が開かないように包帯を巻いて……なるべく安静にするようにと医者から言いつけられている。
……治らない。そう、言われた。
サクラは人とは構造が違うために傷が塞がらず、動けば血が流れる。
今は自力で起き上がることもできない。
どうにか治療方法を見つけようと、研究所から持ち出した文献を読み、他種族の話を聞きまわっているが、未だ治癒方法は見つけられていない。
このままでは、近い内に死に至る。
じりじりと終わりに近づく中でも、サクラはテオが帰ると笑顔で出迎えてくれた。
「……おかえり」
「ただいま。サクラ」
簡単に家の家事を済ませ、サクラの傍に寄る。
顔色は良くない。
それでも、サクラは穏やかに微笑んでいた。
「……外、行きたい」
「……うん」
テオは毎日の様にサクラと外を歩く。
外を見たいと、サクラが望んでるから。
それが寿命を縮める行為になると分かっていても、テオはサクラの願いを蔑ろには出来なかった。
「どこに行きたい?」
「麦畑が良い。……穂が色づいて金色の絨毯みたいだって、隣のおばさんが言ってたから……」
「分かった」
身体に巻いた包帯が解けていないことを確認し、サクラの体を抱き上げる。
歩く時はなるべく体を揺らさないように、細心の注意を払って。
外を歩けば、村の子供も大人も、笑顔でサクラに声をかけては通り過ぎていく。
サクラも彼らに微笑みを返しながら、時折、言葉を交わす。
二週間の間に随分とこの村にも慣れたものだ。
「サクラ。ここだよ」
目の前に広がる金色の絨毯。
サクラから感嘆の息が漏れたのを聞きながら、テオも目の前の景色を目に焼き付ける。
風が吹く度にゆったりと揺れる穂がざわざわと音を立て、微かに冷たい空気と草木の匂いが頬を撫でた。
穏やかだ。
逃げている時からすれば、想像できない程に。
それでも、サクラの身体は一刻一刻と死に向かっている。
どうにか、止める方法を見つけ出さないと……。
焦燥に駆られ、ぐっと眉間にシワを寄せたテオの服を、くんとサクラが引いた。
テオは慌てて表情を戻すと、サクラに視線を落とした。
「どうしたの?」
「……丘に行きたい」
サクラがその日の内に、二か所目を回りたいと言い出したのは初めてだ。
体のことを考えれば、長時間外を歩くのは良いことではない。
けれど、サクラの瞳がまっすぐにテオを見つめていて、どうしても、頷くことしかできなかった。
丘は、村を眺めることが出来る場所だ。
丘の上にそびえる大木にサクラの体を寄りかからせ、テオはその隣に座った。
肌寒くも感じる風が、麦の穂を撫でながら丘の上まで通り過ぎていく。
遠くに見える夕日は落ち始め、青みがかった空の合間に一番星がきらめいていた。
「……ありがとう」
漏れ聞こえた声に視線を向ければ、サクラは慈しみを含んだ瞳でテオを見つめていた。
この村に来てから、サクラは時折、こんな表情をするようになった。
けれど、それはいつもテオの心をざわつかせる。
遠くに行ってしまいそうで、怖くてたまらない。
「一緒にいてくれて、ありがとう。
外に連れ出してくれて、ありがとう。
愛してくれて、ありがとう」
サクラは一点の曇りもなく微笑んでいた。
どうしてそんなことを言い出したのか、浮かんだ思考を何度も否定しながら、何も言葉にできずテオは下を向いた。
分からない。
分かりたくない。
その微笑みの意味も、その言葉の真意も。
不意に動く気配に顔を上げれば、サクラはゆったりと前を歩いてテオに向き直った。
風に揺られる薄紅の髪がさらさらと頬を撫でて、赤い瞳がきらきらと輝いて、とても綺麗で……。
瞬間、サクラの体から、花弁がはらはらと零れ落ちていくのが見えた。
―――死に至る時、花人は大輪の花となって散っていく―――
花人の文献の一説を思い出し、テオは慌てて立ち上がった。
「待って、待ってくれ……!逝くな!まだ、まだ、駄目だ!」
足を縺れさせながら、サクラの周りに零れ落ちた花弁を必死にかき集める。
花弁は花人の体だと、文献に載っていた。
集めれば、少しは延命できる可能性がある。
「必ず見つける……!治す手段を見つけるから!
まだ、逝かないでくれ!!」
零れ落ちた花弁をまた一つ拾おうと手を伸ばしたところで、そっと、頬に手が添えられた。
顔を上げれば、サクラは変わらず微笑んでいた。
テオの頬に触れたサクラの手がはらはらと花弁に変わる。
「……ごめんね。
沢山守ってくれたのに、沢山愛してくれたのに、何も返せないままで……」
滲んだ涙が花弁に変わり、テオの鼻を掠めた。
「お願い……私が終わるその時まで、その目で見ていて」
微笑んだまま、音もなく花弁になったサクラの身体が、風に吹かれて舞い上がった。
「……愛してる」
視界一面に薄紅色が降り注ぐ。
ひらひらと、幾万の花弁が、その場を包んだ。
サクラは、逝ってしまった。