03_花人(Ⅳ)
リザードマンはイグナーツと名乗った。
テオの前を警戒しながら進む彼は元々戦士であっただろうことが伺える。
「それで、どうして助けてくれるんだ?」
「所長の手首を切り落としたのは、お前だろう?」
「……まぁそうだな」
それは確かに、テオがやったことだ。
サクラを迎えに行く前に、テオは研究所の所長の手を切り落として盗んだのだ。
サクラのいたあの部屋は所長の指紋で開くようになっていたため、どうしても必要だった。
悪いことだとは分かっていたが、すぐに処置すれば死ぬレベルの怪我ではないし、何より、サクラの方が幾倍も大事だったために、許容範囲の悪事だとテオは思っている。
「お前が切り落としてくれたおかげで、奴の血が手に入ったもんでな」
「血?」
「俺の首に銀色の輪っかがかかっていたの、覚えているか?」
思い出してみれば、確かに最初に会った時、イグナーツの首には銀色の首輪が着いていた気がする。
今は着けていないようだが。
「あれは俺を拘束するためのものでな。
奴らの采配一つであの首輪から電撃が流れる。
無理に外そうとしても同じだ」
『銀の首枷』
対象を従わせる拘束具。
電流が流れる起動は、ボタンだったか、言葉だったか、特殊な術だったか……。
覚えていないが、それは主に罪人や奴隷につけられるものだったはず。
「あれの解除には、所長の血が必要だったんだ」
後ろ姿からでも、イグナーツがにやりと笑ったのが分かった。
「……成程。僕が切り落とした手首の血で、君は解放されたと、そういうことか。
けど、なんで僕だって分かったんだ?」
「俺を連れていた奴が、反逆者を捕まえるって息巻いてたからな」
イグナーツに投げられた男は研究所の人間だったのか。
話を聞く限り、町の正門も地下道も至る所に捜索の手が伸びているらしい。
あの研究所の所長、それほどに重要人物だったのか。
「もう一つ良いかい?」
「なんだ?」
「なんで、すぐに逃げなかったんだ?」
手首を切り落としたのは町中だ。
研究所かどこかで血を入手したのなら、地下水道に来るまでの間に解除はできていたはずだ。
それなのに、あえて従ったふりをしてここまで来たのには何か理由でもあったのだろうか。
「そんなの簡単だ。
町中で解除すれば、衛兵達がこぞってやってくるだろう。
奴らの持つ機械や魔術で取り押さえられる可能性の方が高い。
何より、俺が駆り出される場所は普段人間がいかない場所だ。
そこから逃げた方が気づかれるのは遅れるだろう。
まぁ、逃げる前にお前らを見つけた手前、見逃せなくてな」
「……それは、ありがとう」
素直にお礼を述べれば、イグナーツはちらりとテオを見て、また前を向いた。
話はせずにしっかりと歩を進める。
しばらくして、暗闇の向こうに、古びた柵が見えた。
「出口だな」
「うん。サクラ、外に出るよ」
「ん……」
テオの背中にこすりつける様に小さく頷いたサクラの姿に少しだけ安堵する。
頷くことすらできなくなったら、本当に命が危ないということだから。
イグナーツは柵に軽く触れ、一つ頷いた。
「柵は古びてるし、力こめりゃ開けられそうだな」
「あ、待って。こっちの壁を押してもらえるか?」
顎でその場所を指し示せば、イグナーツは訝しみながらもテオの指示通り、壁をゆっくりと押した。
すると、ぎぎ、と古い金属のこすれあう音が響き、柵がゆっくりと開きだした。
「……良く知ってたな、お前」
「いろいろ調べたからね」
「……」
それは調べたからといって、簡単に出てくる情報ではない。
仄暗いやり方をして初めて手に入るような代物。
そうでなくては簡単に国内外の侵入脱走を許してしまうことになる。
イグナーツもそれを分かっているからか、そうか、と一言告げただけで、それ以上の追及はしなかった。
柵の外に出れば、鬱蒼とした森に出た。
町の北東に位置する森。
人の手があまり入っていないこの場所は、野生の動物達や獰猛な魔獣が多い代わりに、人の追随を阻むことが出来る。
「おい、こっからどうするつもりだ?」
「山を越える。山向こうに村があるから、まずはそこまで」
イグナーツは村という言葉に眉を潜めたものの、深々と息を吐くと「そこまでは護衛してやる」と、背筋を伸ばしてテオ達を見下ろした。
その瞳はあまりに真っすぐで、テオは少し驚いてしまう。
リザードマンは乱雑な種族だと伝えられているが、イグナーツを見ているとそれはまるで嘘に思えた。
勿論、イグナーツだけが義に熱いタイプな可能性もある。
彼の流儀は「恩は返すこと」と言っていたから、可能性はゼロではない。
どちらにしろ今の状況からはありがたいことだと、テオは微笑んだ。
テオ達は最小限の灯りを灯しながら山道を進み始めた。
本当は、山中で夜を明かしてから進むつもりだったが、サクラに怪我を負わせたことで事情が変わった。
一刻も早く、村へ辿り着かなくてはいけない。
手遅れになる前に。
背中に感じる微かなぬくもりが、消える前に。
焦りが確実に歩を早め、早め。
進め、進め。
猶予は無い。
少しでも早く、前へ。
前しか見ていなかったテオは気が付かなった。
引き絞られた弓の矢尻が自分達を狙っていることに。
ひゅんと、風を切る音に気付いた時には、既に矢はテオの腕に深々と食い込んでいて、痛みと衝撃でその場に崩れ落ちた。
受け身すら全く取れていなかったが、背負っていたサクラを振り落とさなかっただけマシだろう。
痺れるような痛みに耐えながら腰に付けていたランタンの灯りを消した。
草木の影に移動しつつ、サクラを庇う様に体制を変え、矢の飛んできたであろう方向に目を凝らす。
暗闇の中から、灯りが一つ二つと点くのが見えた。
足音と次いで響く弓が放たれる音。
テオの前に立ちふさがったイグナーツは、剣をぶんと振り回して弓を弾いた。
その間にテオは肩に刺さった弓を抜こうとしたが、筋肉の深くに刺さったのか痛みが走るだけで一向に抜けそうがない。
抜くのを早々にあきらめると、テオは持っていたナイフで矢を切り落とし、再度サクラを背負いあげた。
同時に、イグナーツから怒号が飛ぶ。
「走れ!!」
テオは足に力を込めた。
正常に走れていたかも定かではないが、襲い掛かる弓や魔法をどうにか避けながら、前へと進む。
イグナーツは身を挺してテオ達を守りながら、進む道を示してくれた。
彼の指示通りに進んだ森の奥深い場所まで辿り着くと、途端に森の静寂が辺りを包んだ。
荒くなった息を整えながら、サクラを地面に下ろして容態を確認する。
振動を与え続けたせいで悪化しているのは確実だが、それでも、サクラはテオの姿を視認すると笑顔を浮かべた。
その笑顔に少しばかり安堵すると、途端に視界がぐらりと揺れて、テオはその場に手をついた。
刺さった矢の痛みが、じくじくと熱を帯びていくのが分かる。
テオの様子に気が付いたイグナーツが「大丈夫か」と問いかけてきたが、「大丈夫だ」と軽く手を振り、深く息を吐く。
……正直、町の警備がこの森まで捜索に来る可能性は低いと思っていた。
テオは呼吸を整えながら考える。
サクラは花人とはいえ失敗作と呼ばれ処分を間近に控えていたし、僕が所長の手を切り落としすという罪を犯したとしても、町の外まで追いかけてくる可能性は低かったはずだ。
それに、この森には魔獣が出る。
安易に捜索の手を伸ばすのは二次災害を起こしかねない。
それなのに、追手は確実に迫っている。
サクラは、特別な何かだったのだろうか。
そこまで考えて、テオは頭を振った。
それよりも、ここからどう進む?
最善は何だ?
この先の村に進んでも、見つかるのは時間の問題だろう。
くそ、くそ、くそ……。
どうしたら、安全な場所に行ける……?!
ぐるぐると思考が渦を巻く中、ふっと風が体を掠めた。
「北か、西に進んでみればいい」
声が、上から聞こえた。
テオがはっと顔を上げれば、そこに人がいた。
金にも銀にも見える瞳。
白い髪の人。
祭りの夜、テオにサクラの居場所を教えたあの人が、目の前にいた。
「……あの時の……」
そう口にした瞬間、イグナーツが彼に切りかかった。
音もなく現れた人間に瞬間的な防衛本能が働いたのだろう。
容赦なく振り下ろされた剣に、彼はそっと触れた。
途端、剣の動きが止まる。
弾かれたわけでも、耐えられたわけでもない。
ただ、止まった。
「な、なんだ……?!」
狼狽えた声を上げたイグナーツは剣から手を離すと、大きく後ろへと飛び退いた。
かしゃんと軽い音を立てて落ちた剣は、彼のどこをも傷つけてはいない。
見た目では分からない力の差に、イグナーツは闘争心をむき出しにしたまま彼を睨みつけた。
「そう睨むな。君の敵ではないよ」
彼は朗らかにそう告げたが、イグナーツは構えを崩さない。
微笑みを称えて肩をすくめた彼は、そっとテオに視線を移した。
金にも銀にも見える瞳は穏やかな笑みを浮かべていた。
森の中だというのに、まるで神殿にでもいるかの様な純白の服は、汚れ一つない。
やはり彼は、人ならざる者なのだろう。
「さて。選ぶのは、君だ。
北か、西か。
勿論、他の場所へ進んでも良い。
ただ、これは私から君への贈り物だ。好きに使うと良い」
あの日と同じように、彼は確かな明言はしない。
選択肢を与えるだけ。
彼が何者かをテオは知らない。
知りようもない。
でも、テオには分かった。
「……北へ、進みます」
「おい!そんな得体のしれない奴の言葉を信じるのか?!」
イグナーツの叫びに、テオはふっと笑みを浮かべた。
「うん。だって……これは啓示だから」
確信した。
白い髪の彼は、妖精でも魔女でもない。
「あなたは、神様、ですよね」
創造主。
この世界を創りし者。
選択を生き物に命じた、万物の化身。
「……嗚呼。そう呼ばれているね」
途端、その額に、枝の様な角が一本生えた。
途端に背筋に走った畏怖の念に、テオは深く頭を下げる。
神は軽い笑い声を響かせると、言葉を続けた。
「選択は君の自由だ。好きなように」
次に顔を上げた時、神はもう、そこにはいなかった。
選択肢だけを残して。
「大丈夫か?」
未だ呆然としているイグナーツにテオは声をかけた。
テオの声に反応して、ぎぎぎと音が鳴りそうな首の動きでテオに向き直ったイグナーツの顔色はかなり悪い。
「……あ、あれが、神?」
一つ頷けば、イグナーツは頭を抱えて、空を仰いだ。
「俺、切りつけちまった……」
「怒ってなさそうだったし、大丈夫じゃないか?」
「ほんとかぁ~?!」
未だ動揺を隠せない様子のイグナーツに苦笑を向けて、テオはサクラへ視線を移す。
「サクラ」
声もなく、瞬きだけで返事をしたサクラの様子に、胸が痛くなる。
口をきゅっと結び、そっとサクラを背負う。
まだ、暖かい。
大丈夫。
まだ、大丈夫。
心に言い聞かせながら、テオは「行くぞ」とイグナーツに声をかけると、しっかりとした足取りで北へと歩き出した。
……何故か、体が軽くなった気がした。