Paragraph 2/さらば麗しき英国/Her Majesty
「――ん・・・・・・」
肌触りのいい質感に包まれた子供が目を覚ました。彼の直近の記憶では、山奥の地下室にいた。光もなく、痛みだけがあるひんやりとした空間で、終わりのないような時間を過ごしていた。
それが目を覚ませば、見たこともないような豪勢な天蓋付きのベッドの上にいた。全身を包む程のクッションに囲まれ、快適さを極限まで追求したようなシーツ。その横で、開けたガウンを着た女が豪快な寝息を立てている。
「目が覚めたか」
子供が異様な空間に惚けていると、深い色の法衣を着たジューダスが寝室に入ってきた。
「ああ、すまない。寝起きに嫌なものを見せたな」
ジューダスは寝相の悪い夏喜をシーツに沈め、一足先に目覚めた子供と視線を合わせた。
「オレの名前はジューダスという。こいつはナツキ。事情は、・・・・・・何もわからない様子だな」
子供は静かに首を縦に振る。言葉は通じているようで、ホムンクルスとはいえ一定の知性は持ち合わせているのが伺えた。
「どこから始めたものか。名前はあるか?」
「ナ・・・・・・ナマ、エ?」
「お前のことをなんて呼べばいい。何あるのなら、それに従おう。ないならナツキに決めてもらう」
「ナ、マエ・・・・・・ナマエ。名前・・・・・・」
未だ混乱が残っている様子が見られ、子供は記憶を反芻するように目を閉じる。
「名前、ゼロ。ゼロって、言われた」
「ゼロ? この名前に嫌な思い出はあるか?」
「よく、わからない。けど、なんか、すごくココが痛い」
自分の胸を握るようにした子供を見て、ジューダスは優しく頭に手を置く。
「わかった。すまなかった。名前はおいおいナツキに決めてもらおう。腹減ってないか。少しだが用意してある」
ジューダスの手に引かれて子供がベッドから降り、寝室を後にする。その間も、シーツに沈められた夏喜はフガッと謎の声を鳴いて深い眠りについていた。
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「おはよう。・・・・・・頭痛い」
子供が目を覚ませて2時間も過ぎた頃にようやく目を覚ました夏喜が寝室から顔を出した。昨日飲んだビールで軽い二日酔いになっており、顔色はあまり良くない。
「きちんと服を着ろ、ナツキ。子供が見ている」
「あ、ごめん。ゴメンね。・・・・・・顔洗ってくる」
ゾンビのような足取りで、子供の顔も見ることなく洗面室に歩いていく。不思議そうな眼で夏喜を見る子供に、ジューダスが深いため息をついた。
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「見苦しいところ見せてゴメンね。わたしは夏喜。今日から君の母親になる女よ」
酔いを覚ますために冷水で頭を冷やし、洗面室から出てきた夏喜はすでに着替えを済ませて、一人の大人の女性として姿を現した。すでに手遅れかもしれない威厳を取り戻そうとしている様子が伺える。
「事情は粗方オレから話した。怪訝そうにしている? それはひとえにお前のせいだろう」
「すいませんでした」
頭を垂れる夏喜であった。
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「一体全体どういうつもりだ、クラヤマ。夜中にいきなり第五魔法協会から飛行機を手配しろと連絡が来たぞ。オレに対する嫌がらせかなんかか!? こっちは朝一から待ってるのに何時だと思ってるんだ!」
昼過ぎにロンドン・ヒースロー空港に到着した夏喜一行を迎えたのは、明らかに待ち疲れて、全身をタバコのニオイでコーティングされたヒース=ベールだった。すでに二箱分のタバコを吸い潰しており、待たされたストレスで身体がニコチンを欲している。
「何で君がいるのよ」
「こっちが聞きたいわ! 伯爵も苦笑いだ! 回りくどくて面倒くさい女だなお前は!」
「ねぇねぇ、このオジサン臭い」
「昨日はちゃんとシャワーしたわ! たっく・・・・・・。時間が惜しい。これがチケットと、ホムンクルスのパスポートだ」
「あ、ご苦労さま。仕事は早いのね」
「おかげでこっちは一睡もしてないんだぞ。オレは帰る。あとは知らん」
ヒースは終始不機嫌のまま、タバコのニオイを引き連れて去っていく。シャワーを済ませたと言っていても服装は変わっていないため、夏喜からしたら一緒だと言わんばかりの顔をしていた。
程なくして、夏喜たちを載せた飛行機はイギリスの空を離れていく。珍しく、青い空が広がるロンドンを見下ろしながら、懐かしき故郷へと向かっていった。
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