猫は身軽と言われるけれど、落ちたら普通に骨折する事がある
紗夜は混乱していた。
(いや、え? ここはどこ? 私、事故に巻き込まれたんじゃ……?)
そう。
紗夜は事故に巻き込まれた。しかし目を開けばそこは巨大な大樹の茂る森の中。
それだけなら混乱してもここ迄紗夜が慌てふためく事もなかっただろう。
だが今、紗夜の目の前にはその大樹すら見下ろす巨人が立ちはだかっていた。
豊かなプラチナゴールドの髪を持つ、ターコイズブルーのドレスを纏った、どこぞの西洋の女神のようだ。
だが紗夜にとっては見惚れてる場合ではない。あまりの恐怖に後退ると巨人はしゃがみ込み、紗夜が余裕で乗れそうな程に大きな掌をこちらに伸ばしてきた。
そして轟く声で紗夜に言う。
「怖くないでしゅよー」
(いや、怖ぇよ)
紗夜は更に後退り、大樹の裏側の根元に身を隠して息を殺す。
何でこんな所に自分が居るのかは分からないけど、兎に角あの手に捕まったら間違いなく紗夜にとって、きっと良くないことが起きる。
紗夜が懸命に身を小さくしていると、別の巨人の声が響いた。
「セルフィお嬢様。そんなところにしゃがみ込んではドレスが汚れてしまいます。何をなさってらっしゃるのですか……」
そう言ったのは黒髪をぴっちりと編み上げ、吊り目が特徴的なメイド服の巨人。
メイド服の巨人もまた紗夜に気付き、あからさまに顔をしかめた。
「猫? なぜこんな所に汚らしい猫なんか……」
「汚らしいなんて言わないで、クロエ」
紗夜はクロエと呼ばれたメイド巨人の言葉に、ふと妙な違和感を感じ取り、はっと自分の手を見る。
(……猫? 今あの巨人、私を見て猫って言った? ……え、うそ? なんで私の手が毛むくじゃらになって肉球がついてるの!!? それにもう一人の巨人をセルフィナイトって呼ばなかった? ど、どうなってるの!!?)
紗夜はその違和感の正体を確かめるため、木陰からそっと顔を出し、セルフィーの姿を仰ぎ見た。
と、その瞬間だった。
「捕まえましたわっ!」
遠くにあった筈の大きな手が、その巨体からは考えられない程の速度で動き、狙い違わず紗夜の身体を絡めとったのだ。
そのまま身体を一気に遥か上空に掬い上げられた紗夜は、恐怖と絶望に思わず悲鳴を上げる。
「ニー! (きゃあぁぁあぁ!!?)」
だけど口をついて出た悲鳴は、紗夜の想定とは違う音程。
そしてセルフィーは歓喜した
「キャワっ! いえ、なんてかわいいお声なんでしょう」
「ニーッ、ニー、ニーッ、ニーッ、ニー(は、離して! 降ろして! たっ、高い! 怖いぃっっ!!)」
セルフィーは紗夜を胸に抱いて立ち上がっただけなのだが、紗夜的には一気に自分の身長の15倍もの高さに、安全ベルトも無しに抱え上げられた状態だ。
自身の身長の15倍……つまり体感的には地上24メートル、ビル6階ほどの高さである。これには流石の男勝りな度胸を持つ紗夜とて堪らず、パニックになって喚きまくってしまった。
だがそんな紗夜の叫びにセルフィーはマイペースにニコニコと笑うだけ。
「あらあら、お腹が減っているのかしら? 母お猫様はどちらに?」
「ニッ、ニーッ、ニー(私のお母さんは猫じゃない! 私も猫じゃないの! 降ろしてえぇ!!)」
だがそんな紗夜の叫びは当然届かず、セルフィーとクロエは勝手に話を進め始める。
「は!? まさか捨てお猫様!!?」
「ありえますね。お嬢様は慈善事業に力を入れておりますから、勘違いした輩が屋敷の庭に投げ込んだのやも知れませんね。まったく……」
「まぁなんて酷い事を……可哀想。寂しかったでしょう?」
「ニー(だから違うって)」
「まぁ! クロエ聞いた? 『寂しかったでしゅ』ってお返事したわ。私達の話を分かってるんじゃないかしら!? 賢いわこの子!!」
……言ってない。
確かに紗夜はセルフィー達の言葉を理解しているが、セルフィー達は紗夜の言葉を欠片も理解していない。
しかし紗夜を抱く巨人は何かを決意したように頷くと、また紗夜を見た。
「そうよ。ここで出会ったのもきっと素敵なご縁よ。理由はどうあれ、せっかく我が家に来て下さったのならおもてなしをしなくては! おなかちゅいてましゅかー?」
身を固く強張らせる紗夜の背を撫でるセルフィーに、クロエが難色を示す。
「しかしお嬢様。お嬢様は生まれてこの方動物に嫌われる体質である事をお忘れですか? その猫さんだって離して欲しそうにしてますよ。おもてなしより、あるべきところに連れて行ってあげたほうがよろしいかと」
クロエが言った様に、セルフィーは生まれながら動物に嫌われる体質の持ち主であり、未だ貴族の嗜みである乗馬ができないという事は、実はこの界隈では少し有名な話だった。
さっさと猫など屋敷から追い出してしまいたいクロエは、セルフィーにその事実を突きつけながら両手を広げて紗夜を受け取ろうと待ち構える。
だがセルフィーは離さなかった。
きゅっと紗夜を抱いたまま、庇うようにクロエに背を向けると、口を尖らせ抗議する。
「だけど私はお猫様が好きよ? どんなに嫌われたって大好きよ。それにほら、この子は私の腕の中で大人しくしてくれてるし、この子はもしかして私の事を好きになってくれたんじゃないかしら?」
クロエはじっとセルフィーの腕の中の紗夜を観察して、ボソリと言った。
「ものすごく震えてますね」
紗夜はどう見てもガクガクブルブルと震えている。
「……。……そうね、わかったわ」
セルフィーはぶるぶると震える紗夜を認め、肩を落として頷いた。
そして次の瞬間、セルフィーは紗夜を抱えたまま猛ダッシュで駆け出す。
「あっ、お嬢様!」
引き止めようとクロエも慌てて駆け出すが、運動神経の良いセルフィーは、ピンヒールにも関わらず安定した走りを見せ、余裕すら見せながらクロエを振り切った。
「こんなに震えてきっと寒いのね! 早くお屋敷に帰って毛布の準備をさせて頂かなくては!!」
「今っ、夏っっ!! それにお嬢様!! これからストーン商会の総会がっ……」
「急用が入ったから、今日はいけませんとお伝えしておいてくださいなーっ、うふふふー♪」
「そんなぁっっ、お嬢様あぁー!」
さんさんと降り注ぐ陽光が庭園を輝かせる、ある夏の日の爽やかな朝。
クオーツ侯爵邸には、クロエの悲痛な叫びが木霊していた。
(ΦωΦ)★せるせるのお猫様日記★(ΦωΦ)
○年7月23日(晴れ)
今朝出掛けようとした時、庭先で生後3週間ほどの真っ黒な子猫を見つけました。
ふわっふわな毛を更にフワッフワに逆立てながら、細い手足でよちよちと歩く姿に、命の尊さを感じました。
小さな体を懸命に震わせてニーニーと鳴く姿が、既存する言葉では言い表せない程可愛くて、いえ、可愛すぎて! 思わず今日の予定キャンセルしてお持ち帰りしてしまいました。て、天使過ぎる……。(理性崩壊)
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