魔界事変03 『ウィレムとジーナ』
ウィレムは屋敷を出ると、小高い丘の上に聳え立つ魔王の城を見上げた。
大半が金属なのにも関わらず、その造形にはある種の生々しさすら感じさせるほど有機的で、特に城の最も高い位置にある塔は、まるで何かの生き物の頭部のようである。なるほどあの城は元々は金属の体を持つ巨人であったなどという噂があるわけである。
魔界・・・広大で空虚、不毛で魑魅魍魎の跋扈する闇の世界の中で、少年たちの先祖がたどり着いた地はそう呼ばれている。ここには人間界で人間らしく生きられないような人間、例えば奴隷や背教者、異教徒として迫害されてきた者たちが次々とここに逃亡してくるのだ。
なぜこのような過酷な世界で生きることを望むのか?
答えは単純明快だ。ここの独特の「気」は天使と呼ばれる連中に対しては毒のようなもので、天使たちもここまで入ってくることは困難だからだ。とにかく、この世界に住む人間の数だけ種族が、民族が、文化が、そして背景が存在すると言っても過言ではない。
そんないわば闇鍋状態のような地域がどうして一つの国としてまとまることが出来たか?
それは魔王の存在にある。魔王はこの国で誰よりも偉大だ。それは単純な強さにおいてだけではない。人徳や知力、精神性においてもこの国で魔王に右に出る者はいないのである。厳密にはそうで無ければ魔王にはなれないのだ。そうでなければこの国はたちまち瓦解するだろう。しかし、この1000年もの間、むしろさらに強固なつながりとなってきているように思われる。
魔王ははや第40代。そんな歴史ある国で、重要な式典に出席できることを、ウィレムは何よりも幸運で名誉あることと思っていた。
ひんやりとした空気が、首都パンデモニウムの周囲を囲む海から潮の香りを運んでくる。空を見上げれば青く輝く巨大な星が町を照らしている。
昨日とも一昨日とも変わらない。何事もなく今日の日は終わるはずだ。
だからあの夢のことは忘れよう。
ウィレムは自分を宥めるように独り言を囁いた。
外に出てぼんやりとくだらないことを考えていたせいで10分近く突っ立っていたらしい。
「さぁて、行くか」
屋敷は城の近くにあり、城のすぐ側に着くのに10分ほどしかかからなかった。
城門の前は広場になっていて、普段は行商人や芸人がちらほらといるが、今日は特別な日だからか、広場には人影一つ見えない。まさに厳戒態勢というやつだ。これで何かトラブルが起きたらこの国の警備はおしまいだ。
大丈夫だ。さっさとやることを終わらせて、帰って寝よう。今日はあまり外に出ていたくない気がする。
広場に入って数歩進んだ先で、突然後ろから肩を叩かれた。
『やぁ!』
驚いて振り返った先に立っていたのはジーナだった。
俺は少し笑いながら、お前が遅れないってのは珍しい、この時間は寝てるか何か食ってるかのどっちかじゃなかったか、といえば、屈託なく笑い大事な日だから!と返してくる。
ジーナは大半が大人しく静かだと言われる「死神族」と呼ばれる種族の娘だったが、こいつのようなタイプは今まで見てきた中で他には無く、明るく活発な娘だった。
太く短い眉毛に大きな瞳、長いまつげはこの種族固有のもので、この娘も容姿もまた俺と同じように種族としての血をありありと感じさせた。
眉毛辺りまでの長さの前髪、首を覆うほどの長さの後ろ髪に伸ばした顔のサイドの金色の髪飾りで縛った独特な髪をしている。髪飾りと桔梗色の髪、そして紫水晶のような透き通った瞳が月に照らされ、怪しく淡く光っているようだ。そのなんとも言えない微妙な美しさに俺はしばしの間見とれてしまった。
そんなことは知るか知らぬか、ジーナはさっさと入ろうと、城の勝手口を指差して促した。
俺は頷いて城門へ歩いていくと、
突然扉が開き、人影が二人の間を通り抜けた。二人は呆気にとられたが直ぐにどういう事態か、小太りの女がヒステリックに皇子の名を叫んでいるのを見て、影の主が誰かを察した。
俺とジーナは苦笑しあって、皇子が走っていった街へと駆け出した。
【死神】
魔界に住む種族の中でも最も古くから居住していたいわば先住民。
他の種族との共存を選び、都市に居住する「都市型」、旧来の伝統を維持し移動生活を続ける「遊牧型」の2つのタイプが存在し、ジーナは「都市型」の部族長の娘。