魔界事変16 『魔界事変7』
ーどうだ?「雫」には使えそうか?ー
ーいいえ、こいつの魂は負の感情の塊のような物で「雫」には使えないでしょう。ー
なんだ・・・・?なんだこいつらは・・・・?
ウィレムはようやく意識を取り戻した。しかし全身を縛られているのか、体を動かすことは出来ない。しかも何故か着ていた服を全て脱がされて素っ裸の状態で、壁か何かに貼り付けにされているようだ。
周りにいる人間の把握を試みる。色黒の大男に、人間とは思えない冷たい目をした女、そしてウィレムを何か不安げに横目で見つめてくる小柄の爬虫類のような者がいた。
少年は痛めつけられていた自分の体に意識を向けた。
黒い兵士に痛めつけられた部分がひどく痛むが、なぜか最低限の処置がされているようで、腹の切り傷には雑な縫い糸が見える。はっきりしない視覚で周囲を見回してみる。カビ臭い暗い石造りの部屋に、物々しい器具の数々・・・何を行っているかはもはや考えたくもなかった。
・・・・・・
ーおい、目を覚ましたぞー
ーよぉ坊っちゃん。お目覚めかぁ?ー
この場にいる連中は俺が目を覚ましたのに気づいたらしい。
視界を覆ったのは、禿げ上がった筋骨隆々の裸の大男だった。薄暗いからか顔立ちがはっきりわからないが、真っ白な歯をのぞかせて笑いかけてきた。
全身を舐め回すように見つめてくるそれに対してただ恐怖感と嫌悪感しか湧かない。目をそらすと男は突然血相を変えて俺の顎を思い切り殴ってきた。脳が激しく揺さぶられ、視界に光がちらつく。 今の衝撃で舌を噛んでしまったらしい。口の中に生暖かいものが溢れてくる。咳き込み血を吐き出しながら男の方を睨みつける。
しかし、男の後ろにいた人影が暗闇に消えていくのを見た瞬間、殴られたことへの怒りが消え失せてしまった。
人影は、フリードリヒそのものだった。
ーちょっとよぉ、聞きたいことがあるんだよなー
また男が不気味な真っ白な歯をのぞかせながらこちらに笑いかけてくる。
ー皇子はどっちへ飛んでいった?ー
ーお前達が大砲を使ったのは分かっている。しかし大砲が何故か真後ろ、つまり内側に向いていた上に原型が無くなるまでに破損していて、どの方向へ飛んだのかは不明だー
女が抑揚のない口調で続ける。どうやらジーナのやつが発射された時に大砲に何か細工していたらしい。
あの短時間でよくやったな、あいつは。
…確かあいつらが飛んでいったのは…西か。
「…言えば開放してくれるのか?」
ーおう、考えてやるよー
男は相変わらず気持ち悪い笑顔を見せつけてくる。
「・・・わかった。あいつらがどこに行ったか教える。」
俺は答える。
それを聞いた瞬間、男は突然笑い出し、俺を忠誠心も何も無い裏切り者、腰抜けだと散々罵ってくる。
ーだぁはははははは!!!こいつは傑作だァ!まさか自分の仲間を裏切るなんてなぁ!!お前は自分のその!兄貴に勝るところを何一つ持たないお前自身に!そんな価値があるとでも思ってんのかよ!?ッハッハッハァ・・・ あぁ~おもしれぇ~ー
「・・・その代わり、冥土の土産に聞きたいことがある。」
俺は耐えられないほどの侮辱に舌を噛み切りそうになりながらも冷静を装って質問を飛ばす。
ーなんでも答えてやるよ腰抜けェ!ッハッハッハァ・・・ヒィヒィ・・・ー
「俺の兄・・・フリードリヒ=ヴァレフォルは・・・お前らの味方になったのか?」
俺は聞いた。最も聞きたくない事を。そして同時に皇子を守る者として聞かなければ、知らなければならないことを。
俺は信じたかった。何かの間違いだということを。あれは兄の姿をした偽物だったということを。魔王軍にまで上り詰めた兄に、最も尊敬していた兄に限って、まさか国を裏切るはずは無いだろうと。
しかし返ってきたのは、最も聞きたくない答えだった。
男はキョトンとして答えた。
ーんん?あぁ。フリードリヒの奴は俺がオールス様に拾われる前からオールス様の忠実な部下だなァー
ウソだろ・・・? 俺は思いを心のなかに留めておけずに漏らした。
兄貴が・・・信じられない。信じたくない。 だって兄貴はずっと俺の・・・ どうしてあのクソジジィの・・・
俺がクソジジィと言った瞬間、それまで黙っていた女が突然虚ろな目に狂気の光を宿し俺の腹の傷に何かの液体をかけてきた。
その液体に触れた部分が凄まじい熱気を帯びて熱せられた石炭のように黒ずんでいく。
液体は皮膚だけでなく、傷口の下の内臓も侵してくる。 黒い兵士に痛めつけられた時とは桁違いの苦しみだった。
ーオールス様を侮辱することは許さない。ー
女はほんの数秒前の形相から、まるで何事もなかったかのように、機械のように冷たい無表情に戻っている。
ーでは、そろそろあいつらがどの方角へ飛んでいったか教えて頂きましょうか。ー
女はまた抑揚のない口調で俺に聞いてきた。
「・・・・南南西だ。」
俺は答えた。
女は冷静に何かの魔法を使って・・・おそらく宰相に伝えているのだろう。後ろを向いて話しだした。
・・・魔界帝国の都、パンデモニウムから南南西の地は独特な地形になっている。長い時間侵食を受けてアリの巣のように複雑に入り組んだ構造になった天然の迷宮、『モーグィ洞穴』と葉の無い灰色の木が密集した北北東にまで跨った大樹海、『カレキの森』がある辺境地帯だ。もしこの方角に捜索を送るなら2人が逃げられる時間もそれなりに稼げるはずだ。
ーなぁるほどな? あっこに逃げたのかァ。ー
あっこは厄介だなぁ、面倒だなぁ、と男は一本取られたという風に頭の後ろをかきむしった。
痛みに耐えながら、俺は最後の質問だ、と念押しした上で2つ目の質問を飛ばした。
「クソジ・・・オールス宰相の言う『共愛』とは・・・一体なんだ・・・」
男が答える。
ーいい質問だぁ!共愛・・つまり共に愛し合うってことだ! ほら、この国は貴族と平民の格差が激しいだろ?貴族たちは自分たちの私腹を肥やすだろ?平民はその日暮らしにも苦しんでるってのに。 それじゃ平民がかわいそうだ、平等にするべきだって、オールス様が言い出されたのが始まりだぁ。だからその貴族のリーダーたる魔王を排して平民達が政治をするべき、ってのが『共愛政』だー
・・・何が『平等』だ・・・
ーああん?ー
「何が平等だ!だからと言って君主を殺していいと思ってやがるのか!そもそもこの国が一ま・・・
俺の言葉は遮られた。男が俺の顔を金属の棒で殴りつけてきたのだ。衝撃で奥歯が数本飛んでいったのか、硬いものが床に打ち付けられて転がる音が打たれていない側の耳にだけ入ってくる。
ーてめぇ・・・オールス様の言葉を否定するのか?ー
男のさっきまでの笑みは消え、その表情は怒りと憎しみ、敵意に支配されている。
俺は何度も殴られ蹴られた。
俺の反応が無くなってきたのに苛立ったのか、男は先程から一言も話していない爬虫類風の小人にアレを持ってこい、アレを持ってこい、と激しくまくし立てている。小人はあれは絶対に駄目だ、人間に、ましてや子供に使っていい代物じゃない、と必至に反論するが胴体を男の丸太のように太い脚で蹴り上げられると、数十センチは宙を舞い上がって床に叩きつけられ、ギャン、と悲痛な声を上げた。
男は爬虫類の首元を掴みながら、かわいい娘さんたちがどうなってもいいのか?俺はお前さんの娘くらいのちっちゃい子と「遊ぶ」のが大好きなんだなぁ、お前さんの孫は俺の子になるのかなァ、と脅すと、顔を真っ青にしながら部屋を出ていった。
男は女に向かってこいつと俺は二人っきりで「遊ぶ」から出ていけ、と言うと、女はため息だけついて黙って部屋を後にした。
こいつのいう「遊び」とはなんだろうか・・・?
あの爬虫類の反応を見るにおおよそまともなものではないだろう。
男は未だに激情冷めやらぬといった体で肩で息をしながらこちらに向かって目を見開き不気味に笑っている。




