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夢に見た景色を追う者

作者: NanOoo_87






昔から、やめられない癖がある。




逆予知夢とでも言うべきか、デジャビュを意識的に実現しようとしてしまう癖だ。

偶然そうなるのではなく、あそこに行けば、これをすれば、夢に見た内容のようなことになるだろうと意識して行動する。

夢で見た映像に、夢の中の体験に、現実の自分を従えてしまう癖。


今にして思えば、それが危険なことだったのではないかとわかる。

知らず知らずのうちに誘い込まれることを、自ら楽しんでしまっていた。



夢で見たことを叶えようとする。

それがよくないことだとは思わなかった。

夢にまで見た、とはよく言ったものだ。

きっと夢に見るということは自分がそれだけ意識して、望んでいるからなんだろうと思っていた。そして、記憶の整理なのだから、どれも自分の体験や身近な想像から来ていて、どんな悪夢でも恐れる物ではないのだろうと。




ある日、とてもおいしそうなお菓子を沢山買う夢を見た。


それは自分の記憶にあるショッピングモールと遊園地が混ざったような場所でのこと。色とりどりの包み紙、ふわふわとした綿あめにりんご飴、グミやチョコレートの量り売り。

ポケットに沢山詰め込んだり、片手に持ちながらご機嫌に食べ歩いたとき、たしかに『味がした』。口の中で溶けていく甘味や歯ごたえ。


しあわせな気分の中で、そこでふと気づいた。


──これは夢だ。

今まで夢の中でなにか食べて、

味がしたことなんてあっただろうか。



そして目が覚めた。

幸福な甘味の余韻はまだ残っている。

ああ、いい夢をみた。もう食べられないよだなんて、アニメのなかのキャラクターが言いそうな夢だ。なんだか無性に甘いものが食べたいなあ。


そう思った。


きっと、これくらいのことなら誰にでもあることだ。だから、その最初の一段階に気づけなかった。


それがきっかけだったのか、それとも以前からそうで忘れていただけだったのか。それから夢の中での食事はすべて味覚と触覚を伴い、満足感を得られるものとなった。


そして目が覚めると、必ずそれを現実でも食べたくなる。



「ああ、ちょっと待って。あそこのお店寄ってもいいかな?

今日はあれ食べてる夢見たんだけどさあ、もう一日中あれ食べたかったんだよねえ」


「いいよー?こんなところにあんな店あったんだね、初めて入るわ。美味しそうじゃん。何買おうかな?」



友人と街を歩いている間も、私は自ら足を向けた。

その日の予定も行動も、それをありきで中心に据えていたし、別に幻の食材の夢をみることはそうそうなかったのでどこに向かえば自分の夢の中、記憶の中から再現された場所で食べたものが手に入るかわかっていた。

なにかはよくわからないものを食べた日も、スープならばスープを飲みに行き、肉ならば肉を食べに行った。そして季節柄売っていないようなものは自分で作った。


再現したものを、夢の状況に近づけて食べた。


私のこの行動はとくに不自然に思われることなく周りの身近な人間にも受け入れられる。誰にも気づかれることはない。最後までなかった。

こうやって日常のなかで夢に従っていくハードルが下がっていったことを、後から思い返して知ることが出来たのは、導かれた先に辿り着いた後の事だ。





当然、いつも夢でなにかを食べているわけでもなかった。

食べるというのは『行動の再現』だ。

一番多かったのは、『場所』へ行きたくなるということ。


別に逃げている夢を見たら逃げたくなるというようなことはない。しかし、逃げているあいだに見た道順を覚えていて、

ああここだ、ここが元か、こういうのが夢に出て来た材料だなと。

断片的な記憶の総合イメージのはずの景色を現実に探す。そして似たものを見て納得する。ここが私の頭の中に出来た世界の元だろうと。


聖地巡礼のような気分でそれを行った。

悪夢のときですらも。



夢で見た場所、景色、道、建物。


それは、現実に実在するわけがない。



しかし具体的に想像できた場合や、連想して近い場所に行くことはできる。

そうして欲求を満たしているうちに、なぜか行ったことのない場所や道順でもああここを曲がればあれがあると、そんな確信めいた直感で夢に見た場所を偶然ではなく自分から見つけに行くようになった。



三度同じ夢を見て、未知なる都を求めて旅に出た彼の気持ちがよく分かる。



だが、夢を通じて語り掛けてくる者もいる。誘い掛けてくるものも。

頭の中に描けたからと言って、それが本当に自分のものかはわからないのだと、その存在を知らなかった。妄想を実現する気持ちよさに酔って、判断能力を徐々に失くして行っていたのかもしれない。








あるとき、私は川の流れの中にいた。


そして這い上がろうとしたとき、力強く手を引いて助けてくれた者がいた。

それに感謝する前に私が感じたのは、今までにない本物の感触。

がっしりとした男性に手を本気でぎゅっと握られ、全体重を思いっきりそこから引っ張り上げられる時の圧力と痛み。

夢の中でその川の水の冷たささえ感じていなかった自分はその手を握られた痛みに驚いて目を覚ました。怖くはなかった。見知った登場人物だった。シチュエーションも別に普通だ。よしそれでは今日は河原に行こうだなんて流されかけて引っ張り上げられた以上思うわけがなかったが、それ以来、私の夢には『痛覚』が追加された。


夢の中で人とぶつかったり、転んだり、怪我をすると普通に痛い。それまではそんなことはなかったと思う。ああもしかしてこれは明晰夢というやつか?面白いな。

そんな感覚しかなかった。


そう、私は危険に対しても非日常に対しても恐怖をあまり抱けない人間だった。


当然水難の夢の後に水場に遊びに行くようなことはなかったが、普通に気持ちよく泳いでいる夢を見た後は温泉やプールに行った。怪我をする夢を見た時はまあそういうのは縁起がいいともいうからなと恐れなかった。モンスターが出てきたらあああれの元キャラがあのゲームと映画からのものか?と、似たものを探し出してコンテンツを消費する。そして、そのワンシーンの中にほぼ必ずと言っていいほど見つけて来た。

「ああ、こいつだ。夢に出て来たのは。」

「このモンスター、私の悪夢に出て来たのと似ているな、やはりこういうのをどこかで見聞きしたせいだったんだ。」


正体見たり、といった心地だ。それが聖地巡礼と同じくらいの楽しさだった。


夢を予知夢にするように、

逆算して辿っていく癖。


メカニズムさえわかってしまえばこちらのものだという心地と、それ以上に、脳裏に描かれた映像そのものが、あまりにも的確に現実に現れたときのぞっとするような『正解』を見つけた感覚。

パズルのピースがはまる時のような脳が気持ち良さを覚える感覚。



『正解だ』



頭に響くのはその声。自分自身の感想だと思い込んでいたその声。


──こうあるのが正しい、これが正解だ、こうするために夢に見た、あの夢はこういう意味だ。その意味をきちんと理解できて実現できること、それこそが『正解』。


これを見た。これをした。

これを知っていた。

既視感を能動的に再現しに行く。

体験を消化して消費する。


どれだけ驚くほど夢に見たような現実が目の前に現れようと、それは自分がわざわざ再現しようとしてそこに向かったのだから、行動した結果なのだから驚くことはない。

説明がつかないことなどない。

普通の事だ。わざとなのだから。


そうして完全に麻痺していった。




ありえないんだ。




睡眠の最中脳内で感じた景色がそのまま実現するなんてことは。

それをどうすれば実現できるか、あらかじめ知っているなんてことは。


常識的に考えてありえないことだと気づけても良かった。こうなる前に。







10代の終わり頃見たある夢が、その先の一生に響くほどに私をどうしようもない渇望へと駆り立てることになる。




ある日の夢でわたしはおもちゃ屋さんにいた。それはモールのフロアの一角。


そしてだれかがこう言った、


「見ておいで、なんでも好きなものをひとつ買ってあげよう。」


私は喜んで見て回ろうとした。そこにはいろいろなパズルや、ブロックや、ミニチュアやオモチャが沢山ある。箱に詰まっているのは夢のような幻想的なおもちゃばかりではなく、リアルな最先端のゲームやパッケージも見えていたと思う。


しかし一角に入ってすぐ、私は呼び止められた。


「これはいかがですか?とてもきれいでしょう。みていってください。どうぞどうぞ。」


そう私を呼び止めた店員の姿は怪しい老人の道化のようだった気がする。今となってはもう思い出せないが、派手なハットやビロードのスーツを身に着けていた気もするし、ただ普通の格好をしていたような気もする。とにかく、私は彼に嫌悪感と迷惑なきもちを抱いた。私はショッピングの最中に店員に声をかけられるのがきらいだった。そして、なによりも見知らぬ年寄りに気安く話しかけられるのも嫌いだ。せっかくなにかひとつ選べるのに。早くもっと見て回りたいのに。適当な返事をしてさっさと店のレーンを回ろうとする私を、その人物はなおも引き留める。


「こういうのがお好みでしょう。見てください。すばらしい調度品だ。」


彼が胸の高さに持っていたのは木箱のような枠。

そして、その中には本当に素晴らしく細かいドールハウスの部屋があった。


たしかに悪くはないなとは思った。それもいいかもしれない、でも私はおもちゃ屋さんにきたんだ。おもちゃ屋さんに来る目的は、おもちゃを買うことじゃない。ここを巡って、選んで、見て回ることが楽しいんだ。おもちゃ屋さんはこどもの遊び場だ。邪魔しないでほしい。私は彼に断った。


「それもきれいだけどまだ全部見てから選びたいから。」


私が棚から棚に進もうとするあいだ、彼は着かず離れずついてくる。

なにも言わないけれど、こちらのほうがいいのに、これでいいでしょうと強く進めてくるようで、私は苛立った。


そして、いらないと言っているのにと怒ろうとしたとき、目が覚めてしまったんだ。


目が、覚めてしまった。

まだおもちゃ屋さんを見れていないのに。

結局ひとつ、選べなかった。

ああ悔しい。邪魔された。

なんでもひとつ買ってもらえたのに。

そう思ってあーあと反芻した。


『夢で見た内容の記憶を反芻した』んだ。


いつもの癖で。

それぞれ要素は、場所は、感情は、自分の行動はどんな記憶から来ていたか。


今夢で見た内容を忘れないうちに、悔しいから今日は自分で何か買うかと、そんな気持ちになっていた時に、彼が手に持っていたドールハウスを思い出そうとしてしまった。


──よくよく思い返せば、自分はまともにとりあわなかったけれど、あれは本当に綺麗だった。見たこともないほど精巧なものだ。ショッピングモールにあるようなものじゃない。美術館で展示してあるようなものではなかったか?あれは、あれは何だった?


──あれが欲しい。

あれにすれば良かった。

あのにやにやとした年配の男に勧められた箱。あれが欲しくてたまらない。



その感情が、その後10年以上私をあの世界に引き込んだ。

その手に入らなかった悔しさと一度は振り払ったはずの欲が、自らの情動形成に深く深く組み込まれた。それがはじまりだ。

私のドールハウスで遊ぶインテリアの趣味も、収集癖はそこから始まっている。

私の部屋は悪夢のようにごちゃごちゃと煌めく美しいものたちで溢れかえっていった。

その夢を見た日、10代の終わり、大学時代からエスカレートしていくことになる。


あの夢で見た箱のなかに人形たちはいなかったと思う。

ただ、あの箱の中には確かに世界があったのではないかと思う。

夢の中の自分は、細かすぎたからその場できちんと見なかった。

さらりと見て、ああきれいだ、だけど今は、と、そう躱した。

その夢の中の自分にあったはずの理性が、現実の私には引き継げなかった。


最後までそうだった。


なにかが欲しいという渇望に憑りつかれ、夢に従ってしまった。


きっと簡単だっただろう。

そう時間はかからなかった。



本当に、簡単に辿り着いた。



その答えは目の前に顕れた。

私が辿り着いたのは、その門の先。


私の中にあった、夢の先にあった、

ずっと寄り添いつづけてきた声の主。



その大本に辿り着いて、



同じになった。











夢を通じて、語りかけてくるものがいる。


それはあなたをどこかへといざなう。

なにかを与えようとしてくる。


誘いかけられた先で、遭遇してしまうものがある。


目の前に現れたとき、理解が及んでしまうと取り返しのつかないほどに狂うかもしれない。食べられて、呑み込まれてしまうかもしれない。


理解が及ばないような怪物の糧に、言葉も通じないような狂人の目的のための踏み台にされてしまうこともある。



そういう側面は、確かに現実にある。

それは嘘でも作り話でもない教訓だ。

夢の言葉に従う者に必ず寄り添う危険。

文学的な表現に装飾された警告。



夢は繋がっている。どこからでも辿っていくと、それは地続きの現実になる。


みな無意識に同じことをしている。

夢に見た世界を実現せずにはいられない。

その内容を口にし、あるいはその内容を行動に反映して、

『何かを創り出す』



とある作家、神の作家が夢に見た世界をパズルにし、大勢が組み替えながら遊んでいる。

そのピースは、嵌めていくと元の形を取り戻す。


人の夢が繋がりあう先に答えがある。そこに彼らはいて、今は私たちもいる。

パズルのピースがすべて揃わずとも、欠けていても景色は見える。

見えた景色が新しい形になる。



それを恐れないのならば、

夢に見た現実を叶え続けて欲しい。



それでもどこかで踏みとどまれるのならば、頭に響く声に従ってはいけない。


それが招く現実は、あなたの望みを叶えるものとは限らない。


海の夢を見て、海の底から響く呼び声が聞こえたとしても、

あなたにそれに応える義務はない。

その眠りを覚まし、現実に実現することは『正しい』こととは限らない。


そう思い込まされているのかどうか、自分自身の望みかどうか、

本物の自分の夢かどうかを立ち止まって考えるか、


ただ、忘れるのがいいのかもしれない。



忘れられていく夢の先にも、

いつでも彼らと私たちがいる。





私が導かれた先で辿り着いた門は真理の答えであり、それはあの方程式の解でした。同じになったのは、その先の混沌です。私を誘っていたのは魚たちが泳ぐ海の底の城に眠る彼ではなく、集合無意識の海。白と黒の道化の神。自由で凛々しい黒猫の美丈夫。


気づかずに辿り着いたその姿を目の前にしても逃げなかったのは、最後の最後まで恐ろしく感じなかったからです。人間の姿の彼に遭遇しても正気度は喪われません。


私は彼が好きだった。


魅入られたもの、誘いかけたもの。

相思相愛の結果です。


門の向こうに見えた宇宙がうつくしかったから、ひとつになりました。

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