車輪
「人類最大の発明って何だと思う?」
唐突にヒカルはそう切り出した。ナルミはあまりにもいきなりそう聞かれたので、ヒカルを注意するでもなく、はて、と考えてしまった。二人は幼い頃から気の置けない関係で、いつも一緒にいた。小中の幼少期を共に過ごすことは別段珍しくもないが、高校大学までそれが続くと、もはや腐れ縁だ。そんな稀な二人組でも世間にはまだ、ごまんといる。だが、この二人のように本当にどの思い出を切り取ってもいつも一緒で仲睦まじいというのは、なかなかないだろう。そんな訳で二人は今、単位取得のためのテスト勉強を一緒にしていたところだった。
「集中力が切れてる」
ナルミはぶっきらぼうに小言を言った。しかしヒカルは、そんなことはお構い無しに、きらきらと目を輝かせてナルミの答えを待っている。こういったとき、ナルミはヒカルには勝てない。このヒカルの、無邪気な瞳に弱いのだ。
もう一度、ナルミは問いの答えを探す。現代社会において、電気は必須だ。コンピュータがなければここまでのインフラ整備はできないし、ハーバー・ボッシュ法がなければ二人とも、生まれてすらいなかっただろう。かのアインシュタインは複利が人類の最大の発明だと言ったらしいが、ヒカルはきっと、そんなことは知らないな。こうやって一人で思考の海へ漕ぎ出してしまうのはナルミの悪い癖で、案の定、ヒカルは痺れを切らしてナルミに声をかけた。
「車輪だよ」
「え?」
「だから、車輪」
ナルミは全く考えもしなかった答えに、ただただ驚いた。ヒカルはそんなナルミを見て、したり顔でこう続けた。
「車輪がなかったら、重いものを運ぶことはできないから。それに電気だって車輪を回して作ってるし。そう考えると、身の回りのものは車輪がなかったら成り立たないものばっかなんだよ」
ヒカルの理屈はいつも突飛で、人には理解され難い。だが、ナルミは長い間この理屈に付き合わされたせいで、だいたい言っていることは理解できていた。つまりは、運送する時には必ず車輪を使う、発電に使うタービンも回して発電するのだから車輪のようなもので、車輪の特性という意味で考えたら身の回りのものでも車輪と関わってないものなどほとんどない、と言いたいのだ。ナルミがヒカルくらい純粋、あるいはバカ正直なら大いに納得したかもしれない。だがナルミは、
「それって車輪じゃなくて、円がすごいって話でしょ」
と、言い放った。ヒカルは少しムッとして黙った後、降参だといった風に両手を軽くあげた。おおかた勉強に飽きて、前にどこぞのネット記事で読んだ知識でもナルミに披露しようとしたのだろう。
ナルミがペンを手に取り、勉強会を再開しようとした時、再びヒカルが口を開いた。
「これが終わったらどっか出かけたり、しない?」
ナルミは、懲りないなといった視線をヒカルに投げかける。しかし、提案自体はナルミにとっても魅力的だった。
「どこがいい?」
「海とか?できれば、遠いとこ」
「海?」
今は、1月も終盤の冬ど真ん中。海に行ったって、強風に晒されて凍えるだけだ。またしても予想外な答えで、ナルミはすっとんきょうな声をあげてしまった。ヒカルも流石に思いつきで言っただけのようで、慌てて訂正した。
「うそうそ、海は嘘。でも、思い出に残るような、どこか遠いところがいいな」
なるほど、埼玉の出身だから、遠いところというとまず真っ先に海が思い浮かぶらしい。ナルミは海に続く、『遠いところ』の意味もすぐに分かった。二人は大学三年生なので、順調にいけば来年は卒論やら就活やらでなかなか会えなくなる。それに、ヒカルにはやりたい仕事があった。ナルミも違う道を進むつもりだ。これからは、二人、別々に歩いていくことになる。だから、最後に思い出に残るような、どこか遠いところへ行きたいのだ。
いいね、と言いかけてナルミは止めた。ヒカルが上の空で、ナルミの後ろを見つめていたからだ。
「「___雪」」
二人の言葉が重なり、どちらからともなく、笑い出した。窓の外では、都会では珍しく、雪が降っていた。
「全然気づかなかった。いつからだろ」
そう言いながら、ナルミは窓に近づいた。外の道には、うっすらと積もった雪に、今にも消えそうな二本の轍が残っていた。
ナルミも、ヒカルと同じ気持ちだった。敢えて言わなかったが、ヒカルにもそれは分かっていた。言うべきか、言わないべきか、迷った二人はそれを心の底に大事にしまったまま、今日この日まできてしまった。ナルミは、ヒカルに背を向けたまま、窓にわずかに反射したまっすぐなヒカルの目を見て、そのままゆっくり深呼吸をした。そうしてナルミは振り返り、ポツリポツリと話し始めた。
ヒカルとナルミの性別の設定はありません。
2人がどう思っていたのかも分かりません。
全てはあなたが決めてください。
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