第一話 始業式
――きっと、君に会ったあの時から、俺たちは変わってしまったのかもしれない。
※
一ヶ月以上もある夏休みがあっという間に終わり、新学期が始まった。
気が付けば、半分程が過ぎている高校生活。それに気付いた時、漠然とした不安が、波のように押し寄せてきた。
このままでいいのだろうか。そんな、答えの分かりきっている自問に、憂鬱な気分が襲ってくる。
「暑ちー。始業式、早よ終わらんかな」
まだまだ夏の暑さが残る九月。汗のせいで首元に張り付くシャツが気持ち悪く、思わず不満が漏れる。俺は、ネクタイを緩めながら廊下に出て、これから始まる始業式のために、列に並び始めた。
「涼咲ー、今日、暇じゃんね?」
窓から入る風を感じながらボーッとしていると、前に並ぶ男子が、気怠げな顔を半分だけ俺に向けてきた。
「暇暇。始業式終わったら遊ぼうぜ」
「おう!」
先程までの不安はどこへ行ってしまったのか。俺は、目の前いる塩瀬一輝と遊ぶ約束をしている。
今までもそうだった。不安を感じても、結局はその解決を先送りにしてしまう。
そして生まれる後悔。あの時ああしていたら。この時こうしていれば。そんな意味のない反省をずっとしてきた。
そしてこの先も、俺は問題を先送りにしていくのだろう。
騒つく廊下。前の組の列はいつ動き出すのかと、顔だけを傾ける。すると、後ろの方から女子の噂話が聞こえてきた。
「ねえ、教室来る前に見たんだけどさ、校長室に人が入ってったの!」
「え? どゆこと?」
「だから! あれ、転校生だよ。なんか、おじいちゃん? と一緒に入ってったから絶対そう!」
「へー。何年かなー」
「何年かなー? 一緒がいいなー。いや、めっちゃイケメンだったよ。しかも体ガッチリしてたし。あれは、結構ガチ目にスポーツやってるよ」
「いいなー」
いまいち反応が薄い聞き役の女子。寧ろ俺の方が食いついているのではと思ってしまうほどだ。
それにしても、転校生とは珍しい。転校してくるということは、それなりの事情があるということなのだろう。
※
始業式が終わると、再び教室に集まってホームルームが始まった。
教卓の前には、三十代半ば程と思われる担任の先生が、最前列に座るクラスメイトと冗談を交えていた。
「はいはい、やるよ」
そう言って先生はパチンと一回手を叩くと、髪を耳にかける。そして、教室入り口に顔を向けた。
「入ってください」
すると、教室入り口の戸が開かれた。みんなの視線が集まる中、そこに姿を現したのは、背の高い男子だった。
髪型は、いわゆるベリーショートで、束感をしっかりと感じるセットがされている。そして、体格はしっかりと鍛えてあるのだろうと思えるほど、ガッチリとしていた。
「はい。では、簡単に自己紹介して」
転校生が先生の隣に並ぶと、先生は自己紹介を促した。すると転校生は、人懐っこそうな笑みを先生に向ける。そして、前へと向き直った。
「天河千晴です。前は長野の学校にいました。スポーツが好きです。特に野球が好きなので、いっぱい話してくれると嬉しいです! よろしくお願いします!」
そう言って転校生は、頭を軽く下げた。そして、頭を上げたその時、俺と転校生の目はバッチリと合った。
俺は、天河千晴を知っている。
思い出す中学時代。俺は天河千晴と三年間、同じクラスだった。ただ、特別仲が良かったわけではない。
普通に交流はあった。天河千晴の属するグループのノリに混ぜてもらう……というよりは、巻き込まれることがあったくらいだ。
勿論、二人で遊びに行ったり、ましてや休日に遊んだりするなどの仲ではなかった。
つまりは、感動の再会というほどのものではない。寧ろ……あまり嬉しくない再会かもしれない。
思わず、目を逸らしそうになる。しかし、千晴は口角を上げて、目で何かを伝えようとしていた。
自己紹介が終わると、先生からの連絡事項が伝えられ、長く感じたホームルームがやっと終わった。先生が教室を出ていくと、それを皮切りに、クラスメイトの一部が、千晴のもとに集まり始める。
飛び交う質問。千晴はクラスメイトを快く迎えるように、楽しそうに答えたり、雑談に応じていた。
俺の知る千晴は、誰が見ても好青年といった人物だった。どうやら、それは今も変わっていないようで、クラスメイト達の第一印象も良さそうだ。
そんな様子を横目に、俺は一輝の元へと向かう。
「一輝、帰ろうぜ」
「おう! 帰ろ帰ろ」
そう言って教室を出ようとした時だった。
「モーちゃん!」
その声に、俺はハッと振り返る。そこには、歯を見せて笑う千晴がいた。
「久しぶり! 一年半ぶりじゃんね?」
「お、おう……」
「いや、モーちゃんいて良かったー。一気に緊張解けたわ」
「そ、そっか。ていうか、モーちゃんってやめてくれない?」
顔を引きつらせながらそう言うと、千晴は歯を見せて、申し訳なさそうに手を合わせる。
中学の時、千晴とよく一緒にいた男子が言った。
『涼咲って、朝日って名前やんね? ちょーモーニングじゃん。モーちゃんで良くない?』
その男子の一声で、周りが『それあり!』となってしまい、俺の中学時代のあだ名は、ずっとモーちゃんだった。
俺としては、別に嫌ではなかった。けど、別に気に入ってもなかった。だから、高校でもそう呼ばれるのは、なんというか恥ずかしかった。
「あ、呼び止めてごめんね。んじゃ、これからよろしく」
そう言って千晴は、俺の隣にいる一輝にも爽やかな笑みを向けた。
※
廊下を歩いていると、一輝が呟くように質問を投げてきた。
「涼咲、転校生と知り合いなの?」
「まあ。中学の同級生」
「なんか、いかにも俺らとは違う人種って感じだな」
「中学ん時も、あんな感じだったな。男子からも女子からも人気だったよ。先生とも仲良かったわ」
「へえ。え、てかさ、長野から来たって言ってなかった? 涼咲って越してきたの?」
「いや、ずっとここだけど」
そう言えば、天河千晴は自己紹介で長野から来たと言っていた。中学を卒業してから、今までの間に何かがあったのだろう。
昇降口に着くと、沢山の生徒がこの後の予定の話を楽しそうにしていた。
始業式特有の緩んで雰囲気。俺はそれが結構好きだ。
と、俺も気を緩ませていた時だった。
「あ、いたいたー!」
聞き慣れた声に、俺と一輝は同時に顔を向ける。そこには、眉を釣り上げている女子がいた。名前を空乃結月という。
彼女は、首元にかかるほどの黒のミディアムヘアを揺らしながら、俺たちのもとにやってきた。
「なんか転校生来たんだって?」
「まあ」
そう答えると、一輝が付け足す。
「涼咲の同中だってよ」
「へえ。まあ、どうでもいいんだけどさ。あ! 明日部活来るよね?」
「え、行かんとダメ?」
恐る恐る聞いてみる。すると結月は、眉間にしわを寄せて顔を近づけてきた。
「当たり前じゃん。オフシーズンだからってザボんなし」
「いや、あれ自主練だろ?」
俺たちが所属する水泳部は、春と夏はプールで活動を行うが、秋と冬はプールでの活動を行わない。その代わりに、学校の外周を走ったり筋トレをするといった活動をするのだ。
「なわけないじゃん。先輩がサボってるだけだから」
そう言って結月は目を細める。俺はその圧に耐えられなくなり、思わず目を逸らしてしまう。
「わ、分かった。行くから」
「よしっ! じゃ、今日は帰ろっか」
先ほどまでの威圧感が嘘のように消え、結月は子供のような笑顔を見せる。そして、俺と一輝の肩を軽く小突くと、自分の靴を取りに行った。
その後ろ姿を見つめていると、一輝が小さなため息をつく。
「ま、あいつに見つかったら終わりだな」
「だな。よし! 明日からは遊はべんだろうし、今日はしこたま遊ぶか!」
「おう!」
まるで二度と遊べないような言い方をした俺は、一輝と笑顔を向け合う。そして昇降口を出ると、結月も横に並んだ。
「二人して、どうせまたゲームすんでしょ? よく飽きないね」
「研鑽に終わりはないんだよ」
そう言うと、結月は大袈裟にため息をついた。
「馬っ鹿じゃないの? それぐらい部活も頑張れし」
言い返す言葉がなかった。隣の一輝も苦笑いを浮かべている。
と、いつものように結月に言い負かされていると、数歩進んだところで一輝の顔つきが変わった。何やら浮きだった様子の横顔に、思わず目線の先を追ってしまう。
そこには、長い黒髪の女子の後ろ姿があった。
「落合さん、たまんねえよなー」
一輝はそう言うと、目を輝かせながら、俺に顔を向ける。
「まあ、綺麗な感じだよな」
落合茜音。俺と一輝のクラスメイトだ。あまり、自分から誰かに話しに行く感じではなさそう人だが、常に人に囲まれている。いわゆるクラス内の人気は高いといった印象だ。
と、一輝の発言に同意していると、結月は小さく唸り始めた。
「んー、謎」
「何がだよ」
何が謎なのか。そう質問を投げると、結月は口をへの字にして目を細めた。
「いや、どこが? みたいな。あたしのクラスでも落合さんの話してる男子いるけど、何がそんなにいいのって感じだわ」
「男子にしか分かんねえんだよ」
結月の発言に一輝が噛みつく。すると結月は、口をすぼめた。
「あっそ。んじゃ、また明日。あ、絶対来いよ」
校門を出てすぐのところで、結月は俺と一輝を脅すようにそう言った。そして歯を見せると、俺たちとは逆方向へと歩き出した。
「また明日な!」
結月の背中に向かって大きな声を張る。すると結月は、ヒラリと身を翻した。
夏休みの頃よりも小さくなったクマゼミの合唱。それに負けない結月の声が、大きく響いた。