起
鷹乃巣高原の上にある盆地に広がる野間湖は、地形と気候の関係で霧になることが多く、「霧の湖」として知られている。その幻想的な景色は穴場の絶景スポットとして人気があり、湖畔には小さいが洒落た感じのホテルが建っている。
しかし近年は不況のためか客足も減っているらしく、シーズンオフということもあってその日チェックインしたのは僕ら学生達の一行だけだった。
僕らが属しているのは、星風大学の旅行と写真のサークルだ。あちこちに旅行して、その土地土地の印象的な写真を撮る。最近は写真をインスタにアップする部員も多く、その為か女子部員も結構多い。
「ノブちゃん、全員無事到着したよ」
僕と、同じ二年生の友人・佐藤まことは皆を代表してチェックインの手続きをしていた。チェックインする前に皆そろっているか確認する。男子5名、女子6名、現地で合流するのが一人。
「あれ? この大江って誰?」
リストの最後に見慣れない名前を見つけ、僕はメンバーを見回した。
「あ、俺です」
やけに綺麗な顔立ちの男子が、おずおずと手を上げた。
「えーと、君は……?」
「友人の高崎と森口先輩に写真のモデルになってくれって頼まれてました、文学部一年、大江です。……高崎本人はインフルエンザで来られなかったんですけど」
「あー、高崎君、なんかそんなこと言ってたっけ。ごめんね、知った顔いないでしょ?」
マコ──僕はまことのことをこう呼んでいる──は、何だかちょっと浮かれた感じで彼に話しかけた。大江君は誰もが見とれるような笑顔で答えた。
「いえ、こういうのも悪くないですよ。どんなことでも作品の参考になりますから」
「作品?」
「俺、演劇サークルに入ってまして。脚本家志望なんです」
「脚本家……」
その容姿で。言っちゃ何だけど、いくらでも主役を張れるぞ。マコも同じように思ったらしい。
「えー、裏方なのもったいなくない?」
「そうですね、今は演技の方もやってますけど。でも、俺がやりたいのはどっちかって言うと脚本の方なんで」
人の好みの方向性ってのは、様々だなあ。まあ、彼には彼の人生ってものがあるし。
気を取り直して、ホテルの用紙に皆の名前を書く。全員の名前の最後に、僕の名前を。
長谷川信夫、と。
これでよし。
「おう、皆来たな!」
突然かけられた大声に、僕は顔をしかめて振り返った。現地合流することになっていた、四年生の中津則行先輩だ。
この人の父親はいくつか会社を経営している社長で、グループ会社の一つに旅行代理店がある。その口利きで各地のホテルや旅館を割安で使えるということで、僕らのサークルの行き先や宿泊先はほぼ全てこの人の意向で決まっていた。
そこまではまあいい。でも、サークルの中心となりお金もある中津は、すっかりサークル内で大きい顔をするようになっていた。二年の頃には既に部長気取りだったらしい。今では父親のコネ入社が決まり、卒論も目処がついて、堂々とでかい顔をしている。
「なんだ、長谷川に佐藤。相変わらずミョーな服装してんな」
僕らは中津に早速目をつけられた。彼は馴れ馴れしく僕の肩に腕を回して来た。小柄な中津は僕とそんなに背が変わらないので、ちょうどいいと思ってるのかも知れない。
ミョーな……と言っても、僕はいつものちょっとダボッとした感じのパーカーとパンツだし、マコはイエローのハイネックセーターにワインレッドのガウチョパンツだ。そんなに悪いとは思えない。てか、服の趣味が悪い人に言われたくない。
「中津先輩ですね。モデルとして参加してます、大江っていいます。よろしくお願いします」
大江君が丁寧に挨拶をした。中津はちらっと大江君を見ると、興味なさそうに言った。
「なんだ、男か。女かと思った」
──一瞬、すっと大江君の表情が消えた。綺麗なだけに、その瞬間の表情がすごく恐ろしく見えた。辺りの空気が凍りついた。
だが、次の瞬間には大江君は人当たりのいい笑顔を取り戻していた。今の一瞬が嘘のように。
「……よく言われますよ」
流石の中津もこれには気圧されたらしく、お、おう、とか適当に言葉を濁した。それから中津はごまかすように尻ポケットから自分の手帳を取り出し、めくった。この人は意外とアナログ手帳派で、何でも自分の手帳にメモっておくのだ。
「えーと、俺の部屋は301号室か。……長谷川、俺の荷物、部屋まで運んで片付けとけよ。いいな」
言い捨てて、中津はさっさとどこかへ行ってしまった。逃げたな。
「やれやれ……」
僕はため息をついた。中津の荷物は何が入ってるのか知らないが大きくて重いし、高いカメラ機材なんかもあるので気を使う。
「あの、わたし、手伝いましょうか?」
そう声をかけてくれたのは、最近入った一年生の小園七海さんだ。笑顔の明るい可愛い子で、僕も最近ちょっと気になってる後輩だ。
「いいよ、これ重いから。自分こう見えて力持ちなんだ」
僕は彼女に笑って見せた。
「重いなら、なおさらみんなで運んだ方が良くないですか?」
大江君も言ってくれたけど、あえて僕は断った。ゲストにこちらの内々のことはさせられない。
僕は、中津の荷物を部屋までえっちらおっちら運んだ。中津の部屋は、皆とは違う上階のセミスイートルームだ。僕らのシングルの部屋とは広さも見晴らしも違う。
部屋や風景をいつまでも眺めていても仕方ないので、僕はやることを済ませてから自分の部屋に戻った。
僕達の部屋は2階だ。エレベーターや階段のある中央のホールを挟んで、東側に6部屋、西側に6部屋。ちなみにこのホテルには4、9、13のつく部屋番号はない。
東側、一番外側の201号室に大野美奈(三年生)。
202号室に僕、長谷川信夫(二年生)。
203号室に山本由貴(三年生)。
201号室の向かい、208号室に小園七海(一年生)。
202号室の向かい、210号室に多田理恵(三年生)。
203号室の向かい、211号室に森口ゆいか(二年生)。
西側、ホール側の205号室に堀川裕一(三年生)。
206号室に浜村武(二年生)。
一番外側の207号室に正木慎太郎(三年生)。
205号室の向かい、212号室に佐藤まこと(二年生)。
206号室の向かい、214号室は病欠の高崎君が入る筈だったので空き部屋。
207号室の向かい、215号室に大江賢治(一年生)。以上、敬称略。
一年の二人には、あえて景色の見える外側の部屋を当てている。小園さんは遠慮して「ホール側の部屋でいいのに」と言っていたが、外側の部屋にしてもらった。初参加特典だ。
この顔ぶれ(+中津)が今回のメンバー全員だった。




