第79話 錬金術師は変貌する
私はこの次元そのものを解析していく。
蒸発する肉体は意図的に拡散した。
散りゆくそれらも含めて、理解を深めるための糧に変える。
間もなく私を構成する物理的な体積はゼロになった。
肉体が完全に消滅し、生物として無欠の死を迎えたのだ。
もっとも、私からすれば些事であり、百年後の天気よりどうでもいいことである。
むしろ現在の所長のリアクションの方がよほど気になる。
教皇と二人きりなのだ。
時間停止中だろうと傷付けられないようにしたとは言え、私を消し飛ばすほどの存在の前に取り残されている。
その恐怖たるや、想像を絶するはずだ。
どんな顔をしているのか見られないのが惜しかった。
さぞ素晴らしい反応なのだろう。
あとで感想を聞かなければならない。
思考が脱線しているうちに、解析が完了した。
それなりに時間がかかったように思えるが、体感的なものに過ぎない。
肉体を失った私は、あらゆる制約から解放されている。
思考速度も際限なく加速していた。
のんびりと解析したつもりでも、実際は刹那にも満たない時間だったろう。
そもそもこの空間には、時間という概念すら存在しない。
したがって“時間がかかった”という表現そのものが適切な表現ではなかった。
(まあ、細かいことは気にしなくていい)
実を言うと、ここまで丁寧に解析する必要はなかった。
既知の情報からでも瞬時に対応できる。
ただ、教皇は素晴らしい力を発揮してくれた。
私に復讐するという一心で、何もかもを捨てて挑んできたのだ。
それに無難な返しをするのは、彼を侮辱することになる。
しっかりと決意した以上、手を抜かずにやるべきだ。
無限に広がる虚無の空間は既に掌握した。
曖昧かつ大雑把な法則を認識し、私好みに改竄していく。
あらゆる定義を書き換えて、都合よく解釈し直す。
本質的な正誤はどうでもいい。
私が思った通りに創造すれば、それこそが真理となり得る。
不安定な世界に、確固たる間違いを刻み込んでいった。
神々の権能は、真実の究極形である。
紡がれた事象の果てに奇跡を起こすのだ。
結局は彼らも世界に囚われている。
法則の及ぶ範囲内で猛威を振るっていた。
一方で私は万物を改竄する。
神々とは対極の存在と言えよう。
連綿と続いてきた真実の繋がりを断ち、さらには自由に変えてしまう。
そこに法則の可否は何の価値もない。
揺るぎないはずの真実を弄び、根源的な不安を煽るのだ。
故に神々は私を恐れ、憎悪を抱く。
世界の敵とは、実に的を射た名称だと思う。
そうこうしている間に、改竄行為が仕上げに至った。
広がり続ける空間が逆行を始める。
いや、正確には圧縮している。
膨張する世界を、それ以上の力で押さえ込んでいるのだ。
虚無が激しく振動する。
負荷がかかって軋んでいるのだ。
各所で明滅する七色の光は、その箇所の崩壊を示している。
何もかもを呑み込むはずの虚無が、私の悪意に悲鳴を上げている。
幾多もの光が闇を彩り、満点の星空のようになっていた。
無限の虚無は膨張と圧縮を織り成して、最終的には人型へと収束する。
それ以外は何も存在しない。
人型そのものが、一つの世界となったのだ。
そして、私の意識は人型の中にある。
(ふむ)
普段と同じように全身を動かせた。
特に不自由は感じられない。
外見は夜空の塊のような状態だが、困ることはなさそうだった。
私は片手を持ち上げる。
指先を軽く動かすと、何もない場所に裂け目ができた。
この先に元の世界が待っている。
私を葬って有頂天になった教皇がいるはずだった。
それが大きな間違いであることを証明しなければならない。




