第7話 錬金術師は次なる標的を定める
手入れの行き届いた所長室。
私は座り心地のいい椅子で書物を読む。
机には本の山が積まれていた。
その代償として、床に書類が散乱している。
邪魔だったのでどけたものだ。
もっとも私には関係ない。
平然と書物の内容を読み進める。
半ばほどまで読んだところで、私はふと顔を上げた。
書物を閉じて足元に視線を送る。
「だんだん下がってきた。もう少し上げてくれるかな」
はっきりとした口調で要望を投げる。
それを受けるのは、足置きこと所長だった。
四つん這いになった彼は、手足に力を込める。
そうして背中に載った私の足を押し上げた。
所長はずっとこのような調子であった。
油断すると怠けようとするのだ。
普段から部下をこき使っているそうなので、たまには彼らの気持ちになるのも大切だろう。
いい機会だとおもって、足置きに徹してもらいたい。
(人間を足置きにするのは、愛情の裏返しになるのか? ふむ、分からんな)
私が現代で目覚めてから七日が経過した。
所長の献身的な協力により、私は現代の知識と情報を獲得した。
文字の読み書きも可能となり、活動の上で困ることはあまりなくなった。
この施設――研究所は未だに隔離されている。
責任者である所長と話し合った結果、こうして健全な関係を築くことに成功したのだ。
当初は反抗的だった所長も、今では旧友のように親しい間柄だった。
やはり対話は重要である。
私は書物を文字を目で追いながら、所長に語りかける。
「私とて、このようなことはしたくないのだがね。約束は守ってくれないと困るのだよ。決め事を破るのは平等じゃない。交渉は誠実にしていこうじゃないか」
所長は私に隠れて施設を脱出しようとしていた。
さらには私の暗殺まで計画した。
いずれも無駄な試みであったが、信頼関係を踏み躙る行為には違いない。
故に所長は、足置きに降格させた。
私は彼を友人だと思っている。
しかし処罰は必要だろう。
心を鬼にして、所長をこのように扱っていた。
「紅茶のおかわりも貰えるかな」
「くっ……」
空になったカップを差し出すと、所長は腕を伸ばして受け取った。
足置きになったまま、彼は震える手で紅茶を注ぐ。
こぼさないように注意しながら、私に返してきた。
私は健気な所長に話しかける。
「しかしグラゴロー君」
「……グレゴリー、だ」
「失礼。名前を憶えるのが苦手でね」
私は軽く流す。
所長ことグレゴリー・ハーライアは、小さくため息を洩らした。
私は気にせず話を続ける。
「グレゴリー君のおかげで、現代のことは把握できた。世界中で人間同士の戦争とは、なかなか盛り上がっているようで嬉しいよ」
再生した世界は、国家間での戦争が白熱していた。
長いものになると、数十年ほど前から続いているらしい。
技術の発達により、様々な兵器が発明されて、ボタンを押せば赤ん坊でも国を滅ぼせるそうだ。
実に愉快な世の中だった。
これまでの世界とは、やはり異なる進化を遂げている。
私が書物を置いたのを見計らって、所長は遠慮がちに尋ねてきた。
「ルドルフ……様は、どうされるおつもりで?」
「もちろん介入するとも。パーティーには率先して参加する主義だ」
元より戦争で世界を育むつもりだった。
既に戦いが繰り広げられているのなら好都合である。
それに便乗すればいいだろう。
顔面蒼白の所長は、恐る恐る問いを続けた。
「あなたは、世界を滅ぼすつもりなのか?」
「とんでもない。あれは非生産的だ。目先の愉悦に囚われた愚かしい行為だよ。もう二度と、するつもりは……いやそれは言い過ぎた。当分はする気がないな」
「はぁ……」
所長は曖昧な反応をする。
どう答えるべきか分からなかったらしい。
私はそんな彼に方針を伝えることにした。
「今夜には隔離を解除する」
「で、では! 解放してもらえるのですかっ!」
「落ち着きたまえ。話は最後まで聞くものだ」
喜ぶ所長を宥めつつ、私は紅茶を飲み干す。
そしてカップを所長の頭の上に置いた。
「将来について、この国の王と話し合おうと思う。君には仲介役を頼みたい。引き受けてくれるかね?」