第6話 錬金術師は平和的な交渉を試みる
ほどなくして私は目的地に到着した。
厳重に施錠された一室だ。
近くにいた兵士に訊いたところ、所長室らしい。
つまり、この施設の責任者である。
私は扉をノックした。
その瞬間、触れた手が燃え始める。
骨の芯まで炎が侵蝕されていった。
「なるほど。防御術式か」
ただの炎ではない。
相手を焼き殺すまで消えない呪炎だ。
所長とやらは、徹底的に侵入を拒みたいようである。
私は肘辺りまで進んできた炎を一瞥すると、分解して消火する。
半ば炭化した片腕を扉に当てた。
新たに炎が発生する前に、扉に施された術式を弄る。
炎は爆発に変換されて、蝶番を粉砕した。
支えを失った扉が前へと倒れる。
片腕を修復した私は、明らかとなった室内を眺めた。
広々とした一室だった。
棚や机や調度品が一通り揃っており、やけに豪華な内装となっている。
端々に金が使われていた。
この部屋の主の趣味がありありと表れている。
部屋の奥には、椅子から転げ落ちた男がいた。
恰幅のいい体格で、年齢は三十代半ばだろう。
撫で付けた栗色の頭髪と、同じ色の髭が特徴的である。
男は怯えた顔でこちらを見ていた。
震えるその手が拳銃を握っている。
ただし銃口は、揺れすぎて狙いが定まっていない。
気にせず私は男に問いかける。
「君がこの施設の責任者かね」
「き、貴様、この私を誰だと――ッ!?」
男は喚きながら発砲しようとした。
私は即座に指を鳴らす。
床に敷かれた絨毯が、生き物のように蠢いた。
そうして男を捕えて限界まで縛り上げる。
身動きの取れなくなった男は、拳銃を落として呻いた。
骨が折れないように調整しているが、ちょっとした加減で全身を砕けることになるだろう。
私は男のそばに歩み寄ると、横たわる彼の胴体に片脚を乗せた。
「質問したのは私だ。君は答えるだけでいい。質問なら後で許可しよう」
涙の滲んだ男の目が、恐怖に歪んでいた。
時折、視線が部屋の外へと向く。
兵士達が駆け付けるのを待っているのだろう。
しかし、施設内の兵士はほとんど抹殺した。
残っているのは、私に立ち向かってこなかった者のみである。
他にも非戦闘員がいるが、いずれも男を助けに来るような気概は持ち合わせていなかった。
私は両手を打ち鳴らして問いを重ねる。
「さあ、仕切り直しだ。君がこの施設の責任者かね」
「う、ぐぅ……」
男は首を縦に動かした。
それを受けて私は微笑む。
男が転がり落ちた椅子を引き寄せて、そこに深く腰掛けた。
「結構。素直になるのは良いことだ。お互い、腹を割って話そうじゃないか」
「ど、どういうこと、だ……?」
「私は目覚めたばかりで何も分からない。純粋無垢な赤ん坊のようなものだ。だから知識と情報がほしい。地理、歴史、文学、娯楽……とにかく何でもいい。私のために話してくれないか」
懇切丁寧に依頼するも、絨毯に拘束された男は困惑していた。
今度はなかなか首を縦に振ろうとしない。
私は嘆息して言葉を付け加える。
「もちろん無償とは言わない。君の要求を提示したまえ。国一つくらいなら滅ぼしてやろう。どうだね、いい条件だと思うが」
私が答えを求めると、男は突如として視線を鋭くさせた。
彼は唸るように私を脅迫する。
「け、研究所の異常は城に伝わっているはずだ……貴様はもう、終わりだぞ」
「ほう。そんな仕掛けがあったのか」
それは知らなかった。
別に妨害するつもりはなかったが、情報伝達は想定よりも迅速らしい。
さすがは遥か未来の世界である。
兵士が耳に着けた魔術具のように、連絡手段が豊富なのだろう。
このままだと、外部から救援部隊がやってくる。
同時に私の抹殺も目論んでいるはずだ。
別にこのまま歓迎してもいいが、まだやりたいことがある。
何より私は、この男と交渉中だった。
それを邪魔されたくない。
私は意識を室外へと拡散させた。
施設の輪郭を把握すると、指を鳴らして術を行使する。
思った通りの現象が起きたところで、静かに笑みを深めた。
目ざとく気付いた男が喚く。
「なっ、何をした!?」
「慌てることはない。この施設を丸ごと隔離しただけだ。自由に出入りできなくなったが気にしなくていい」
「まさか、そんな……」
「嘘だと思うなら、部下に確認してみたまえ。きっと混乱していることだろう」
私の言葉に男は恐怖する。
今の内容が真実であると直感的に理解したのだろう。
全身を震わせながら、呆然とこちらを眺めていた。
そこに笑顔で歩み寄って、私はにこやかに提案する。
「さあ、これで邪魔者が現れる心配はなくなった。平和的な交渉をしようじゃないか」